第一話 7-14

「とりあえず、模写してみようか」


「模写?」


「うん。イラストの上達には、とにかく最初はうまい手本をたくさん模写するのがいいらしいんだ」


 これはふゆの受け売りだから、確かなやり方のはずだ。俺はイラストの描き方なんてぜんぜん分からないので、昨日のうちにさりげなくいてみたのだ。すると返ってきたのが、「イラストの描き方? んんー、とにかくいい見本を前に描きまくるしかないんじゃないかなー。あれれ、よし、もしかしてイラストに興味があるの? あるの? よーし分かった、だったら私がレッスンしてあげよっかー? まずは『魔法少女ドジっ娘マホちゃん』の四期までを二十四時間耐久で見るところからはじめて、それが終わったら今度は原画集があるからそれを穴が開くくらいに朝から晩まで観賞し続けてー……(以下略)」とのことだった。


「分かったよ。とにかく描いて描いて描きまくって、その手本が幻覚で見えるようになるくらいになればい~んだね?」


「それは確実に精神を病んでる人だけど……まあ、だいたいそういうことかな」


「了解、じゃあやるね!」


 そう口にすると、ざかさんはスマホで手本の画像を出して、テーブルの上に開いたスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。


 シャッシャッシャ……と、紙に鉛筆がこすれる音が狭い室内に響く。


 扉の向こうからは、他の部屋でシャウトするだれかの歌声がかすかに響いていた。


「……」


 うーん。


 やることがない。


 基本、ざかさんがイラストを描いている間は、俺はヒマである。遠くから聞こえてくるいつまでも思い人に会えないラブソングのリズムに合わせて耳を動かすか、芸能事務所の社長のように偉そうに席にふんぞり返りながら「ざかさんは真剣な表情もやっぱりかわいいなあ……」とゲス顔をするくらいしかない。


 それにしてもこの状況は何だろう。


 放課後のカラオケボックスに女子と二人きり。


 それも相手はあの、学園のアイドルにしてたかの花なことこの上ないざかさんなんて。


 ほんの二日前にはこんなシチュエーションは天地がひっくり返っても考えられなかった。妄想すらしていなかった。人生本当に何があるか分からないというか……


 と、少しだけ感慨深く思いながら視線を戻すと、


「…………ん?」


 ざかさんがスケッチブックの上におんりようの集合体を作り出していた。


 え、何これ……?


「の、ざかさん、何それ……?」


「え、ピアニッシモちゃんだよ?」


 思わずくと、そんな言葉が返ってきた。


「ピ、ピアニッシモちゃん?」


「うん、そう。『魔法少女ドジっ娘マホちゃん』に出てくるキャラクター。ほら、部活で受け答えができるように勉強した時にはじめてネットで調べて、その時から気になってた子なの。似てない、かな……?」


「……」


 似てるとか似てないとかじゃなくて、この世の全てを恨み憎んでいるだいおんりようの、タイトル『じゆさつ』みたいなおどろおどろしいホラーイラストにしか見えない。頭が三つあるし……


「……あー、もうちょっと、雰囲気を柔らかくした方がいいんじゃないかな……(えんきよく表現)」


「え? う~ん、難しいよ~」


「その、何だ……分からないけど、線が多いんだと思う」


「線が?」


「うん。ごちゃごちゃして見えるっていうか」


 要するに迷い線が多いから、それが重なって全体的に暗い印象になってしまっているし、まるでおんりようが放つ邪気のようになってしまっている……のかもしれない。いや絶対にそれだけが原因ではないけど。


「あ、なるほど~。つまりもう少し主線を強調して、余分な線を減らしてすっきりさせればいいんだね~」


 そうこくこくとうなずくと、ざかさんは鉛筆を持った手を動かす。お、格段に見やすくなった。まだおんりようの面影は残っているけれど、日本の三大おんりようから地方の大おんりようくらいにはなった。というかたったあれだけのアドバイスでこんなに改善するなんて、すごいな。


 と、ざかさんがじっと俺の顔を見ていた。


「?」


さわむらくん、教え方うまいね~」


「え、そう?」


「うん。すっごく分かりやすい。先生になれるんじゃないかな?」


「そ、そんなことないって」


「ううん、あるある。アルマジロだよ」


 何だそれ。


「って言われても、ただ気付いたことを言ってみただけだし……」


「それが的確なんだよ。すっと頭に入ってくるっていうか。──あ、そうだ。さわむらくんのこと、今日からせんせーって呼んでいい?」


「え?」


「うん、何かその方がしっくりくる。せんせー♪」


 にっこり笑いながらそんなことを言ってくる。


 う、何か照れる……。おまけにせんせー、の「せー」のところが舌ったらずな感じになっているのもまた胸の奥の何だかいけない部分(ロリコン属性)をくすぐるというか……


「ほ、ほら、そういうのはいいから、続きをやろう」


「はーい、せんせー♪」


 右手を上げながらどうしてかうれしそうにそう言って、ざかさんは再びスケッチブックへと視線を落とした。


 そのひたきな様子を見ながら、ついこう口にしてしまった。


「……でも、本当に俺なんかでよかったの?」


「え?」


「ほら、先生なんて言われても、そこまでイラストとか〝アキバ系〟に詳しくないし……。もっと他にいい相談相手がいたんじゃ……」


 たとえばふゆとか。


 だけどその言葉に、ざかさんは首を振った。


「ん~ん、そんなことないよ。結果論になっちゃうけど、〝秘密〟がばれちゃったのがさわむらくんでよかったと思う」


 ふと真面目な顔になって、ぐにこっちを見つめてくる。


「何だろ……なんか、さわむらくんからは、他の人とは違うものを感じたんだよ。この人は他の人とは違う。きっとわたしのことを助けてくれる、特別な人、だって。どうしてだろ。理屈じゃなくて、そう感じたんだよね。びびびって」


 そんなこと言われると、俺の方がどこかのねずみ男みたいにビビビときてしまうんですが。


 まあでも、その特別な人を、最初は水酸化ナトリウムで闇にほうむって庭に埋めようとしてましたけどね。

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