第一話 11-14

「ふう、まったく……」


 ざかさんと二人で部屋に入って、俺は大きく息を吐いた。何だって妹に昨今の政治家みたいな扱いをされないといけないんですかね……


「ふふ、かわいい妹さんだね」


 ざかさんが楽しそうに笑う。


「わたし、妹はいないから、ちょっとうらやましいかも」


「そうかぁ? お姉さんの方がよくない?」


「ん~、もちろんらいお姉ちゃんはすっごくいいお姉ちゃんだよ。でもそれとは別腹で、やっぱり妹も欲しいっていうかさ。色々世話をやきたいってゆうか、具体的に言うといっしょに買い物に行ったり、おに入ってシャンプーしてあげたり、いっしょに寝たりしたいな~」


「そういうもんかなぁ」


 どれもやったことがあるけど、別にそこまでいいものじゃなかった。俺なんかはむしろ優しいお姉さんに骨の髄まで甘やかされたい。オギャりたい。


 まあ妹を持つ者には持つ者の、姉を持つ者には持つ者の主張があるんだろう。


「それより、さっそくイラストを始めよう。あんまり時間はないんだ」


「はーい」


 ささっと髪の毛をツインテールにして、ざかさんがスケッチブックを取り出す。


 おや、さらに今回は、眼鏡もかけていた。


「あれ、ざかさんって目、悪かったっけ?」


「あ、うん。ほら、中学の時にガリ勉しちゃったから、ちょっとね。いつもはコンタクトだけど、今回は長丁場だから眼鏡にすることにしたんだ」


「そっか」


 しかし眼鏡にツインテールもほんとによく似合ってるなあ。活発な感じのツインテールと大人しめな感じの眼鏡という二律背反する要素がプリンにしようをかけた時みたいにほどよくマッチして……って、とと、それはいいんだ。


「それでイラストだけど……これまでと同じことをやってても、間に合わないと思うんだ」


「う~ん、そうだよね。どうすればいいのかな?」


「それでなんだけど……」


 これについては少し考えてみた。


 技術面ではどうやったってもう限界がある。だったら少し攻める方向性を変えてみるしかない。


「やっぱり気持ちをこめて描くことじゃないか」


「気持ち?」


「うん、イラストでも何でも、メンタルが及ぼす影響は大きいと思うんだ。だから」


「なるほどなるほど、気持ちかー。うん、それには賛成。ピアノを弾く時とかでも、同じ曲を弾いても、やっぱり気持ちが入ってる演奏は音がぜんぜん違うもんね。分かった、やってみるよ」


 そう大きくうなずいて、ざかさんはスケッチブックに何かを描き始めた。


 だけどすぐにその手を止めてしまう。


「……うーん、ここのシーン、マホちゃんはどういう気持ちなんだろ」


「どうかした?」


「あ、うん。描こうとしたシーンなんだけどちょっと分からないことがあって……。──あ、そうだ!」


 そこでざかさんは、何かいいことを思い付いたって顔で手をぱふんと打った。


「?」


「あのさあのさ、せんせー。このシーンを再現してみたいんだけど、いいかな?」


「再現?」


「うん、そう。やっぱり気持ちをこめて描くにはその時にキャラクターがどういう気持ちでいるかを理解する必要があって、キャラクターの気持ちを理解するのには、自分たちでそのシーンを再現してみるのが一番だと思うんだよ」


「なるほど……」


 それは一理あるかもしれない。


「よし、それやってみよう。今は何を描いてたんだ?」


「えっとね、これ」


 ざかさんがスマホを見せてくる。


「ん、どれどれ……なるほど、マホちゃんが敵である醜悪な魔物クリムゾンに追い詰められて、組み敷かれるシーンか。……って、組み敷かれる!?」


 そんなシーンを描いてたの!?


 ちらっとスケッチブックを見たけどおんりようが幽体離脱をしている絵にしか見えなかった……というのは置いておいて、組み敷かれる!?(大事なことなので二回言いました)


「え、その、本当にこのシーンを……」


「そだよ。だって分かんないんだもん」


「……」


「それじゃあ……えいっ」


「!」


 ざかさんが無邪気にそんなことを口にしてころんとベッドの上に横になる。


 や、それはまあ俺の部屋の中で組み敷かれることができる場所はそこしかないけど……ないけどさ!


「さ、準備はいいよ。せんせ、クリムゾンになりきって襲ってきて?」


 そして俺はナチュラルに醜悪な魔物役なんですね。確かにマホちゃん役をやれと言われても困るけどさ。


 とりあえず、魔物になりきってざかさんに迫る。


「グロッグロッグロッ……とうとう追い詰めたぞ(……ひどい笑い方だな、おい)」


「や、やめて……こないで……」


「グロッグロッグロッ……お前の命運もここまでだ」


「そ、そんなこと……っ……」


 ベッドの上でマホちゃんにふんしたざかさんが後ずさる。


 短めのスカートの裾が少しだけめくれあがって、さらには清らかな水みたいな髪の毛が毛布の上を流れて、ふわりといい匂いが辺りに漂った。僅かに頬の紅潮したざかさんの顔は、演技とはいえ追い詰められた小動物みたいで……見ていると、何だかおかしな気分になってくる。こんな感情、はじめて……


「グロッグロッグロッ……今からお前に屈辱を与えてくれる」


「……い、いやぁ……」


 ざかさんの迫真の演技。いや、ほんとに俺がキモくて拒絶してるわけじゃない、よね……?


 え、ええと、ここで決め台詞ぜりふ(魔物の)を言うんだよな、確か……


 ベッドの上からおびえた瞳でぐにこっちを見るざかさんを見下ろすと、俺はおなかに力を込めて声を吐き出した。




「──グロッグロッグロッ……支配者がだれか、お前のそのな肉体に教えてやろう!」




 ガチャリ。


 と、そこで部屋のドアが唐突に開かれた。


「お茶もってきたよ、おにーちゃ──」


 そこにはお茶とお菓子をお盆に載せたすずの姿があって、俺たちの惨状を見て、当然のごとくフリーズした。


「す、すず、これは……っ……!」


「お、おにーちゃんが……おにーちゃんがふしょーじを……!」


「ち、違うんだ、これにはわけがあって……!」


「わ、わけもわかめもないよ! みるからにふしょーじだよ……!」


「い、いや、それは……」


「だ、だいじょーぶだよ……おにーちゃんが遠くにいっちゃっても、わたしはおにーちゃんの味方だから……」


「遠い目をしないで!? だ、だからそうじゃない……ほ、ほら、ざかさん、説明して!」


「……うっうっ、ぐすっ……負けません……どんなに肉体ははずかしめられても、心だけは渡しませんから……」


「の、ざかさんも演技はもういいからね!?」


 結局、妹に事情を説明して通報を踏みとどまらせるのに一時間を要した。


 初っぱなから、不安なことこの上ないスタートなのだった。

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