人間らしさ

 姉弟が連れて行ってくれたのは、遊園地という遊び場だった。この階層で話題の機械のエンターテイメントショーや、ぐるぐる目が回りそうな動きをするへんてこりんな乗り物などなど。正直どこがいいのかわからなかった。

 半日がかりのエンターテイメントショーは、極彩色の光の乱舞と、無機質な機械人形のパフォーマンス。ストーリーらしいものもあったけど、途中から飽きてしまった。当たり前だ。音楽や機械人形の動きに合わせて、ナージェや住人たちは踊ったりして体を動かして楽しめる。でも、解き放ってもらっていない僕には、それができない。ぶんぶん振り回されて悲鳴を上げるだけの乗り物なら、僕を解き放ってくれれば、ナージェを抱えて飛び回ってあげるのに。見ているだけの僕には、本当につまらなかった。


 帰りの車の中で、ナージェはバカ女の膝を枕にして眠っていた。きっと疲れたんだろう。昨日のレストランの不安を紛らわせようと、めいいっぱい楽しんでいたから。どうせなら、僕の上で寝てほしかったな。バカ女、死ね。

 向かいに座って、ポケットから取り出した金属板をじっと眺めているマギが、ポツリと姉に言った。


「姉ちゃん、あんまり旅人に入れこむなよ」


「わかってるんだけどねぇ……かわいいからさぁ」


 マギの言うことは、もっともすぎる。僕らは次の渡り鳥が来るときに、この街を離れるんだから。

 窓の外は、あいかわらず車、車、車、車……


 バカ女のくせに、しみったれたため息をこぼした。


「こんな可愛い子でも、移住を希望していたら、最下層に連れて行かれたんだろうね」


「だね。そういう決まりなんだから」


「普段は、効率効率ってうるさいけど、肉体労働に向いていないってわかりきった移民を最下層に落とすって、一番不効率だってのに」


「だから、僕らがこの街の仕組みを変えるんじゃないか」


 どうやらナージェがぐっすり眠っているからか、姉弟の気が緩んでいるらしい。街の仕組みを変えるとは、簡単なことではないことくらい、僕にもわかる。エルドラドは、それだけの住人を抱えているのだから。


「反体制派が調子に乗っている。あたしたちも早くアルゴを完成させないとね」


「今回の奉仕活動のおかげで、しばらくは計画に専念できるね。旅人様様だ」


 反体制派、計画……、この姉弟はいったい何をしようとしているんだろうか。気になる。とても気になるけど、もうすぐ僕らはこの街を離れる。


「この街の仕組みを変えた頃に、またナージェちゃんには来てほしいな」


「姉ちゃん、あの話信じてるのかよ。公害時代なんか、もう大昔じゃないか」


「よその街とこの街では、時間の流れが違うって言うじゃない。ナージェちゃんが一年旅をしている間に、そのくらいたっててもおかしくないでしょ」


「まー、たしかに……けど、なんで、子どもが一人で旅をしてるんだよ」


「マギこそ、ナージェちゃんに入れこんるんじゃない」


「ばっ、馬鹿じゃね。そんなわけねーし」


 マギの眠そうな目が開かれて、顔が真っ赤になっている。もしかして、関心がないように振る舞っていただけで、ナージェの美しさに魅了されていたのかもしれない。いや、そうに違いない。だって、ナージェは誰もが愛さずにはいられないんだから。

 弟の反応に、バカ女に目を輝かせた。


「へぇ」


「くぅ」


 姉の目に写った自分に気がついた賢い弟は、袖口でいつもよりも強く鼻の頭をこする。

 急に車の動きが遅くなった。窓の外を見ていなければ、気づかなかったかもしれない。今まで、不気味なくらい一定の速度で流れていた車の列が、一斉の動きが止まるまでそれほどかからなかった。

 遠くから、複数の人が喚いている声が聞こえてくる。あいにく、何を言っているかまではわからない。

 姉弟にはわかったらしい。不愉快そうに顔を歪めて、マギが金属板に指先を躍らせる。


「機械に頼らないのが人間らしいとか、どの口が言ってるんだよ」


「この前、第1858階層でテロに成功したとかで、調子に乗ってるのかな。いい迷惑だってのに」


「……ん」


 バカ女が肩をすくめると、ナージェが身じろいだ。


「あ、起こしちゃった?」


「ん、ううん」


 目をこすりながら体を起こした彼女は、しばらくして窓の外の単調な景色が止まっていることに気がついた。


「あれ?」


「馬鹿な連中が、人の壁とかで交通妨害しているんだ。もうすぐ排除されるから、気にしなくていいよ」


「人の壁って?」


 余計なことを言ってしまったと、バカ女は顔を引きつらせる。金属板に視線を落としたまま、マギが小さく舌打ちをする。


「旅人には、この街の反体制派とか関係ないだろ」


 反体制派と聞いて、ナージェが関心を持たないわけがない。

 さっきまで聞き取れなかった喚き声が、「機械に依存しないで、人間らしさを取り戻そう」とか繰り返しているのがわかった。


「反体制派って、こんなに過ごしやすい街にもあるの?」


 案の定ナージェは、不思議そうに首を傾げて尋ねる。

 バカ女は、愛らしいナージェに観念して苦笑した。


「手を繋いで道を塞いで、交通の邪魔をするのが、人の壁。……馬鹿な話だよ。機械のおかげで成り立っているこの街で、機械に頼らない生き方を推奨するなんてさ」


 鼻で笑ったバカ女は、あれほど話したがらなかったのに、よく喋る。もしかしたら、小難しく話せば、ナージェが理解できないとでも考えているんだろうか。まったく、馬鹿な女だ。

 不意に外の喚き声がやんだ。と思ったら、車がまた動き出す。どうやら、反体制派が排除されたみたいだ。


「外縁部で採掘されるレンギウムのおかげで、この街はここまで発達したんだ。それなのに、レンギウムの採掘現場の非人道的な強制労働は間違ってるとかで、機械の開発をやめようとか、馬鹿言ってる連中だよ。この街は、レンギウムから開発された機械に支えられている。あたしたち住人は、機械を開発したり、よりよく調整したりする」


 すっかり饒舌になった姉を咎めるように、弟が顔を上げたけどもすぐに金属板に視線を落とす。止めるのは無駄だと判断したようだ。


「反体制派の連中こそ、レンギウムの採掘をさせるべきだよ。移民たちには、健康状態がかんばしくない街から来た奴らもいる。というか、ほとんどの移民がそうだっていうじゃないか。だったら、機械の恩恵を受けて健全な体の反体制派が採掘したほうが、効率がいいに決まってるのにね」


 バカ女がひと息ついたところで、ナージェは困ったように形のいい眉尻を下げた。


「ごめんなさい、よくわからない」


「だよね。やっぱり、ナージェちゃんは旅人だもんね」


 バカ女が頬をかいたのは、熱弁をふるってしまったことへの照れ隠しだったのかもしれない。


 車が脇道へとそれていく。すぐに緑色のドアが見えてくるはずだ。



 僕が考えていたよりも、階層都市エルドラドは快適な街ではないらしい。

 ナージェがバカ女と二人でお風呂に入っている間、僕は今までの旅で快適な街があっただろうかと考えてしまった。

 空が落ちて、ひとつながりの大地パンゲアはばらばらに解けて散った。数え切れないほどの街を、僕は知っている。人間は、しぶとい生き物だ。平和で豊かだったパンゲアの面影すらとどめていない過酷で劣悪な環境でも、しぶとく生きながらえている。

 僕の友達は、人間のしぶとさを知っていたから、あんなことができたのだろうか。わからない。彼のすることに間違いはないってわかっているけど、少し前から地球が変容していることに気がついてから、ときどき不安になる。


 ――早く会いたいな。


 今ごろ、彼はどんな夢を見ているのだろうか。

 僕はただ、彼の笑顔が見たかっただけなんだ。


 旅の終わりは、そう遠くない。この街は、そんな予感を僕にくれた。

 ナージェは、空を取り戻すことが本当に人間のためになるのか、疑問を抱いたはずだ。見て見ぬふりをしても、消えることはない疑問は、彼女の足を止めるはずだ。



 部屋が明るくなったのと同時に、ネグリジェ姿のナージェが戻ってきた。


「戻ったわよ、イェン」


 ――今日は楽しそうだったね、ナージェ。


「まぁ、ね」


 無視されるか、鼻を鳴らされるかと思っていたから、意外と素直な反応に戸惑ってしまった。


「この街も、大変みたいね」


 ――みたいだね。あの姉弟、この街の仕組みを変えるとか、すごいこといってたよ。


「私も聞いていた」


 ベッドで小さく丸くなるナージェが、可愛すぎる。


「イェンはさ、機械に頼らないほうが人間らしいと思う?」


 ――反体制派の考えのこと? 僕は人間じゃないから、なんともいえないよ。でも、僕はもともと機械が苦手なんだ。あの冷たい無機物の塊って、どうも得体が知れなくてさ。


「ふぅん……イェンが得体が知れないとか言うんだ」


 ――たしかに、僕は醜くてナージェに解き放ってもらえないと、手も足も出ない異形だけど、言うさ。


 もぞもぞとサイドテーブルに、彼女の細い手が伸びる。


 ――ナージェは、どう思っているの?


「私? うーん、よくわらからない」


 サイドテーブルの金属板を引き寄せて、何度か指先を躍らせると部屋が少しだけ暗くなった。そういえば、昨日も金属板で照明を調節していたっけ。


「機械というか、道具なしでは私たちは生きていけないほど、脆弱な生き物よ。だから、この街は極端すぎて、よくわからなくなるの。マナさんたちは、反体制派も機械のおかげでいきてるくせにとか言っているけど……イェンは気がついていた? この街の移動は全部車で、道を歩いている人がいないことに」


 ――そう言われてみれば、歩いている人、いなかったね。


「歩いていける距離でも、歩こうとしないのは、ちょっとどうかと思うの」


 ――まぁ、たしかにどうかと思うね。そこまで機械に頼らなくてもってさ。


「でしょう。……あ、なにこれ」


 ――ん?


 ナージェがサイドテーブルに戻そうとした金属板に、驚きの声を上げる。

 嫌な予感がした。いや、予感というよりも確信だった。


「また……『君タチハ、誰ダ?』って」


 ナージェがご丁寧に読み上げた言葉に、僕はまた震え上がった。

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