第72話 ひと時の休息

 一抹の不安を残しながらも、倶利伽羅の手引きで古ぼけた家屋に到着する。

 この家は屋根と壁にびっしりと蔦が張り、長く使われていないのだなと思わせるものだった。

 雨風は凌げそうだが、力任せに叩きつければ容易に崩れ去るほどの頼りない家屋だ。


「汚いところですいやせんが」


 倶利伽羅が閂を外し、扉を開ける。

 

「いや、草木で覆われているからこそ目立たないで済む」


 私は素直な感想を倶利伽羅へ返した。

 

 土間は狭く、廊下も人一人分ほどの広さしかない。

 土間から靴を履いたまま上に登るとすぐに前と左右に横開きの扉があった。扉はところどころが破けた障子が張られており懐かしさを感じる。しかし、横へ扉を引くとギシギシと嫌な音が響いた。

 家の中まで草木が浸食しているが、三部屋あるし広さは充分だな。


「ハルト、どの部屋にするのじゃ?」

「リリアナ。貴君はシャルロットと同室で頼む」

「嫌じゃああ。嫌じゃあ」

「シャルロットを一人にするわけにはいかないだろう? 私は十郎と同室で」

「妾より十郎なのじゃなあ」


 私の腕を両手で掴み「いやいや」とワザとらしく首を振るリリアナ。

 私が十郎と同室にしたい理由を理解している癖にこの態度だ。構って欲しいのは分かるが……。

 

 みなまで説明するのは無粋かと思ったが、仕方あるまい。

 

「ミツヒデのことがある。彼がいつ襲撃してくるのか分からぬ貴君ではないだろう?」


彼の転移術は魔を目印とする。つまり、来るとしたら十郎の所に他ならない。


「分かっておる」

「全く……」


 ツンと口を尖らせたリリアナとシャルロットは右の部屋へ。私と十郎は中央。倶利伽羅は左の部屋だ。


「朝日が出る前にここを立ちやすんで、しばし休息してくだせえ」


 全員が倶利伽羅の言葉に無言で頷く。

 

 ◇◇◇

 

 六畳ほどの板張りの部屋の中で、壁に背を預け休息を取る。

 十郎も同じような格好で片膝を立て、もう一方の足を伸ばしていた。

 

「晴斗は相変わらずだなあ、ほんと」

「何がだ?」

「女に冷たい。お前さん、宮廷でどんだけ女から『きゃいきゃい』言われていたか知らねえだろ?」

「……」


 色恋より妖魔を打倒すことへ意識を集中させていたからな……。

 私とてまったく興味がなかったわけではないのだ。

 

「リリアナとよろしくやりゃいいのに。男色ってわけじゃねえのは知ってるぜ」

「今の私は禁忌を犯し、呪われた身なのだ。深く関わるべきではないと思っている」


 浅黒くなった左腕を十郎へ向ける。

 十郎は大げさなため息をついた後、顎を上にあげ額へ手をやった。

 

「ほんとクソ真面目なところは昔っからだな。自分が何者になろうと関係ねえじゃねえか」

「そうも言っていられぬよ。左腕には魔が潜んでいるらしいからな」

「ままならねえもんだな。俺もお前さんも」

「そうでもないさ。私たちは今ここにいて、皇太子様を救い出しミツヒデを討滅するべく動いているじゃあないか」

「んだな。やりたいことやれて、座して死ぬわけじゃねえ。悪くない。お前さんと再び共に駆け抜けることができるなんてな」

「私もだ。頼んだぞ。相棒」

「おうよ」


 拳を打ち付けあい、お互いに笑みを浮かべる。

 

「すまんが、霊力を回復させる。万全でもって挑まねばな」


 袖を振り、札を手に挟む。

 壁に背を預けたまま目を瞑り、警戒の陰陽術を行使する。

 これで何か外で反応があればすぐに分かるだろう。

 

「おう。俺も霊力を回復させねえとな。船で多少使っちまったし」

「警戒の札も張った。お互いゆっくりと休もう」


 この時間からなら、朝までに霊力を全快まで戻すことができそうだ。


 ◇◇◇

 

 翌朝、海岸沿いを徒歩で進み小さな波止場に停船させた小船へ乗り込む。

 倶利伽羅の先導で境の街を迂回するように海上を進み、境の南側にある岩礁に上陸した。

 

 境を北東に進めば京の都があり、京から南東に平城があるのだ。

 境から平城へはまっすぐ東へ進めばいい。

 

「人に合わぬよう、山間部を進みやす」


 倶利伽羅は遠くに見える山を指さす。

 

「野伏に会うかもしれないが」

「大丈夫でやす。この辺の野伏はあっしと顔見知りでやすし。妖魔が出ても旦那方なら問題ないでしょ?」

「妖魔なら即斬ってやるぜ?」


 十郎が小狐丸の柄へ手をやり、獰猛な笑みを浮かべた。


「貴君は戦いたいだけだろう……」

「そんなことねえって」

「森なら妾に任せよ」


 リリアナが腰へ両手を当て無い胸を張り、得意気に呟く。

 

「そうだった。任せたぞ。森の番人」

「うむ。森の中なら敵対する者がいれば、すぐに分かる」

「リリアナ。シャルロットと手を繋いでやってくれ」


 一番旅に慣れていないシャルロットの負担を減らしつつ進みたい。

 リリアナと手を繋いでいれば、悪路も平気になる。

 

「そのことじゃが、ハルト。煙々羅えんえんらで行かぬか?」

煙々羅えんえんらならば、歩くより遥かに速く進むことができるが……」


 倶利伽羅へ目を向ける。

 高く飛ぶとなると、目立つ。ここは大陸ではなく、日ノ本だ。

 となれば、警戒に当たる陰陽師の式神が空を飛んでいても不思議ではないし、倶利伽羅のような空を飛ぶ種族もいる。

 

「木より高く飛ばないのでやしたら……しかし、木が邪魔になりやすよね」


 倶利伽羅は私の考えた通りの答えを返してきた。

 

「ふふん。そこで妾じゃ。妾の進む先は枝も葉も道を開けるのじゃ」

「倶利伽羅も空を飛ばず煙々羅えんえんらに乗ってもらえばいけるか」

「旦那らは全員が規格外なのでやすね……」


 達観したようにため息を漏らす倶利伽羅に対し、カカカと笑ながら十郎が彼の肩をポンと叩いた。


「ミツヒデに挑もうってんだ。みんな普通じゃねえよ」


 十郎……その言い方は……私は気にしないがリリアナとシャルロットに失礼だぞ。

 恐る恐る二人の顔を見やるが、二人とも特に気にした様子はなかった。

 それどころか、リリアナは「当然じゃ」とばかりに無い胸を張っているではないか。

 

「なんじゃ?」

「いや、十郎の失礼な物言いが気に障るやもと考えていただけじゃ」

「特別な存在と褒められて、気を悪くするはずないじゃろう? のう、シャルロット」

「わたくしが普通ではないのは……その通りですから」

「うむうむ」


 リリアナの斜め上の解釈はこの際どうでもいいとして、儚くはにかんだシャルロットの顔に心がチクりと痛む。

 彼女は聖女としての運命を全うしている。彼女自身、納得して聖女になったのだろうが、聖女の生き方は常人には耐えがたいものなのではと思う。

 誰だって聖人に憧れ、尊敬するが、聖人たる生き方を全うしようなどご免なのだから。

 

「そろそろ山まで向かいやすぜ」


 倶利伽羅が歩きだし、他の者も彼の後に続く。

 

 すぐに森へ入り、煙々羅えんえんらを出し全員が乗り込む。

 私はリリアナと手を繋ぎ、倶利伽羅の示す方向へ煙々羅えんえんらを操作していく。

 

 リリアナと手を繋いでいると、木々が向こうから独りでにこちらを避けて行ってくれるから非常に進むのが楽だ。

 といっても、木々は接触する直前になるまで動かないので視界はよくない。

 そこも、倶利伽羅の導きで進むことができるから支障はなかった。

 

「この分だと、あと一時間以内に到着しやす」

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