蒼穹レストラン

 この階層ではクリーム色の壁に扉が並び、その向こうが住居や店舗になっているようだ。扉の大きさや形は、個性を競っているのか様々だ。扉の上や横に看板が増えてきたのは、繁華街みたいなところについたということか。

 飲食店ばかりなのは、そういう地域だからだろうか。他にも、服屋とか雑貨屋みたいな店が固まっている地域があるのだろうか。あの金属板の映像をしっかり眺めていたら、わかったかもしれない。けど、今さらだ。


 すきあらば、ナージェの体にいやらしいおっぱいを押し当てるバカ女に、手も足も出ないから殺意は募るばかりだ。もう限界だというときに、ようやく車が音もなく止まった。

 マギがセーターの袖口で鼻の頭をこする。


「着いたよ」


「だって、ナージェちゃんは、何、食べる? この店、なんでも美味しいからね」


「うん、楽しみにしてる」


 無意識のうちにお腹を押さえたナージェに、バカ女の目が輝く。


 マギ、マナ、ナージェの順に車を降りる。ナージェが黒い棺を引きずり降ろそうとすると、マギが呆れた声を上げた。


「それ、もしかして、持っていく気?」


「私の大事な物だから」


 ナージェに大事な物と言ってもらえて、嬉しい。嬉しすぎる。それはつまり、僕が大事な存在ってことだよね。どう考えても、そういう意味だよね。美しいナージェが、醜い僕を大事な存在って、もうもう、嬉しすぎて、もう……。


 ――ナージェ、大好きだよ。今すぐ解き放って、僕もナージェをぎゅーっとしたい。


 ゴトンッと、ナージェは車から引きずり出した棺を地面に叩きつけた。


 ――だぁあああ! ナージェ、棺は大事にしてって、いつも言ってるじゃん!


「うるさい。心配して損した」


 ボソッと僕にだけ聞こえるようにつぶやいて、彼女は棺を背負った。

 やっぱり心配してくれていたのは嬉しいけど、興味しんしんでナージェを見つめているバカ女が邪魔で喜べない。


「ナージェちゃん、中身訊いたら怒る?」


「うん、怒る。それから、触らないでほしい」


 棺に手を伸ばしていたバカ女が、ただならないものを感じたのかビクッと手をおろした。


「そ、そっか、大切なものなんだね」


 バカ女が残念がっていると、マギが鼻の頭をこする。


「他のお客さんを待たせているからさぁ」


「わかってるって、マギ。ナージェちゃんも行こっか」


 ナージェとバカ女がその場を移動すると、次の車が同じ位置に止まった。次の車から降りてきた青年が、バカ女をにらんできた。ようするに、マギが言っていた、待たされたお客さんだろう。

 そのマギは、一足先に店の中へと姿を消している。ナージェは、空色の扉の上の看板の文字を声に出して読み上げた。


「蒼穹レストラン?」


「そ、ナージェちゃんのワンピースで、このお店にしようって決めたんだぁ」


 青空を示す蒼穹を冠するレストランに、ナージェは戸惑っている。

 旅の中で空にまつわる言葉を耳にすることも目にすることも、まれになっていたから、戸惑うのも無理はなかった。

 戸惑うナージェの手を引くバカ女は、ナージェにとって空がどういうものか、わかっていないに違いない。

 偽空すらないのも同然なこの街で、空の名前を冠するレストラン。僕は戸惑いよりも憤りを感じている。バカにされた気分だった。


「あっ……」


 レストランに一歩足を踏み入れたナージェは、短い驚きの声を上げた。僕は声すら出なかった。


 ドーム型の天井には、空があった。天井に映し出された映像だとわかるけど、どんな偽空よりも、本物の空に近い空があったんだ。

 澄んだ青を背景に、大小さまざまな雲が、ゆっくり動いている。

 映像だとわかっているのに、懐かしさがこみ上げてくる。


「ナージェちゃん、行くよ」


「うん」


 映像の空から目が離せないナージェに、バカ女は得意げな顔をする。悔しいけど、バカ女への敗北感を認めることにする。

 ドーム型の天井だけでなく、内装全体も空の色を意識しているようだった。

 青いすりガラスのパーテーションで区切られた客席を、ひとりでに動くワゴンが行き来している。ロボットとか呼ばれるものだろうか。

 スーッと近づいてきた丸っこい藍色のロボットが、一足先に店に入っていたマギに声をかける。


『ご案内いたします』


 機械人形じゃなくても、喋れるらしい。それをいったら、あの不気味な金属板もそうだけど。それとも、これはロボットではなく、機械人形だろうか。

 藍色のロボットに案内されたすりガラスで囲われた客席の、白い椅子とテーブルは雲を意識しているのだろうか。

 棺をすみに置いて、ナージェが座ると、当たり前のようにバカ女が隣りに座る。テーブルの上の金属板を手にとって、必要以上にナージェにいやらしいおっぱいをくっつけてくる。腹立つけど、もうあんな思いはしたくないから、見守るしかない。


「さ、さ、好きなもの選んでねぇ。あ、お金は気にしないでよ。あたしたち、これでもお金には余裕があるんだ」


「うん」


 心あらずといった感じで、ナージェはバカ女に勧められた料理をいくつか選んだ。

 三人分の料理を、マギが待機していたロボットに注文する。注文すると、彼はすぐにポケットから金属板を取り出して指を踊らせ始めた。

 ナージェは、すっかり天井の空に気を取られていた。


「気に入ってくれたみたいだね」


「……うん」


 本物じゃないとわかっているけど、こみ上げてくる懐かしさはなんなんだろう。


「不思議だよね。あたしたち、空なんて知っているわけないのに、あの天井を見上げると空だってわかるんだよね」


 テーブルに肘をついて、バカ女も天井を見上げる。


「なんか、遺伝子レベルで空の記憶が、あたしたち人間に刻まれているんだってさ」


「眉唾もいいところだよ」


 うっとりとしたバカ女に茶々を入れたマギは、言葉ほど声音に棘はなかった。


「ロマンよ、ロマン。わかってないなぁ。ナージェちゃんは、空だと思った?」


「……うん」


 ナージェは、すっかり天井の映像に目を奪われている。心までは奪われていないと思いたいけど、自信がない。

 僕だって、あの天井の空が懐かしかった。手を伸ばせばすぐに届いてしまう偽りの空だとわかっている。それなのに、どんな偽空よりも懐かしかった。


「そっか、そっか。マギぃ、旅人のナージェちゃんもそう言うんだから、眉唾って考え、少しは改めたら?」


「はいはい」


 面倒くさそうなマギにとっては、いいタイミングで料理が運ばれてきた。

 運んできたのは、さっき見かけたひとりでに動くワゴンだった。バカ女が、運ばれてきた料理をテーブルに並べる。

 ウェイターもウェイトレスもいない。もしかしたら、テーブルに並んだ料理も、ロボットが作っているのかもしれない。

 ナージェにパンとブラウンシチューを、マギに分厚いステーキとサラダを並べて、バカ女はドロっとした緑色のドリンクを手にして、席につく。


「さ、冷めないうちに食べよっか」


「うん」


 マギはすでに肉にかぶりついていた。


「マナさんのは?」


「あたし? あたしはこれでじゅうぶん」


 ストローをくわえたバカ女を、ナージェは心配そうに見つめる。ナージェは、本当に優しい。大好きだ。

 ナージェの視線に気がついたバカ女は、ストローから口を離して苦笑する。


「これだけで、必要な栄養は補給できるからさ、そんな目で見ないでよ」


「……うん」


 バカ女の言っていることが、よく理解できない。そういえば、さっきもイデンシとか理解できない言葉を使っていた。ナージェも、僕と同じで理解できなかっただろうけど、バカ女の言葉に嘘はないと納得してパンを手にとった。


「食事ってのは、栄養を補給するのが目的じゃない。それなのに、見た目とか美味しさとかを重要視するのは、どうかと思うんだよねぇ」


「この間まで、栄養を補給するだけじゃなくて、見た目も匂いも楽しむものって言ってたのは、どこのどいつだよ」


「あたし。いいじゃん、いろいろな考え方を知って、実践していく。それって、素敵な人生だと思うけどね」


「ふぅん」


 この姉弟、意外と仲がいいのかもしれない。あいかわらず、マギの目は眠そうだったけど、ステーキを頬張りながら姉との会話を楽しんでいる。彼が少し大人びてみえた。

 よく理解できない会話に耳をかたむけながら、ナージェはスプーンを口に運んでいる。


「姉ちゃんだけじゃないけど、どうして人間は無駄なことをしたがるんだろ」


「そりゃあ、機械にはできないからでしょ。無駄なことから、素晴らしいアイデアが生まれたりするじゃない」


「機械にはできないってのは、同感。でもさ、あの天井はやりすぎだよ」


 マギは空の映像を映している天井が、気に入らないらしい。肉汁したたるステーキにフォークを突き立てて鼻を鳴らした。


「遺伝子レベルでは、空の記憶が刻まれているかもしれない。僕も懐かしいと感じるし、安心する。でも、それだけじゃないか。もう必要ないものさ」


「差別化だよ。わかってないね。今じゃどのレストランでも、似たり寄ったりの料理しか出てこないんだ。内装、エンターテイメント、コンセプトとか、料理以外のもので競争しなきゃいけないんだ。飲食店なのに皮肉だよ、まったく。この店のウリは、懐かしの空。あたしが、この店にナージェちゃんを連れてきたいって言ったのも、料理じゃなくて、そっちのウリのほう。たしかに、空なんて必要ない。それはあたしも同感」


「じゃあ、明日は別の店にしよう。もっと賑やかなエンターテイメント系のレストランで」


「はいはい、しかたないね。……あ、ナージェちゃん、ごめん」


 ようやくバカ女は、ナージェを置き去りにして弟と会話に花を咲かせていたことに気がついたらしい。


「ううん。気にしてないから」


 ナージェのスプーンは、シチューを半分残して置かれていた。困ったように笑った彼女は、めずらしく慎重に言葉を選んで口を開いた。


「あの、空は……えーっと上手く言えないけど、素敵なレストランで、こんなに美味しい料理食べさせてもらえて、なんて言ったらいいのかわからなくて……」


 言い直したときのナージェの顔は、作り物のような笑顔だった。もちろん、僕にしか作り物だとわからない。

 嬉しそうに笑ったバカ女は、いやらしいおっぱいをナージェに押し当てる。


「そっかそっか、じゃあ、もっと食べよう。やっぱりあたしも食べる。ナージェちゃん、デザートは何がいい?」


「えーっと、甘いものがいい、かな」


 ナージェの笑顔は、作り物のままだった。それはそうだろうとも。この姉弟の口から、空は必要ないと言われたんだ。空を取り戻したい彼女には、そうとうキツかっただろう。


 素敵なレストランに連れてきてくれて、感謝しているよ。

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