街の探索

 翌朝、ナージェは鐘の音とともに目覚めた。彼女が聞いた話では、起床の鐘だったらしい。


 ナージェはクローゼットの中にたくさんあった服には、手をつけなかった。昨夜ゆうべ、スツールの上に用意したいつもの空色のワンピースに、彼女は着替える。

 彼女の着替えは、僕にとって楽しみな時間だ。彼女の裸を拝めるんだから。折れてしまいそうなほど細い首すじ、なだらかな肩、かがむと浮き出る肩甲骨に、膨らみかけのおっぱいに、くびれのないなだらかな腰と小さなお尻……彼女のすべてが、僕をぞくぞくさせる。

 白い肌をしっかり堪能したあと、すぐに女の子たちが部屋の扉を叩いてくる。余韻が台無しだ。


「ナージェ、ナージェ。おはよう!」


「ナージェ、起きてるぅ?」


「朝だよ、ナージェ!」


 長い長い旅路の中でも、これほど騒々しい朝は珍しい。あっという間に女の子たちに囲まれた彼女は、部屋の外に連れ出された。


「ナージェ、それ、昨日と同じ服だよね?」


「もしかして、もしかして、服なかったの?」


「あったけど、やっぱりいつも着てる服がいいから……」


 ナージェが珍しく困り顔をすると、女の子たちは一斉に不満の声をあげる。


「ナージェは、もっとオシャレするべきよ」


「うんうん。髪型とかさぁ」


 女の子って、怖い。子どもは苦手だけど、女の子は恐ろしい。もちろん、ナージェも女の子だけど、ナージェは特別だから一緒にしてはいけない。

 いくらナージェが解き放ってくれるまで、僕が干渉できないからって、これは拷問でしかない。僕は棺に縛られているから、ずっとナージェに群がる女の子たちの甲高い声を聞いていなきゃいけないんだ。

 朝食の前も間も、その後も、ずっとナージェは子どもたちに囲まれている。


「ナージェ、宝探ししようぜ」


「なんでよ、おままごとに決まってるでしょ」


 子どもたちは、遊ぶことで頭がいっぱいらしい。


 ――ナージェ、どうする? これじゃあ、いつまでたっても、この街のからくりの仕組みを探れないじゃないか。


「わかっているわよ」


 僕に向けて小声でささやいたナージェは、子どもたちに向けてにっこりと微笑んだ。


「私、かくれんぼがいいなぁ」


 異論を唱える子どもなんて、いるわけがなかった。みんな、ナージェの笑顔にいちころだった。もちろん、僕も。

 鬼を決めた頃になって、ようやく彼女の考えがわかった。


「いーち、にーい、さーん……」


 噴水のそばで、鬼になった男の子が数を数える。


 あちこちにバラける子どもたちにまぎれて、ナージェはまじないを唱えた。


「その名は、見えざるそよ風」


 それは、ナージェの姿が周囲に認識されなくなる呪いだった。

 かくれんぼに乗じて、ナージェは広場を抜け出すつもりだ。


 効果はもちろんてきめんで、あれほど注目の的だったナージェに子どもたちは見向きもしなくなった。


「行くわよ」


 小声で僕にささやいた彼女は、時計塔があるほうに伸びている路地に向かった。


 ――ナージェ、愛されすぎじゃないかな。


「珍しいだけよ」


 ――いやいや、ナージェが綺麗で愛さずにはいられないんだよ。


「イェン。君に言われても嬉しくないから、それ」


 ――そんなぁ。


 ナージェはひどいことを平気で言う。彼女は、僕のことが好きじゃない。

 だって、僕は彼女に好きになってもらうには、醜すぎる姿をしているんだから。前回、僕を解き放ってくれたのは、三つ前の街アヴァロンで、獣化した住民に襲われたときだった。彼女なりに、僕のことを好きになろうと努力してくれているのかもしれない。けれども、異形の僕を好きになるのは、難しすぎるのかもしれない。


「それにしても、奇妙な時計塔ね」


 ナージェが時計塔を見上げて、ため息をつく。


 ――そもそも、あれを時計塔と呼べるのが、奇妙だよ。


 偽空を支えるほど高い塔を、僕は時計塔と呼ぶことに抵抗がある。


 赤茶けたレンガを積み上げた塔は、おそらく東西南北に向かって、文字盤が見えるように設計されているのだろう。

 僕らがいるのは、時計塔の南側。ちょうど正面。

 塔の真ん中よりも低い位置にある大きな文字盤を、五本の針が考えられなかったような動きをしている。

 鐘はおそらく文字盤よりも上にあるのだろうけど、確かではない。

 ただ、装飾のないレンガの高い高い塔に文字盤があるというだけで、時計塔と呼ばれているのだろう。実際、食事の時間や起床消灯の時間を鐘で教えてくれるのだから、このネバーランドにおいて時計塔と呼ぶのはふさわしいのかもしれない。


「静かすぎるわ」


 ――そう言われてみれば、人の気配もしない。


 まだ広場からは、それほど離れていないはずだ。だというのに、路地にも左右に並ぶ家屋の中からも、まるで生き物の気配がしない。


 ――ハリボテ、みたいだね。


「そうかもしれないわね。昨日、お風呂でもこの街のことを色々尋ねてみたけど、住人は男の子の家と、女の子の家にしかいないんですって」


 ――こんなに広い街なのに?


「そうなの……あれ?」


 ――行き止まり、だね。


 行き止まりだった。

 まだ、広場で遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくるような距離でだ。他に横道はなかったはず。いや、横道どころか、左右に並ぶ家につながる戸口すら見当たらなかった。


 ――引き返す?


「しかないわね」


 広場へ引き返した彼女は、遊び回っている子どもたちに目もくれずに、別の路地へと向かう。


 けれども、別の路地も行き止まりだった。路地の途中で、物陰に息を潜めている子どもたちを数人見かけただけで、最初の路地と同じでハリボテの民家に囲まれている気分だった。


 その次の路地も――

 その次の次の路地も――

 そのまた次の次の次の路地も、最初の路地と同じだった。


 ――ねぇ、ナージェ。時計塔に呼ばれたってことは、確実に時計塔に行けるはずだよね。


「もしかしたら、百日に一度しか道が現れないのかもしれないわね」


 ハリボテの偽空を見上げれば、時計塔の近くまで真鍮の太陽が昇っていた。


「もうすぐ、昼食の鐘がなるでしょうね」


 ナージェは肩を落として、棺を背負い直す。


 ――とりあえず、腹ごしらえだね。


「ええ。もちろん」


 呪いを解いて広場に引き返しながら、唇を右の指先で撫でる。彼女が考えごとをしているときの癖だ。


「次の子ども戻りの日まで、六十五日。とてもそんなに待てないわ」


 ――うん、うん。じゃあ、今夜にでも僕を解き放ってくれたら、時計塔まで運んであげるよ。


「いやよ」


 ――ナージェぇええ。


 そんなに、僕の姿が嫌いなのか。きっぱりと断られて、ナージェができたての昼食に舌鼓を打っている間も、僕は一人で落ちこんでいた。


 僕はナージェが大好きなのに、ナージェは僕のことを好きになってくれない。

 初めから期待はしていなかったけど、自分が異形であることを呪いたくなる。


 楽しく昼食をいただいたナージェは、広場の噴水のそばに棺を立てて、子どもたちと思いっきり遊んでいる。

 僕は楽しそうな彼女をただ眺めているだけ。


 たぶん、遊びながらこの街のことを探っているんだと思う。棺に縛られている僕には、年頃の女の子らしく元気に遊び回っているようにしか見えないけども。楽しそうに遊ぶナージェはとても新鮮だった。


 ナージェの新鮮な顔を眺めていたら、いつの間にか嫌な気分も忘れていた。


 細い純白の髪が、風になびいている。きらきら輝く、金色の瞳。きめ細かいみずみずしい白い肌。

 彼女のすべてを愛さずにはいられない。


 追いかけっこしていない子どもたちも、広場のどこかでナージェを自分たちのグループに誘おうと、虎視眈々とタイミングをうかがっているのがわかる。

 ナージェは、空が落ちる前から誰からも愛されていた。

 愛さずにはいられないんだ。


 ただ一人、噴水の縁に腰掛けている男の子を除いて、ネバーランドの子どもたちはナージェに夢中だ。


 噴水の縁に腰掛けている男の子は、昨日の夕食のときにナージェを警戒していたあの男の子だ。

 嵐の空のような暗い灰色ので、今もナージェをじっと観察している。昨日ほど、警戒しているようすではないけど、とても友好的とは呼べる様子ではない。


「ナージェ、次は宝探ししようよ」


「ええ、いいわね」


 ナージェは楽しそうに笑っている。本当に、心の底から楽しそうに。

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