第一話 4-14

 やって来たのは、本屋の近くにある公園だった。


 昼間は近所の親子連れや散歩する老人、犬を連れた愛犬家の人たちがれつな領土争いをするにぎやかな場所だが、午後六時を過ぎて日が落ちたこの時間にはさすがにほとんど人通りはない。


「……」


 ざかさんは無言のままベンチに座っていた。


 もう泣いてはいないみたいだったけれど、その顔は暗闇でも分かるくらいに真っ青だ。


「ええと、何か飲む……?」


「……」


「それともおなかが空いたりしてない……? 空いてたらそこのコンビニでフランクフルトでも買ってくるけど……」


「……」


 返事がない。ただのしかばねのようだ。


 それはまあ冗談なんだけど、ざかさんは本当に今にも死にそうな表情をしていた。こんな顔、教室や部室では見たことがない。


 しばしの沈黙。


 やがてざかさんが、絞り出すように小さくこう漏らした。


「……たんでしょ……?」


「え……?」


「……見抜いた……んでしょ……?」


 え、見抜き?


 って、な、何を?


 若干アレな勘違いをする俺に、ざかさんは必死な声で続けた。


「と、とぼけないで……わたしが、見抜いたんでしょ……?」


 顔を上げて、ざかさんがそう言った。


「そ、それだけじゃない……ほんとはわたし、『……神作画とか、覇権とか……何にも分かんない……。暗記した知識だけを披露してそれらしく振る舞ってるってことも、もう分かってるんでしょ……!」


「え、そうなの?」


「え?」


「え?」


「……」


「……」


 一瞬、何ともいえない空気が俺たち二人の間に流れる。


 カサカサと、丸まった紙クズが風に流されて俺たちの背後を転がっていった。


「…………」


 ……ええと、まだいまいち状況をつかみきれないんだけど、こういうことだろうか?


 実はざかさんはイラストを描くことができない。


 それどころか、驚くなかれそもそも『魔法少女ドジっ娘マホちゃん』についてすら、大した見識を持ち合わせていない。


 そしてそれを、別に何も気付いていなかったカブトムシみたいに勘の悪いことこの上ない俺に向かって、あろうことかカミングアウトしてしまった。


 だいたい、そういうことだよね?


「……」


「……」


「……」


 ……ああ、これ、とりあえず厄介事の匂いしかしないやつだ。


「……ごめんね、それじゃあ、俺はこれで」


「……ま、待って!」


 ガシッ!


 さりげなくその場から退避しようとしたのに、アザラシをくわえるホオジロザメみたいにがっちりと腕をつかまれた。おうおうとちょっと抵抗してみるものの、振りほどけない。う、逃げられない……


 どうしていいか分からなくなった俺に、ざかさんは涙声でこう叫んだのだった。


「お、お願い……わたしを助けて!」


 助けてほしいのは俺の方です。






    3




 翌日。


 教室で音楽の授業を受けながらも、俺は上の空だった。


 頭の中は別のことでいっぱいいっぱいで、授業の内容なんてこれっぽっちも入ってこない。普段は面白いはずの非常勤のあまみや先生の音楽家解説(ベートーヴェンはあんな顔をして相当の面食いだったとかモーツアルトの趣味がxxxxでやばかったとか)も、ただの言葉の羅列として右から左へと通り過ぎていく。


 何でかって言われれば、原因は一つしかない。


 昨日の──ざかさんとの一件だった。


 ちらりと斜め前方を見る。


 ざかさんはヒザの上に手を置いて、熱心な表情で授業に耳を傾けていた。


 その様子は完璧なお嬢様そのもので、昨日の泣き顔のへんりんはない。


 あれは夢か幻覚か何かじゃなかったのか。そう思わせるほど現実感がなかった。


 だけど、夢じゃないんだよな……


 残念なことに。


 ざかさんの方に視線を送ったまま、昨日のやり取りを思い出す。

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