ナージェの夢
青の世界
泡沫のまどろみの中で、過去の声が聞こえてくる。
――あれは、
――嬉しいだろ、嬉しいんだろ。自分の予言が当たったんだからさぁ。あははは……
――そうか、残念だよ。
――僕らにこんな名前をつけた大人たちは、どうかしている。
――……僕は……だ……のに。
――あいつは……しい…………で……なのに。
ああ、これは双子たちの声だ。耳をふさぎたいのに、体が重くて動かない。
私は知らなかったんだ。あんなことになるなんて、知らなかったんだ。
ごめんなさいなんて言えない。言ったところで、もう元には戻らない。
――輝王子は、王になることはありません。影王子は、無慈悲な王となり、この世界を滅ぼすでしょう。
私の声がした。
全部、夢ならよかったのに。
重たいまぶたを押し上げると、視界いっぱいの青があった。
「ぁあ……」
青空だ。
私が求めてやまない青い空だ。雲一つない青空に、圧倒されてしまう。
ゆっくりと体を起こした私は、
まるで青空を映しだした鏡面のような青い水面は、水面と意識して初めて心地よい冷たさを感じられるようになった。
「夢を見ているの、ね」
水面の上に立って、私はあえて夢だと声に出す。
いつもではないけども、たまにある。
眠っている間に、魂だけが私の世界である地球を離れていることが、たまにある。
ただの夢なのかもしれないけども、ただの夢だとは思えないし、思いたくない。現実離れしているけども、現実感が夢からさめても残っている。
そんな奇妙な夢だ。
「きれいな青、ね」
青だけの世界。
鏡面の水面に映した私の顔は、あの日から変わっていない。私を永遠の少女と呼んだ渡り鳥は、なかなかいいセンスをしている。
水に手を入れて、映し出された顔を消す。水の冷たさが心地いい。
「影王は、私が必ず殺す」
世界を滅ぼすことを約束された影王さえいなければ、大地がばらばらに解けることもなかったんだ。
天空の街ユートピアの住人だった空人は、どうなってしまったのか。旅に出てもうずいぶん経つはずなのに、空人の生き残りに一度も出会っていない。
みんな、死んでしまったのだろうか。もしかしたら、影王も――
「そんなはずはない。やつが死んでいるわけがない。影王はまだ世界を破壊していない」
ばらばらに解け散ったけれども、世界はまだ残っている。影王がまだ生きている証だ。
「予言はまだ成就されていない。世界を破壊される前に、私がやつを殺して空を取り戻す」
夢の中には、イェンはいない。彼に聞かれたくないことも、声に出して言える。
影王を探す旅を始めたときは、決して揺るがない決意だった。なのに、今ではその決意が揺らぎそうになる。
もしかしたら、もう誰も空を取り戻したいと考えていないのではないか。
私がしていることは無駄なのではないか。
それに、イェンは味方ではないんじゃないか。
水面の上で膝を抱えたのは、泣きたくなったからではない。私はそんな弱い子じゃない、はずだ。
「……それでも、私は止まるわけにはいかないのよ」
夢なのに、目頭が熱い。鼻がツンとする。泣きたくなんかない。そう言い聞かせるのに、涙は勝手に目から溢れそうになって、空を見上げる。そうすれば、こぼれないはずだ。
空が青い。
青が滲んでなくて、安心した。大丈夫、私はまだ泣いていない。
「私が、必ず本物の空を取り戻すから」
首が痛むのも構わずに見上げた空には、雲一つないどころか、太陽もない。
ただただ青い空が広がっているだけ。
現実的なのか、非現実的なのか、よくわからない夢だ。
「それにしても、こんなところにひとりきりでいたら、気が変になるわね」
早く夢から覚めてしまえばいいと思いながらも、青い空から目が離せない。
どのくらい空を見上げていたのか。
夢のくせに、首が痛みが限界を迎える頃、それは現れた。
「ん?」
それは、宙を漂う
私の頭上に現れた白っぽい
ゆっくり、ゆっくりと、たゆたいながらそれは人の形になっていく。
それが一糸まとわぬ美しい青年だとわかって、ますます目がそらせなくなった。
白い長い髪に縁取られた端正な顔立ちに、不覚にも見とれてしまった。色白の肌に白いまつ毛が縁取るまぶたが、ゆっくりと押し上げられていく。
「あ……」
美しい青年の瞳は、
ぼんやりと見上げている私を、私と同じ瞳に映し出した彼は、これでもかと目を見開いた。
一瞬にも満たない視線の合致は、彼が一糸まとわぬ裸体だということを思い出させた。それは同時に、私が生娘であることも思い出させた。
「ああ、あぁああああああああ!!」
両手で顔を覆ってうずくまった私の顔は、きっとこれ以上ないほど真っ赤だったに違いない。
ただでさえ、空が落ちる前は聖女になるべく厳しく育てられてきた私が、男の裸を凝視していただなんて。
夢なのに、青年の無駄のない肉体美が脳裏に焼きついてしまった。その中には当然、見たこともない股間のモノもあった。
「これは夢よ、夢。夢なんだから」
夢なんだから目が覚めれば忘れてしまうと、言い聞かせる。けど、一度跳ね上がった心臓はなかなか鎮まってくれない。
夢なんだから、今見たものはなくなっていてもおかしくない。そもそも、手が届く距離まで近くにいたんだから、とっくに私にぶつかっていなければおかしい。
だから夢らしい唐突さで、あんなモノを見せつけた青年は消え去っているのかもしれない。私の記憶ごと消え去ってほしい。
パン、と手を叩く音がした。
それから、気難しそうな男の声。
「顔を上げろ。いつまで、そうしておるつもりだ」
命令することに慣れた口調に、素直に従うのは抵抗があった。けれども、このままこうしていても、しかたがない。なにより、空人の白い髪と金色の瞳が気になってしかたがない。
おそるおそる手をおろして顔をあげると、男は光沢のある青灰色のチュニックと、裾を引き結んだゆったりとしたズボンをまとっていた。
ほっと胸をなでおろした私を、男はじろじろと見てくる。その不快な視線はまるで――
「珍獣でも見るような目で見ないでよ」
「珍獣な。たしかに珍獣であろうな。愛らしい娘の姿をした珍獣だ」
「なっ」
気難しそうと思った青年は、ただの失礼なやつではないだろうか。
いろいろな街を旅してきたけども、いきなり珍獣あつかいされたのは初めてだ。この屈辱や腹立たしさを、どうぶつければいいのだろう。うざったいイェンがいれば、問答無用でぶっ飛ばしてもらうのに。
よくも悪くも私は、聖女になるべく育てられたのだ。
まだ、下劣な聞くに堪えない言葉に返す言葉を持っていない。どんなに旅を続けても、持てないだろうという予感もある。そう、影王を殺して空を取り戻さない限り、私の時は止まったままなのだ。
顔を真っ赤にして私は、口を開けたり閉じたりを繰り返しす。しばらく、私を見下ろしていた男は、肩をすくめた。
「冗談だ。珍しいことには変わりないがな。そなたは、我が聖なる一族の者か?」
冗談には聞こえなかった。
素直に答えるのも癪だったけども、しかたなく首を横に振った。聖なる一族なんて、聞いたことがない。
首を横に振る私を、とても残念そうに見下ろしていた彼は、ため息を一つついて、水面の上にあぐらをかいた。うざったそうに前髪をかきあげる。
「そうか、
「私はナージェ。君こそ、誰よ?」
気難しそうな男は、ピクリと器用に片眉を跳ね上げた。
「君と呼ばれたのは、初めてだ。なかなか新鮮なものだな。わしはベオールグ。創造主の血脈である聖なる一族の一人、白亜宮殿の主にして、世界を統べる聖王だ」
「世界を統べる?」
ふっと、初めて男――ベオールグは気難しい表情を緩めた。
「まぁ、座れ。世界の外からの
「世界の外?」
非現実的なのに現実感のある夢の中で、私はとても奇妙な男と出会ってしまった。
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