聖王の憂鬱

 ただただ青い夢の世界を、ベオールグはアワイと呼んだ。世界の狭間であるとも。

 もしかしたら、渡り鳥たちが飛んでいると呼ばれている空間もこんな感じなのかもしれない。というか、ここがなのかもしれない。そう考えずにはいられなかった。けれども、渡り鳥の姿がない。やはり違うのだろうか。


 一つの世界を統べる聖王だというベオールグもまた、夢を見ているのだと言った。


「このアワイに到るには、聖域の泉、あるいはそれに準ずる泉にて潔斎にのぞむか、夢の道を辿るかだ。そなたが夢というのなら、夢なのであろうな」


 つまり、私たちは同じ夢を見ているのだろうか。

 聖王の話は続く。


アワイにたどり着けるのは、創造主の末裔である聖なる一族のみ。だが、そなたは我が一族とよく似ておる。白い髪と金色の瞳がな。創造主は、別の世界からここに来た。そして、我が世界を創った。そなたは、わしよりも創造主に近いのかもしれん」


 ベオールグは、眉間の皺を刻んだままで器用に口角を吊り上げた。笑ったつもりだろうか。


「そうね、そうかもしれない。私たち空人は、空が落ちてから離散してしまったもの」


「空が落ちた? 興味深いな」


 二人きりだからしかたがない。夢の中でどんなに目覚めたいと願ったところで、どうしようもないのだから。それに、私も彼に興味がある。彼と、彼の祖先である創造主に。


「空が落ちてから、私たちの世界の大地はばらばらに解け散ったの。その時に、空人の一人がここに来たのかもしれない」


「大地が?」


「これ以上話す気はないわ」


 たとえ夢でも――いや、夢だからこそ、話したくない。

 目を伏せた私に、ベオールグはふむと落胆のため息をついた。


「では、わしの話をしようか」


「は?」


 ベオールグは器用に口角を吊り上げて、独特な笑顔を浮かべる。

 創造主の話は興味深かったけども、彼自身に興味はない。なにしろ、あんなモノを見せつけたのだから。

 けれども、ベオールグは私の乙女心なんかに気がついてくれなかった。イェンとは別の意味でうざいやつかもしれない。


「誰でもよいから、わしの悩みを聞いてほしかったところだ。わしの世界の民でないなら、話してもかまわんだろう」


 もう好きにすればいい。どうせ夢なんだから。

 適当に聞き流すしかない。

 世界を統べているのだから、そうそう悩みという弱みを話せる相手がいないのだろう。なるほど、それはたしかに私は話を聞かせるのはうってつけだ。


「我が聖なる一族は、創造主の血を守るために近親婚を繰り返してきたせいか、数が少ない。もしかすると、そのうち聖なる一族は滅んでしまうだろうな。だが、それはわしの代ではない。そう、まだ先のことだ」


 ベオールグの悩みは、別にあるらしい。

 あいづちも打たずに聞き流しているのだけど、彼は気にもとめてくれない。額の入れ墨に触れながら、彼は続ける。


「純血にこだわりすぎておるのかもしれんが、この聖紋を受け継げるのは、わしの双子の息子のどちらかしかおらん」


「……双子?」


「ああ。創造主が世界の裏側に去ってから悠久の時がたつが、聖なる一族に双子など、初めてのことだ」


 眉間の皺をより深く刻んで彼は、深い深いため息をつく。


 双子の王子。

 私は影王の姿が脳裏をよぎった。よりにもよって、影王。

 兄の輝王子きおうじの面影で塗り替えようとしたけども、できないことに気がついて、愕然とした。もう思い出せないのだ。輝王子の面影が。


 私が膝の上で拳を握りしめたことに気がつかないのか、マイペースな聖王の話は続いている。


「兄はガラム。弟はイシュナグ。仲のよい双子でな。仲がよすぎて、胸騒ぎを覚えこともあるほどだ。兄のガラムは、脆弱な人間族も他の四種族に並び立つ方法を編み出している。弟のイシュナグは、兄を心から慕っている」


 ベオールグが手を叩いた音に驚いて、顔を上げた。


 あぐらをかいているベオールグの左右に、白髪金眼の青年が立っていた。

 右に大剣を腰に佩いている生真面目そうな青年。

 左に槍を肩にあずけた人好きのする青年。


「あなたの息子?」


「そうだ。まぁ、わかるだろうが、幻だ。双子にしては、似ておらぬだろう?」


「その通りね」


 双子と知らなければ、従兄弟とか再従兄弟かと思っただろう。

 右の大剣の青年が兄のガラムで、左の槍の青年が弟のイシュナグだと教えてくれた。

 双子は見た目は、父のべオールグと変わらない若々しい青年。

 聖なる一族は、私のように時を止めてしまうのだろうか。


「それで、べオールグ。あなた、どちらに後を継がせるか、私に決めてもらいたいとか言わないわよね」


「もちろん、言わんよ」


 さすがに、そこまで図々しくはないようだ。


「なら、親バカの息子自慢?」


「言うおるな、ナージェよ。無口な娘だと思っておったが違ったようだ」


「あなたの話が長すぎて、つい、ね」


 ふっと気を緩めた笑みを作れるらしい。眉間の皺も、薄くなっている。


「親バカと呼ばれるほど、わしはよき父親ではない。わしはな、恐ろしい。なにせ、初めての双子だったからな。よからぬことが起きるのではないかと、ずっと怯えておるよ」


 私もそうだった。

 天空のユートピアで、初めて生まれた双子の王子。


 なぜ、こんな非現実的なのに現実感のある夢を見ているのか、わかった。

 彼を、私たちの地球と同じ失敗をさせないためだ。

 心臓の音がうるさい。エゴだとわかっているけども、選択を間違えないでほしい。

 夢の中なのに、喉が渇いている。カラカラに渇いている。唇を湿らせる感覚が、生々しい。


「でも、あなたは双子を愛しているのでしょう?」


「もちろん、愛しておる。やっと授かった息子たちを、愛さずにいられるか。……皆は、ガラムを聖王に望んでおる。イシュナグもだ。それはそうだろう、ガラムは弱き者に手を差し伸べずにはいられぬからな。人間族のために編み出した力は、世界すら作り直すほど強大なものだ。創造主の血脈とはいえ、並大抵のことではないことくらい、そなたにもわかるだろう」


 聖王になるために生まれてきたような息子だと、彼はどこかつまらなそうに続ける。ようやく私は、彼が言いたいことがわかった。


「でも、弟のイシュナグを聖王にしたい。そうでしょ?」


「まぁ、そういうことになるな。正しく言うならば、イシュナグが治める世界を見てみたい。いや、同じことか」


 目を伏せたべオールグの口元には、穏やかな笑みがあった。


「イシュナグは、ガラムほど優秀ではない。だが……だがな、あやつはいつも民の中におるのだ。わしやガラムのように、民の上ではなくてな。だが、イシュナグを後継者に指名して、どれほどの者が納得するか。おそらく、息子たちも納得するまいよ」


 ベオールグの深いため息に、私は自分の唇が笑みを刻んだのがわかった。


 彼は、きっと失敗しない。彼の左右に立つ双子は、幻ながらも仲のよさが伝わってくるではないか。きっと、うまくいくはずだ。


「あなたの好きにするのが、正しいと思うわ」


「簡単に言ってくれる」


 鼻で笑ったべオールグは、どこか楽しそうだった。眉間の皺が取れれば、若々しく見える。


「ところで、そなたはいつまでアワイにおるのだ?」


「は?」


 いつまでとは、どういうことだろうか?


「わしの話ばかり聞かせて気が引けるが、そなたは自分の話をしないという。ならば、ここにいる必要もないではないか」


 ベオールグの言っている意味がわからない。


「ここにいる必要はないけど、私が夢から覚めないかぎり、どうしようもないじゃない」


「なにを言っておる?」


 首を傾げたベオールグは、夢を自分で終わらせられるとでも言うのだろうか。地球とは別の世界の住人なのだから、できるかもしれない。けれども、私には無理だ。


「そうか、そなたは帰り方がわからぬのか」


 二度三度、納得がいったと大きく首を縦に振って、ベオールグは立ち上がった。


「わしは、もう戻らなくてはならぬ。答えが見つかったからには、な。感謝している、ナージェ」


「えっと……」


 やっぱり、彼は自由に目覚めることができるのだ。それは、まずい。


「ちょっと待って、私を、こんな何もないところに一人にする気?」


「ナージェ、そなたは、わしの恩人ぞ。そんなことをするわけがなかろう」


 彼の右手には、金色の冷たい光を放つ輪っかがあった。


「このチャクラムで、そなたを返してやる」


「ちゃ、く……え?」


 聞いたこともない言葉だったけども、不穏な響きを感じ取った。

 立てと促されるまま、立ったはいいけど、なんだか不安だ。

 たしかに、このマイペース過ぎる男と、何もなさすぎる世界からおさらばできるのは、嬉しい。

 目が覚めてしまえば、きっと、いつのも夢と同じように忘れ去ってしまうことだろう。


 けれども、すごい不安だ。

 頼りがいのある笑みを浮かべたベオールグは、指一本でチャクラムとやらをくるくる回している。


「そなたには、やるべきことがあるのだろう? わしにはわかる」


「あ、あの……」


 その輪っかで何をするのかと尋ねるよりも先に、金色の輪っかを回すのやめて素早く持ち替えた。

 そして――


 最後に、青い世界で見たのは、目もくらむような黄金の光だった。


 とっさに閉じた目をおそるおそる開くと、そこは渡り鳥の体内だった。


「……最悪」


 ――おはよう、ナージェ。よく眠っていたね。素敵な夢を見た?


 最悪といえば、目覚めだけではなくて、このうざったいイェン。


「まだ寝足りないわよ」


 横にした棺の上で、私はもう一度目を閉じた。


 ――ちょっと、ナージェ。そんな……


 それにしても、不思議な夢だったな。

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