目覚め、崩壊の始まり
ナージェを抱きかかえて、僕はまた途方にくれている。
「そんなに拒絶されたら、傷つくじゃないか」
三本目の腕を生やして、彼女の涙とかを拭っていく。
苦しそうな寝息が、少しずつ楽になっていく。
僕らは、こんなにもナージェのことが大好きなのに。どうして、ナージェはこの思いにこたえてくれないんだろうか。
「うん、でも、きっと大丈夫。夢を見ているうちに、ミカゲのこと本当に愛してくれるよね。そうしないと、世界は滅んじゃうから、ね」
大丈夫と言い聞かせても、不安は消えてくれない。
泣きたいのに、涙が出ない。僕は異形だから、涙がないんだ。
「ナージェ、起きてよ。眠っている場合じゃないんだよ」
優しく揺すっても、ナージェは起きてくれない。
「どうしてだよ。なんでだよ」
僕はただ、ナージェにわかってもらいたかったんだ。自分の予言のせいだって、認めてほしかったんだ。でも、ナージェは初めから……。
「ナージェだって、大人たちに利用されてきたんでしょ。だったら、僕らと一緒に理想郷を作ろうよ。ねぇ、ナージェってばぁ」
少しだけ乱暴に揺すっても、ナージェは眠ったまま。
僕は、途方にくれている。
背後で、瓦礫を踏みしめる音がした。
振り返る前から、わかった。僕の大切な友達が目を覚ましたんだ。
「おはよう、イェン」
ふっと穏やかに微笑んでくれたミカゲは、悲しくなるくらいあいかわらずだった。
「…………」
すぐに言葉にならなかった。
ふるふると震える僕に、ミカゲは困ったように小首を傾げる。
「ミカゲ、あの、ね……ナージェが……」
「嫌われてしまったようだね」
しかたがないと、彼はため息をつく。ぜんぜん、しかたないことじゃないのに。
「ナージェは、自分の予言がきっかけだったって、罪を認めてたんだって。なんだかさ僕、馬鹿みたいだったよ」
「そう、か。ナージェらしいね。最年少で聖女になると、言われていただけのことはある」
ナージェの寝顔を覗きこんだ彼は、僕の頭をなでる。
「瓦礫よ、かつての面影を取り戻せ」
天空の王の言葉に従った瓦礫たちは、時間を逆行するように聖宮の一部に戻っていく。そうやって、過去をやり直せたらよかったのに。死んだ人間をよみがえらせることと、過去に戻ることだけは、どんな人間にもできない。
過去に戻れたら、なんとしても僕はナージェの予言を阻止するのに。
「イェン、ナージェは僕を愛してくれるだろうか」
「愛してくれるよ! だってだって、でないと、世界が滅んじゃうんだよ」
「そう、だね」
ナージェを僕の腕から抱え上げたミカゲは、椅子に腰を下ろす。
ミカゲはあいかわらず穏やかな笑みを浮かべて、穏やかな声音で語りかけてくる。
それが、僕にとって一番つらいんだ。感情をあらわにして伝えることを諦めてしまったのが、悲しくて悔しいんだ。僕まで、彼の感情が汲み取れなくなるのが、怖いんだ。
「僕はね、イェン。別に世界が滅んでも、かまわないよ」
「ミカゲ!」
なんてことを言うんだ。
「いいんだよ。崩壊は始まっているんだ」
「でも、ミカゲ、それじゃあ、僕らの理想郷はどうなるの?」
「ねぇ、イェン、君はいつから僕のことをミカゲと呼ぶようになったのかな?」
「……あ」
しまったと、口を押さえたけど遅かった。
「コウキ、だけだったんだけどね」
「ごめんね、あ、あの、嫌だったら……」
「いいよ、別に。塔に閉じこめられてから、誰もそう呼んでくれなかったから、むしろ嬉しいよ」
「そう、なら、いいんだ」
僕は、まだ自分がコウキの妄執が生み出した異形だということを伝えていない。もしかしたら、気がついているかもしれないけど、直接伝えるのが怖かった。
だって、だって、僕が殺したようなものだから。
ミカゲの記憶を取り戻すために、コウキはただでさえ命を削っていたというのに、僕なんかを生み出したせいで、残りの命なんてほとんどないようなものだったんだ。
「あのね……」
「コウキが、君を遺してくれたんだろう。わかっているよ、イェン」
「ミカゲ……うん」
「あいつは、いつも僕のことばかりだった。僕のことなんか忘れたままでよかったのに」
「そんなこと言わないでよ、ミカゲ」
「ああ、そんなつもりじゃなかったんだ。ごめん」
おいでと呼ばれるままに、僕はミカゲの側まで歩み寄る。
「泣かせたかったわけじゃないのにね」
「僕は異形だから、泣けないんだ」
「涙を流せなくても、イェンは泣いているよ」
ミカゲが僕の頭をなでてくれるのが嬉しくて、自分から頭を伸ばして彼の手に押してつける。
「イェンは、僕なんかよりもずっと泣いてくれているよ」
「ミカゲも、もっと泣いたり怒ったりりしていいんだよ」
「……もう、泣き方も怒り方も忘れてしまったよ」
僕じゃ、ダメなんだ。僕じゃ、ミカゲの穏やかな笑みを崩せない。
ナージェだけが、ミカゲを救うことができるんだ。
そのナージェは、彼の腕の中で眠っている。
「ねぇ、イェン。ふと思い出したんだけどね、昔、コウキに笑われたことがあるんだ」
何が言いたいのかわからなくて、黙って耳を傾ける。
「天空の王になったら、どんな世界にしようかって、二人で話したことがってね。コウキはすごかった。まだ子どもなのに、どうすれば世界を治められるか、知っていたんだ。それにくれべて僕は、空に魚を泳がせたいとか、琥珀色の海で鳥たちを飛ばせたいとか……笑ってしまうだろう?」
「笑わないよ、僕は。だって、夢見がちなミカゲらしいもん」
「そうだね。僕は、いつも空想ばかりしていたね」
伏し目がちな金色の目は、きれいに世界を映し出して、彼の内側を少しも垣間見せてくれない。
まるで、エルドラドの機械人形のようだ。
「そうそう、絵も描いたんだった。太陽も月もない僕が思い描いた平和な世界をね」
「太陽も月もない? それじゃあ、真っ暗じゃん」
「太陽も月もない代わりに
「へぇ、
「コウキには、笑われてしまったけどね。……棺の中でたくさん夢を見てきたけど、あの頃みたいに楽しい夢はなかった」
穏やかな声と穏やかな笑みを、決して絶やさない。
ミカゲは人形なんかじゃないのに、無慈悲な王とかひどいこと言われるうちに、心から笑ったり泣いたり、怒ったりしなくなってしまったんだ。
もしかしたら、思い出話しているうちに、感情を取り戻せるかもしれない。そんな期待をするだけ、無駄なのに。
ミカゲの手が離れていった。
「ねぇ、イェン。ナージェにとって、僕らも大人たちと同じなのかもしれない」
「え?」
「もっとひどいことをしているんだ。ナージェに愛される資格なんて、僕にはないんだ」
「そんなこと……」
そんなことないなんて、言えなかった。
言えるはずがなかった。
卑怯者だとわかっていたはずなのに、僕らはナージェに理不尽な仕打ちをしようとしているんだ。ミカゲの心をボロボロにした大人たちと、同じくらいひどいことを彼女にしていたんだ。
予言をしたことの罰だなんて、言い訳にしかならなかったんだ。
ミシッと嫌な音が聞こえた。
「でも、ナージェがミカゲを愛さなきゃ、世界は滅んじゃうよ」
「今このときも、たくさんの命が消えているだろうね」
ミカゲはこんな時でも、少しも焦りを見せない。穏やかな笑みを浮かべたままだ。
ナージェ、早く目を覚ましてよ。
世界がなくなっちゃうよ。
僕は途方にくれている。
ただ幸せになりたかっただけなのに、どうしてこんなにうまくいかないんだろうか。
僕には涙がない。
だけど、たしかに僕は泣いていたんだ。
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