階層都市エルドラド

 階層都市エルドラドの崩壊は、緩やかに進行していた。

 資源が採掘される外縁部から、じわじわとに侵食されるように、崩壊している。


 統括人工知能アルゴの演算でも、の侵食を止める方法を導き出せなかった。アルゴが導き出した選択肢は、たったの二つ。


 街と心中するか、街を捨てて大穴の向こうに広がる宇宙に逃げるか。


 有人宇宙船の飛行が成功したのが、三年前。研究機関と資金を提供している富裕層以外の市民にとって、宇宙は未知なる世界だった。

 急ごしらえの宇宙船には、とても全市民を乗せることはできない。できたとしても、病人や年寄りまで乗せるのは不効率。なにより、新しい居住可能な星が見つかる確率は未知数で、限りなくゼロといっても過言ではなかった。


 アルゴと開発者の姉弟を始めとした街の統治者たちは、全市民に情報を開示した。混乱も暴動もすべて予想されたことだったけども、隠していられるものではなかった。


 大穴に浮かぶ円盤の宇宙船の中で、マナは搭乗口のモニターから目をそらした。

 街を捨てられないと残ると決めた人々が、目前にせまった街の崩壊に怯えて我先にと搭乗口に殺到していた。乗船率はもう99パーセントを超えている。残り少ない席を奪い合うように殺し合いにまで発展していた。


「……アルゴ、搭乗口を閉めてくれ」


『了解しました。これより、我輩は本船の出航準備を始めます』


 司令室の椅子に腰を下ろしたマナは、ここ数日で一気に老けた気がしていた。

 アルゴを使って、統治者を脅迫する不正を探し出した頃が懐かしい。あの頃までは、純粋に弟と二人でアルゴとこの街の漠然とした未来予想図があれば、それでよかった。

 アルゴとともに統治者の一員になったのは、まだ二十歳の小娘だった。あの頃は、自分を大人だと思っていたというのに。歳を取ったと、マナは苦笑した。


「もう四十六、か。あっという間だったな」


 本当に、あっという間だった。

 反体制派と対話を重ねた日々も、人道的な移民政策も、他にも多くのことがなせたのは、弟とアルゴがいてくれたからだ。

 それから、異形とともにやってきた旅人の少女。


「マギのやつ、何やっているんだよ」


 昨日破壊された機械人形の代わりだとか言って、弟は搭乗口で市民たちの乗船を手伝っていた。その必要はないのに、使命感の強い弟は彼女の隣りの椅子に座っていることができなかった。

 弟が持つ端末に呼びかけようと、制御盤に触れる前に、アルゴのヒト型のシルエットがモニターに映し出された。


『マナ、マギは乗船しておりません』


「は?」


 聡明なマナでも、何を言われたのか理解できなかった。


「マギが、乗船していないって、なん、だよ」


 口がカラカラに乾いていく。


「アルゴ、あんた、あいつが乗船していないってわかっていて、搭乗口を……」


『マギに、出航するまで伝えるなと言われました。ですが我輩は…。』


 ダンッと、マナは両手を操作盤に叩きつけた。


「なんで? なんで、マギが乗っていないんだよ!」


『負傷したからと。怪我人を乗せるよりも、健康な子どもを乗せたほうが効率がいいと言っていました』


「ふざけるな。アルゴ、出航を中止しろ」


『できません』


 アルゴはきっぱりと拒否した。

 生みの親の一人であるマナが、弟を乗せたがっていることと、弟の決断を演算にかけるまでもなく、出航を中止するわけにはいかなかった。


『乗船率は99.58パーセント。マギ一人を乗せることはできますが、今、搭乗口を開けば、さらなる混乱が起きることが予そ……』


「わかってるよ、そんなこと!」


 それでも、マナはたった一人の弟を見捨てられなかった。


 アルゴは、なぜ宇宙に出るまで秘密にするようにとマギが言ったのか学習した。マギは、マナが自分を見捨てられないことをわかっていたのだと。ほんのわずかな可能性でも残っていれば、弟を乗せようとすることを、予想していたのだと。

 落ち度だと、アルゴは学習した。人間の感情というのは、複雑すぎて理解がおよばない。そんなケースに遭遇するたびに、アルゴは喜びを覚えた。未知なる喜びは、初めて街の外の人間と、異形と対話したときに初めて学習したことだった。

 せめてと、アルゴはマギの端末と通信を繋いだ。なぜか音声のみだったが、しかたがない。


『姉ちゃん、わりぃ、ちょっとヘマした』


「ちょっとヘマしたって? 乗り遅れておいて……今すぐ、救命ポッドを寄越すから待ってなさい。それをちょっといじれば、まだ……」


『姉ちゃん、やめてくれよ。アルゴ、そんなことをしたら、宇宙移民計画の成功度が落ちるだろ』


 アルゴは沈黙を選択した。

 もうアルゴにできることは、宇宙船で宇宙に向かうことだけだ。


『それに姉ちゃん、僕は何も心中するために残ったわけじゃない』


「同じじゃない。このままじゃ街は……」


『渡り鳥を待つよ』


「え?」


 マギの答えは、マナにもアルゴにも導き出せなかった可能性だった。


 五日に一度現れる渡り鳥のことなど、頭になかった。ここ数年の劇的な移民の減少もあったかもしれない。エルドラドでは、もう久しく渡り鳥は大穴を横切るだけの奇妙な鳥でしかなかった。


『渡り鳥は侵食が始まってから、飛来する間隔が不定期になってます。侵食の速度も予測不可能ですが……』


『生存の可能性は、限りなくゼロって言いたいんだろ、アルゴ』


 音声のみだというのに、アルゴはマギが不敵な笑みを浮かべたのがわかった。


『それでも、可能性はゼロじゃない。新しい居住可能な星が見つかる可能性だって、同じくらい低いんだ。……一緒に行けないのは悔しいけど、僕は生きてみせるよ』


「……バカ」


 マナが泣いている。泣いているけども、もう出航を中止する意志はなさそうだった。

 アルゴは、こんな時に喜びを覚えていた。


『マギ、我輩は人間をまだ理解できていない。渡り鳥を待つというのは、宇宙移民計画よりもずっと不確定な要素が多すぎる。それなのに、あなた方人間は可能性を導き出した。素晴らしいです』


『可能性じゃない。こういうのは、希望っていうんだよ。計算された可能性よりも、たしかに不確定だけど、僕たち人間は希望を失ったら生きていけないんだよ』


『希望……』


 生みの親たちと会話をしながら、アルゴは出航準備を進めている。


「かっこつけているんじゃないよ、バカ。……マギ、諦めたら許さないからね」


『そのセリフ、そっくりそのままマギとアルゴに返すよ』


 アルゴは宇宙船の出航の準備が整えた。いつでも宇宙へと旅立てる。


『マギ、我輩は希望という概念をまだ理解しきれていない。だが、マギの無事を祈っている』


 機械が祈るというのも、おかしな話だった。


『じゃあな。新しいエルドラドを、必ず見つけてくれよ』


「見つけてやるよ、バカ弟」


 アルゴは通信を遮断した。出航するには、外部の電波を遮断する必要があったからだ。


『マナ、メインエンジンを点火しました。いつでも出航可能です』


「わかった」


 別の希望を見つけた弟のためにも、マナは新しいエルドラドを見つけなければならない。

 涙を拭って、マナは顔を上げた。


「ねえ、アルゴ。この宇宙船の名前、希望ってのはどう?」


『よい名前です』


 マナは、大きく息を吸う。


「アルゴ、宇宙船希望、出航」


『了解しました。宇宙船希望、出航します』


 長い旅が始まる。わかっているだけでも、課題は山積みだった。けれども、新しいエルドラドを見つけるという希望を決して失うことはない。あってはならない。



 頭上の宇宙へと旅立った宇宙船を見送って、マギは鼻の頭をこすろうとして苦笑した。

 こすろうにも両腕がなかったからだ。医療用の機械人形の働きのおかげで、まもなく義肢が取り付けられるだろう。だが、とても心配症の姉に見せられる姿ではなかった。


「じゃあな、姉ちゃん。アルゴ」


 まだできることはある。

 絶望に、大穴に身を投げたりして自殺する市民が急増していると、報告があった。


 姉とアルゴに、かっこつけてしまったからには、マギは絶望するわけにはいかなかった。


「ナージェ。一人でも多く渡り鳥に乗るために、まずは……」


 かつて出会った旅人の少女に似せて作った機械人形に、マギは思いつく限りのことを命令していく。


 まだ希望は残っている。たとえ、消えそうなほどかすかな希望でも、マギは失うわけにはいかなかった。

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