花嫁衣装

 鼻歌が聞こえてくる。

 とても上機嫌なイェンの鼻歌。


「ふふふっ。ふふぅ〜ん。ナージェなら、お化粧いらないよねぇ。ふふぅ。ふ〜ん」


 どうやら、椅子に座ったまま眠っていたようだ。

 もうしばらく、寝たふりをしてイェンの鼻歌に耳を傾けてみよう。


 それにしても、イェンのやつ、私の魔力なんかなくても実体化できるじゃないか。嘘つき。


「ふっふふぅん、ナージェ、いい夢見ているかな。そうに決まってるよねぇ。ふふっ」


 近くを忙しそうに動き回っているのがわかる。


「もうすぐ、もうすぐ、ナージェが求めていた空を……いい夢に決まってるよねぇ」


 ドロリとしたイェンの体が、私の肩に触れた。ぞわりと、鳥肌が立つ。反射的に目を開けてしまった。


「え?」


「ぜんぜん、いい夢じゃなかったわ」


 目の前まで迫っていた大きな一つ目が、ぎょろぎょろとせわしなく動く。

 彼が細く伸ばした手は、私の小さな肩にまだ触れている。


「離して」


 きつくにらむと、イェンは後ろに下がった。拍子抜けするほど、素直に。

 そのイェンの姿に、わたしは驚いた。


 私が知るイェンは、棺を体内に納めているせいで、棺よりも小さい姿になれないはず。それなのに、目の前のイェンは私よりも小さかった。少女である私の半分ほどしかないくらいに、小さかった。


「さすがナージェだね。自分で目を覚ますなんて、想定外だったよ」


「ここはどこ? 君は何をしたの? 君は……」


「ふふふっ」


 私は畳み掛けるように問いかけようとしたけども、彼の不敵な笑い声にさえぎられてしまった。


「ここがどこかなんて、僕の大好きなナージェなら、わかっているはずだよね」


 思わず腰を浮かせて唇を噛んだ。

 頭上に広がる薄暗い闇に、崩れ落ちた石柱。


「ここで、君と出会ったのね」


「そうそう。覚えていてくれたんだね。というか、忘れるわけがないよね。ここは、ユートピアの聖宮の残骸さ」


 嬉しそうに体をくねらせるイェンが憎たらしい。


「初めから、私はここにいたの? 今までのは全部夢だったの?」


「まさか」


 もたげた恐ろしい疑問を、イェンは笑って否定する。


「大好きなナージェと過ごした時間が、夢だったなんて僕は嫌だよ」


「イェン、君は影王のなんなの?」


「友達だよ」


 影王の名前に、イェンは少しも動揺を見せなかった。開き直っているのとは違う。言い当ててもらって嬉しい子どものような、上機嫌だ。


「兄、ではなくて?」


「面白いこと言うね、ナージェ。違うよ。僕は輝王子じゃない。僕は、輝王子の妄執が生んだ異形さ。だから、輝王子は僕のお父さんかなぁ」


 輝王子の妄執は、双子の弟に対するものだろう。

 それにしても、異常でいびつだ。


「双子の弟に、輝王子はずいぶん入れこんでいたのね」


「うん。だって、コウキにとって、ミカゲは自分の命よりも大切な存在だったんだから」


「異常ね」


「うん。僕もそう思う。なにしろ、僕みたいな異形を生んだんだから」


「……そうね」


 コウキとミカゲは、双子たちが互いを呼びあった名前だ。輝王子、影王子なんてひどい名前を、彼ら嫌いっていた。


「実体化するのに、私の魔力は必要なかったのね」


「うーん、それはちょっと違う。ナージェの力を借りずに実体化するのは、最終手段だよ」


「最終手段?」


 頭を抱えようとして、ようやく気がついた。私が着ているのは、着古した空色のワンピースではない。白地に金糸銀糸の刺繍が施されたどっしりとしたドレスを着ていた。


「ねぇ、イェン。この衣装はなんのつもり?」


「見てわからない? 花嫁衣装だよ」


 イェンは嬉しそうに、私を着替えさせるのに苦労したとか聞かせてくる。こみ上げてくる嫌悪感と怒り。眠っている間に、いいようにされたという屈辱。小躍りするしているイェンに飛びかかりたい衝動を、痛いほど拳を握りしめてこらえた。飛びかかっても、イェンに勝てない。彼に勝てるものは、言葉の力だけだ。心を強く持てば、聖女となるはずだった私の言葉の魔力は、天空の王に匹敵するのだから。


 考えなさい、ナージェ。空を取り戻す鍵は、彼が握っているはず。たとえ、誰も本物の空を必要としていなくても、あの旅が夢でないというなら、私には空を取り戻さなければならない。

 考えなさい、ナージェ。そう、まずはこの状況を整理しなさい。私が埋めきれない真実を、事実を彼に話させなさい。


「イェン」


「ん? なぁに?」


「私、まったく状況が理解できていないんだけど」


「でも、怒っている。全く理解できていないわけじゃないよね、ナージェ」


 イェンの声から、愉快な響きが消えた。

 得体の知れない金色の一つ目に映る私のように、起こっているように感じる。


「そうね。君が影王の友達だというだけで、私には怒る理由になる」


「でも、それだけじゃないはずだよ」


「君は、私の口から何を言わせたいの」


 沈黙。

 ユートピアの切れ端を、張り詰めた沈黙が支配する。


 イェンは、私に何か言わせたくてしかたがないのだ。そういう素振りを、今まで何度もしてきた。だけど、私には、彼が聞きたい言葉がわからない。


「イェン。私に言ってほしいことがあるんでしょ?」


「そうだよ。僕は、ナージェに自分の罪に気がついてほしかったんだ。それなのに、それなのにっ」


 怒りに呼応するように、見上げるイェンの体が膨れ上がる。


「私の罪?」


「そうだよ!」


 これでもかと膨らんだ彼は、破裂したように急に小さくなる。


「ナージェの予言のせいで、双子の王子たちは無理やり引き離されたんだ。その結果が、これじゃないか。空が落ちたあの日だけでも、多くの命が失われたんだ。これが、ナージェの罪じゃなくてなんだっていうんだ」


 ふと、やつれた輝王子の言葉がよみがえってきた。

 予言が当たって喜べと、憎悪をむき出しにしていた彼も、私に罪の意識がないとでも思っていたのだろうか。


「ミカゲは、世界を滅ぼしたりなんかしなかった。ミカゲは、優しくておとなしくて、兄が手を引いてやらなきゃ、どこにも行けない。そんなやつだったんだ。ただ兄のあとを影のようについていければ、それでよかったんだ。夢見がちで、ぼんやりしているけど、ナージェの予言させなければ……」


「イェン、私じゃない」


 大きく裂けた赤い口を閉じさせるのに、声を荒げる必要はなかった。


「は? 何を言っているんだよ。まだ、認めてくれないの? 全部、全部……」


「影王を塔に閉じ込めたのも、輝王子から無理やり弟の記憶を封じようとしたのも、私じゃない。私は、きっかけを作っただけ」


 一度乾いた唇を湿らせて、イェンが口を挟む前に急いで続ける。


「大人たちに言われたとおりに、私は予言をしただけ。私はそのきっかけを作った罪なら、空が落ちる前から、背負っている」


「だったら……」


 イェンの声が震えている。


「だったら、だったら、なんでミカゲのお願いを断ったりしたんだよぉおおおおおおお」


 イェンの足元から旋風が舞い上がる。


「その名は、見えざる防壁!」


 とっさに呪いを唱えなければ、危なかった。

 目の前まで飛んできた瓦礫に、肝を冷やす。


「ミカゲがどんな思いで、ナージェに予言をやりなおしてほしいってお願いしたか……ナージェにも誰にもわからないよねぇえええ」


 周囲に張り巡らせた防壁に、イェンの体がぶつかってきた。何度も何度も、怒りに任せて体当りしてくる。


「世界を滅ぼしたいなんて、ミカゲは一度も考えたことなかったんだ。それなのに、ナージェの予言のせいで! ミカゲだけじゃない。コウキだって、あんなふうに死ななくてすんだんだ」


 見えざる防壁にヒビが入る。

 両手をかかげて補強するけども、長くはもたない。


「イェン、イェン! ねぇ聞いてっ」


「ナージェが……ナージェだけだったんだ。ナージェだけが、ミカゲを救えたんだ。ナージェが嘘でもいいから、予言を変えてくれたら……」


「そんなこと、できるわけがないじゃない!」


 大好きなノアンにも誰にも打ち明けられなかった思いを、叫んでしまった。


「私は、まだ子どもで! まだ聖女って認めてもらえてなくて! 大人たちに逆らうなんて、できなくて!」


 防壁が修復されていく。視界が滲む。だけど、泣くわけにはいかない。


「せめて、私が大人になるまで待っていて欲しかったの!」


 防壁が光る。


「なっ」


 イェンは光に弾かれて、瓦礫の中に落下する。

 肩で息をしながら立ち上がる。まとわりつく重い花嫁衣装が、うっとうしい。


「イェンの方こそ、私の何がわかるの? 大人たちの言うことを聞くしかなかった私の悔しさが、わかるの?」


 瓦礫の下からズルリと這い出たイェンが、一つ目の体を整える。


「僕としたことが、ちょっと我を忘れてしまったよ」


 イェンは真っ赤に裂けた大きな口でニヤリと笑う。彼の足元には、黒い棺があった。


 ドクンと心臓が音を立てる。


「イェン、教えて。影王はどこにいるの?」


「ふふふっ……やっと気がついてくれたね、ナージェ。そうだよ、その通りだよ」


 軽々と黒い棺を持ち上げて、イェンはそっと崩れた壁に立てかける。

 こんな悪趣味なことはない。


 ゆっくりともったいぶりながら、イェンは棺の蓋をずらしていく。


「本当は、ナージェがミカゲを愛してくれるって約束してくれてから、彼を起こすはずだったんだけどね」


 なぜ、今まで棺の中を知ろうとしなかったのか。


「さっき、言ったよね。ナージェの魔力を借りずに実体化するのは、最終手段だってさ。僕の魔力のほとんどは、ミカゲを眠らせているために使っていたんだよ」


 棺の中には、ずっと探してきた影王が眠っていた。


 こんなふざけたことはない。

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