第19話 月詠比礼
札が薄紫の肩から下げる長い帯に似たものへ変わり、私の目前にヒラヒラと舞う。
これぞ、「
しかし、ただの布で頼り無い見た目と侮ることなかれ。
月詠比礼は霊力を持って放たれる術であれば、例え真祖の一撃であっても防ぎきる。
「ハルト! 何の術か分からぬが、込める魔力が小さすぎる!」
リリアナが動揺し焦った様子で叫ぶ。
「さすが、大賢者の『目』と言えばいいのか? 私の霊力の消費量まで分かるとは」
当然ながら、込める霊力が多ければ多いほど、術の威力は上がる。
しかし、問題ない。これで事足りるのだ。
「得意気に呆けている場合ではない! もう間に合わぬぞ!」
リリアナの言葉通り、口内に黒い塊をたっぷりと溜めたスケルタル・ドレイクが大きく口を開く。
次の瞬間、矢の数倍はあろうかという速度で真っ直ぐに
「よく見ておくがいい。これが陰陽術だ!」
手を前に掲げ、月詠比礼が私と黒い塊を隔てるように立ちふさがった。
そこへ、彗星のごとく尾を引く黒い塊が直撃する。
――ウウウウウン。
と熱量同士がぶつかる独特の音が響き渡った。
見た目だけなら、彗星のごとき黒い塊とヒラヒラとした薄い布。
接触すればどうなるのか一目瞭然といえよう。
しかし、月詠比礼は不動。
月詠比礼は鉄壁の城塞のごとく
「な、なんと……お主の術……」
リリアナの困惑した声が後ろから響く。
彼女にも月詠比礼がどのような術式か認識できたようだな。
月詠比礼は内包する属性の割合を変幻自在に自動で調整するのだ。相手の攻撃が氷であろうが、火であろうが関係ない。
陰陽五行全ての属性を重ね合わせ、最適な防御壁を構築する。これが、月詠比礼が鉄壁と言われる所以。
黒い塊をものの数秒月詠比礼で受けていると、黒い塊は熱量を失い中からバチバチと迸る雷光が消失し、霧散した。
「陰陽術とは、込めた霊力がものを言うのではない。重ねた属性の妙こそ真骨頂なのだ」
前を向いたままリリアナへ聞こえるよう呟き、更に札を袖から出す。
今度はこちらの番だ。
地水火風が使えぬ。それがどうした。
陰陽術には陰陽五行……光・闇・金・地・水・火・風があるのだ。
「光は闇に覆われ、闇は光に覆われる。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」
陰陽五行の真理を独白し、集中すべく目を瞑る。
――心を水の中へ……。深く深く瞑想し、自己の中へ埋没していく。
私の身体からぼんやりとした青白い光が立ち込め……目を開いた。
「札術 式神 千本」
左手の札から桜が散るように幾本もの小刀……「千本」が私の周囲を覆う。
まだだ……更にもう一つ、参る。
「八十式 霊装 日輪」
右手の札から眩いばかりの光が溢れだし、千本を包み込んでいく――。
日輪は「陽」の中にほんの一滴の「陰」を混ぜている。陰と陽が反応することで爆発的な破壊力を発揮するのだ。
更に、それを千本の「金」と「土」によって封じ込める。
「行け! 千本! その力、存分に見せてやるがいい」
両手を天にかざすと、千本の全てが頭上へと動く。
スケルタル・ドレイクを睨みつけ、両腕を下へ降ろす。
その瞬間、一斉にスケルタル・ドレイクへ向け殺到する千本。
対するスケルタル・ドレイクは、再び
そうだろうな。奴より高い位置にいる我らに奴の手は届かぬ。なら、離れていても攻撃できる手段を取るしかない。
元は飛べたのかもしれないが、今は飛翔さえできぬようだからな……もし飛ぶことができるのなら既に飛び上がりこちらへ襲い掛かってきていることだろう。
スケルタル・ドレイクの方が瞬きの間ほどではあるが早かった。
奴の口から
千本は刺さった瞬間に、白い光と共に爆発。
次、次、そして次。
スケルタル・ドレイクの頭が無くなれば、胴へ。
胴が消失すれば、翼や足へ……。
スケルタル・ドレイクは核を破壊せねば止まらぬ?
そのようなモノは関係ない。核がどこにあるのか、私には分からない。
ならば――。
全てを破壊しつくせばいいのだ。
「な、なんという破壊力じゃ……SSランクの騎士の一撃にも勝る……」
リリアナの呟きが聞こえてくる。
その時丁度、スケルタル・ドレイクの足先まで千本が突き刺さり、奴は跡形もなく消え去ったのだった。
「これにて完了だ。もう化けて出るなよ……スケルタル・ドレイク。貴君に
光の渦と共に天に上ったスケルタル・ドレイクへそっと祈りを捧げる。
「それは……祈りか? 妾にも祈らせてくれ。フォレスト・ドレイクよ、安らかに眠るがいい。精霊たちよ、どうかこの哀れな古龍の罪を赦したまえ。
目を閉じたリリアナは握りこぶしを胸の前に置き、祈りと共に右から左、上へ。上から元の右の位置に戻し。次は交差するように反対向きに同じ動作を繰り返した。
三角形が交差する形……六芒星か。
祈りの所作が終わっても、彼女は目を開こうとはしなかった。
そればかりか、彼女の目元から一滴の涙が頬を伝う。
彼女の顔を見てはいけないと顔を逸らした時、彼女は目を開いた。
「あやつとはな、百年来の付き合いだったのじゃ。共に森を想う者同士として、時に言い争い、時に共に困難へ立ち向かい……」
「龍の中でも長きを生きる古龍は、皆機知に富み、気高き精神を持つと聞く」
「よく知っておるの。あやつもそうじゃった……硬すぎるところが玉に瑕じゃったがの」
「そうか……」
例え相手が人でなかろうとも、失った友を偲ぶ気持ちに変わりはない。
「すまぬ。ハルト、少しだけ背を貸せい」
「左腕には寄らないようにな」
リリアナは私の背に縋りつき、顔を落とす。
背中に暖かいものを感じ、私はいたたまれなくなって虚空を見上げた。
「友か……」
十郎。
私にも友がいた。
リリアナの朋友と同じで、彼もまた気高き精神を持つ。
ん、待てよ。
「リリアナ。不可解だ。フォレスト・ドレイクほどの者が魔に堕ちると思うか?」
「分からぬ。妾はあやつではない」
顔をあげリリアナは一言だけ私に応じると、再び顔を伏せる。
魔の者へとなるのは、深い恨みや後悔、野心などこの世に執着する強い何かが必要だ。
長き時を生きたであろう古龍が、自らの死に際し魔の者へ堕ちるほど強い執着を持つのだろうか?
言いしれない漠然とした不安が私の胸をよぎるが、それを振り払うように首を大きく左右に振る。
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