崩壊する地球
子どもの街ネバーランド
その日、ハリボテの偽空を支えている時計塔の鐘が、狂ったように鳴り響いた。
昇り始めたばかりの真鍮の太陽は、軌道を進むのをやめて輝きを失う。
朝食を終えたばかりの子どもたちは、広場で時計塔を見上げている。漠然とした不吉な予感に、どうしたらいいのかわからずに、ただ時計塔を見上げるしかなかった。
その中には、かつてこの街の真相に近づいた男の子もいたけれども、為す術もなく時計塔を見上げていた。もしかしたら、姉のように慕っていた女の子のことが、彼の脳裏によぎったかもしれない。けれども、そんな大切な人の面影も吹き飛ばすように、鐘の音はどんどんけたたましくなっていく。
何かが起きている。
子どもたちにわかるのは、その程度のことだ。
鐘の音は、管理者の叫びだった。
子どもたちのために街を維持してきた管理者にも、何が起きているのか、正確なことはわからなかった。
突然、ハリボテの偽空を押しつぶすような圧迫感に襲われた。
実際、未知なるなんにもない空間が、街を押しつぶそうとしている。
子どもたちのための街として存在している管理者は、なんとしても子どもたちを守らなくてはならない。
なんとしても。
もし、街の意識体である管理者に肉体があれば、どんな行動をして今の自分を表現しただろうか。
時計塔の一番高い部屋に納められている鐘を鳴らしているけども、それだけでは子どもたちは守れない。
管理者は焦っていた。
――――■■ンッ
偽空の一部が剥がれ落ちた。
意識体の管理者には、痛みがない。ただ喪失感に襲われただけだ。管理者の自我の一部の喪失。
街が崩壊するということは、そういうことだった。
子どもたちの悲鳴が聞こえてくる。
危機感に加えて喪失感に襲われ、管理者は恐慌状態に陥りそうになった。危うく自壊しそうになった管理者の意識を救ったのは、子どもたちの前に決して姿を見せてはならない、白服の大人たちだった。
子どもたちがいなくなった食堂で、若い白服の女は朝食の後片付けをしていた。
突然鳴り響き始めた鐘の音と、子どもたちの泣き声に、彼女たちは始めて仕事を放棄した。自分たちを隠すためのカーテンの隙間から、様子をうかがっていた。
遠くで偽空の一部が剥がれ落ちたとき、一人の白服の女が、広場に飛び出した。もう、管理者の減点やペナルティなど、頭になかった。このままでは、街そのものが危ない。
「みんな、外は危ないから、早く中に!」
いるはずのない大人の姿に、ますます混乱する子どもたちにかまうことなく、後に続いた白服たちも食堂の中へと子どもたちを誘導を始める。
「大丈夫。大丈夫だから、こっちへ来て」
「走らないで。押さないで。大丈夫だから」
大丈夫と子どもたちをなだめながらも、彼女たちも不安でしかたがなかった。
「シャナ!」
一番最初に子どもたちの前に姿を現した白服は、振り返ったことを後悔した。
「……オルグ」
「やっぱりシャナだ。シャナ、俺……」
「話は後にして。今は……」
抱きしめてきた男の子に、つかの間呆けた顔をした彼女が彼の腕を解いたときだった。
図書館の黒い屋根に、偽空の一部が突き刺さった。
この食堂に落ちてきたら、ひとたまりもなかっただろう。
轟音と振動に青ざめている二人の耳に、大人の男の声が届いた。
「地下に! みんな、時計塔の地下に避難するんだ」
白服の男たちも、自分の意志でここまでやってきた。
時計塔の地下が安全かどうかもわからない。けれども、管理者が沈黙している以上、自分たちで考えて行動しなければならなかった。
もう、この街の住人たちは子どもたちも白服たちも理解していた。街が壊れるということは、自分たちの死を意味することを。
「行こう。シャナ」
しばらく見ないうちに背丈を追い越していた男の子が、姉のように慕っていた女の手をとる。無個性な白服としてではなく、一人の人間として扱ってくれる彼に、女は泣きたくなった。悲しいからではなく、嬉しさや恥ずかしさ頼もしさ、一言では表せない感情が一気に押し寄せて目頭を熱くさせていた。
「……うん。ありがとう、オルグ」
隠されていた地下へと、二人は急ぐ。
管理者は気が狂いそうな喪失感と戦いながら、時計塔以外の街の機能を放棄した。
白服たちのおかげで、子どもたちはみんな無事だった。
管理者はようやく気がついた。
白服たちもまた、大切な子どもたちだと。
子どもたちのために、存在してきた。
真鍮の太陽が落ちる。
偽空に空いた穴から虚無そのもののなんにもない空間が、街を押しつぶしてくる。
―■■―――■□ッ□――
ままならない思考で、管理者は必死で子どもたちの救出方法を導き出した。
時計塔の地下発電所で身を寄せ合っていたすべての子たちにむけて、管理者は電光掲示板にメッセージを綴った。
『渡リ鳥にヨびかけろ。ワタり鳥ニ、あんゼンな街にツレれて行ッてモラエルよぅニ、呼ビカケロ。わたリどりガくるまで、発電ヲ続けロ』
同時に管理者はたったひとつのスピーカーを、なんにもない空間に向ける。
『安ぜんナ街デ、みんなゲンキに生テネね』
管理者はそのメッセージを綴ったあと、自我を放棄した。子どもの街ネバーランドの意識体の事実上の最期だった。
ぼろぼろになった時計塔のスピーカーから、渡り鳥に救いを求める声が響いていた。
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