第三話 1-11

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 放課後の学校は、動物園のようににぎやかな声で満ちていた。


 廊下では男子生徒たちが猿のようにホウキと雑巾で野球をしていたり、教室の中では女子生徒がひようのように脚を組みながら恋バナをしていたり、まどぎわでは教師が人生に疲れたゴリラのような表情でタバコをふかしたりしている。さらに開け放たれた窓からは運動部の「えいしゃおらー!」やら「ぶっ殺せー!」やら「ひゃっはぁ!」やらのかけ声が聞こえてくる。……うん、ここ、いちおう進学校だよね?


 そんな中、俺は一人で音楽室へと向かっていた。


 中庭での掃除を終えて教室に帰ってきたら、机の上にあるものが置かれていたのだ。




『ご招待状』




 封筒に入ったその招待状には何やらイラストのようなものが描かれている。口からしようを吐き出したおんりようの入り口から手招きをしているようなホラー画。見ていると心が不安定になってきそうな不吉極まりないそれは、窓からむ日の光をものともせずにドス黒いオーラを放っていた。


「……」


 ……な、何これ? めいかいへの招待状……? 読むと百日寿命が縮まるとか……?


 戦慄を覚えながら恐る恐る手に取ると、裏には差出人の名前が達筆で書かれていた。


ざか


 差出人欄には、そう書かれていた。


「……あー……」


 それを見て、心の底から納得しました。


 のイラストはだいぶ上達してきたものの、おんりよう癖はまだ抜けていない。油断をするとすぐにもうりようとか百鬼夜行とかえんだいおうとかが顔を出す。何ていうか、もうそれはそれで個性なのではないのかと思ってしまう。


 とはいえ何となく一人で開封するのに恐怖を覚える代物であったため、書いた本人を捜すことにした。


 教室に残っていたクラスメイトにいたところ、は音楽室に行ったという。


 なので俺もを追って音楽室へと向かうことにしたのだった。


 音楽室に近づくと、ピアノの音色が耳に入ってきた。


 流れるような、空からそっと降り注ぐような、優しい旋律。


 その音を邪魔しないように、そっと音楽室のドアを開ける。


 すると……


「お……」


 そこにはたくさんの女子生徒たちに囲まれて……ピアノを弾くの姿があった。


 思えばがピアノを演奏するのをちゃんと見たことはこれまでなかったかもしれない。


 初めて見るその姿に──炎を前にしたキンげんじんのごとく圧倒された。


 鍵盤の上をまるで魔法のように走る指。リズムに合わせて揺れる髪。楽しげなの表情。


 全てが調和して、まるでドラマや映画のワンシーンを見ているかのような錯覚に襲われる。


 あの白魚のように繊細なものと同じ手で、すわ冥土への招待状かと思われるものが書かれたとはとても思えない。


 しばし入り口付近で心が洗われるような音色をたんのうする。


 やがて最後にひときわ盛り上がった後に旋律が静かに消え、演奏が終わった。


 同時に周りにいた女子生徒たちが「きゃぁああああああああー〓」と黄色い声(絶叫)を上げる。


「素晴らしい演奏でした、感動です……!」


「ラヴェル作曲『水の精』ですよね! 本当に目の前にオンディーヌがいるみたいでした……!」


「もう生涯耳を洗いません……!」


「これなら次期『白銀の星屑ニユイ・エトワーレ』の座も様のものですね」


 次々とそんな賛辞の言葉が贈られる。


「ありがとうございます」


 それを受けてにっこりと微笑ほほえみ返す


「…………」


 ああ、うん、何となくここ最近の一連の出来事で忘れかけていたけれど、やっぱりは超がつくほどのお嬢様なんだなあ……


 成績優秀で、もく秀麗で、性格も良く、ピアノの腕前はほとんどプロ並みで、先生からの信頼も厚いざか家の令嬢。


 本当だったら、自分なんかの手の届く存在では到底ない。月とスッポンどころかザ・マンとティーパックマンもいいところだ。


 しかもそれを、元々のスペックに甘んじることなく、不断の努力によってげている。


 それは本当に……すごいことだ。


 何だか目の前にいるのにが遠いイスカンダルみたいな存在のように思えていると、こっちを向いたと目が合った。


「──あ、さわむらさん♪」


「え」


「わ、さわむらさん、どうしたんですか? 音楽室に来られるなんて、珍しいですね」


 本当にうれしそうに顔を綻ばせてくれる。


 途端に周りにいた女子生徒たちの視線がこっちに集中した。


 それも友好的なものじゃなくて、完全にセクハラ犯とか痴漢とかの女性の敵に向けられる視線だ。中には「お姉様、どいて。そいつ、殺せない……!」なんて口走りながら瞳孔の開いた目でふところに手を入れている女子もいて……うう、おっかない。


「あ、みなさん、すみません。これからさわむらさんとお話がありますので、今日のところはこれでおしまいとさせてください」


「ええ、そんな!」


「もっと様の素敵な旋律を聴いていたかったのに……」


「もう一曲だけだめですか……?」


「ごめんなさい。また今度来てくださいね」


 のその言葉に、渋々といった顔をしながらも女子生徒たちは去っていった。……最後に殺人鬼みたいな目でちゃんとこっちをにらけるのを忘れずに。わーい、女性恐怖症になりそうです。


「すみません、お待たせいたしました」


「え、あー、いや……」


 ちなみに、女子生徒たちが立ち去った後でもは敬語を崩さない。


 何かの緊急時は例外だけど、は学校にいる時は基本的にはお嬢様モードで話してくる。


 穏やかで、丁寧で、上品で、まるで静かに咲くしらのような雰囲気。


 これはお姉さんであるらいさんの振る舞いを模範にしたものなのだと、以前に話してくれたことがあった。


「それでさわむらさん、どうされたんですか?」


「あ、うん、これなんだけど……」


 ポケットに入れておいた地獄の黙示録──もとい招待状を取り出す。


「あ、見ていただけましたか?」


 女神のような微笑ほほえみでそんなことを言う。


「あ、いや、中身はまだ見てないんだ」


「そうなんですか」


「うん。えっと、何なの、これ?」


「はい。招待状です」


 それは分かってます。いえ、見た目からはあまり分からないのだけれど。


「あの……実は、お礼がしたくて」


「お礼?」


 がこっくりとうなずく。


「はい。イラストの時といい、ガチャの時といい……さわむらさんには本当にとてもお世話になりました。だから今週末にうちであるホームパーティーに、ぜひさわむらさんもご招待したいと思いまして」


「ホームパーティー……?」


 何そのセレブな響き。


「あ、今度の日曜日に……私のおうちで、家族と、親しい家とが集まって、食事会をするんです。定期的に開いている楽しい集まりなので、よかったらさわむらさんにも来ていただければなあと思いまして……」


 要するに、近所の人たちが休日に集まってやる寿パーティーみたいなものか。


 ああ、うん、それだったら少し分かる。


「とても楽しいパーティーなんです。それに」


「?」


「それに……おかーさんが、さわむらさんのことを見てみたいって」


「お、おかーさん?」


「はい」


 のおかーさんって……それってつまり、お母様ってことだよね?(当たり前) の母親にして、ざか家の当代の奥様ってことで……


 そんなセレブの極みみたいな人が、俺に何の用なんでしょうか。


 はっ、まさか娘に付く悪い虫(〓俺です)を未然のうちに駆除してしまおうとか……


「そんなに堅苦しいものではないので、気楽な心地で来てくださいね。楽しみにしていますから♪」


 花が咲いたように無邪気にが笑う。


 そう言われてもとてもそんなふゆの家に遊びに行くような軽い気持ちにはなれない。


 うう、何着ていこう……






 こうして、ざか家でのホームパーティーに参加することとなったのだった。






 ・ざかの秘密㉔(秘密レベルB)


 招待状が地獄の黙示録。


 ・ざかの秘密㉕(秘密レベルC)


 ピアノがプロ並みにうまい。


 ・ざかの秘密㉖(秘密レベルB)


 ホームパーティーを日常的に開催しているらしい。

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