Ⅱ
階層都市エルドラド
奇妙な運び屋
渡り鳥は、奇妙な鳥だ。異形の僕がいうのもなんだけど、本当に奇妙な鳥なんだ。あんな巨大な鳥は、空が落ちる前は存在しなかった。
ばらばらに解けて散った大地を隔てるなんにもにない空間を移動できる、唯一の生物。五日に一度どの街にも必ず現れるのも、奇妙な話だ。旅人は、渡り鳥に運んでもらわなれば街を離れることもできない。その運び方も、奇妙だった。渡り鳥は旅人を腹の中に入れて、運ぶ。大きなくちばしからバクリとされるのは、なかなか慣れなかった。食べられるよりも、もっと慣れなかったのは、出るときだ。旅人を一人ずつ白い卵の殻に包んで、渡り鳥は街に産み落とす。渡り鳥たちは、これを排出と呼んでいるけども、僕は今でも産卵としか考えられない。卵から孵化する美しいナージェを一度でいいから、外から見てみたい。
旅を始めた頃は、渡り鳥に彼らのことをあれこれ尋ねたりもした。
全部で何羽くらいいるのか。何を食べているのか。なんにもない空間に、食糧があるのか。そもそも、なんにもない空間とは、どんな空間なのか。――などなど。けれど、僕の疑問にまともに答えられる渡り鳥はいなかった。たいてい「そういうものだ」とか、「そんなこと、疑問に考えたことがない」といった答えしかなかった。
渡り鳥がどんなに謎多き生物だとしても、街と街を移動できるのは、渡り鳥しかいない。
話し相手のナージェはまだ夢を見ている。
僕はもうしばらく、思考をもてあそばなくてはならない。
棺に背中を預けて膝を抱えて眠っているナージェは、どんな夢を見ているのか、とか。
少し前に訪れた子どもの街で感じた世界の変容は、次の街でも起こっているのか、とか。
ナージェはまだ旅を続けるのか、とか。
ナージェはなぜ影王が空を落としたのか考えたことがあるのだろうか、とか。
ナージェの寝顔はかわいいな、とか。
ナージェはどんな夢を見ているのか、とか。
ナージェは……
とにかく、次から次へと際限なく湧き出てくる思考をもてあそぶのは、嫌じゃない。
真っ白い
『街についたぞ。お前たちは運がいい。エルドラドだ。快適な街だぞ』
淡々とした渡り鳥の声に、十人ほどいた旅人たちが歓声を上げる。
「ん?」
旅人たちの歓声はナージェの耳にも届いたようで、ゆっくりと純白のまつげに縁取られたまぶたを押し上げる。
――エルドラドだってさ。どうする? 前に一度来たことがあったよね。ひどい街だった。
渡り鳥は快適だと言ったけども、以前訪れたときはひどい空気の街だった。とても快適だなんて言えない。多くの人が肺をやられて死んでしまうような街なんか、ごめんだ。僕は大丈夫でも、ナージェの体がもたないだろう。
そんな街は、ナージェも二度とごめんに決まっているはずだ。
「んー……」
――ナージェ?
はずだったのに、ナージェは大きく伸びをしていそいそと立ち上がる。
『全員、エルドラドに降りるのだな。よしわかった』
黒い棺を背負ったナージェは、渡り鳥の言葉を否定しなかった。
――ちょ、ちょっと、ナージェ。エルドラドだよ。あの排気ガスとかでマスクつけてなきゃ出歩けなかった街だよ。影王の手がかりもなかったのに、なんでまた行くのさ。
「うるさい」
ナージェは子どもっぽく頬を膨らませて、ゴンと後頭部で棺を叩いてきた。最近は、手や足よりも彼女の後頭部の攻撃が増えている気がする。
――だから、乱暴にしないでってばぁ。わかったよ、ナージェがその気なら、しかたない。後悔しても知らないからね。
ナージェの足元から薄っぺらい白い欠片が、舞い上がる。白い欠片は、あっという間に背中の棺ごとナージェを包み込む。渡り鳥が街へ落とす卵の完成だ。真っ暗な卵の中に、渡り鳥の声が聞こえてくる。
『では、排出するぞ』
それが、渡り鳥たちの別れの挨拶だ。
渡り鳥に礼を言えなかったと後悔していた旅人を知っているけども、そもそも渡り鳥たちは僕ら旅人をどうとらえているのだろうか。
そもそも、渡り鳥たちはどうして旅人を体内におさめて運ぶのだろうか。
当の渡り鳥たちが、そういうものとしていることを、僕はどうしても気にしてしまう。
だって、渡り鳥はもしかしたら――
ナージェを襲う浮遊感。
慣れているはずなのに、体をこわばらせる彼女を支えてあげたいけど、あいにく今の僕には手がない。
浮遊感の次は、足元に軽い衝撃。
「ふぅ」
こわばらせたときに息を止めていたのか、ナージェが安堵の息をつく。
音もなく粉々に砕けて消えていく卵の殻。
頬を軽く緩めた彼女が、完全に殻が消える前にまた息を止める。
――だから、エルドラドはやめた方がいいって……あれ?
「ん?」
塵や埃だけでなく、有毒なガスで暗く汚れていた大気は、卵の殻が消え去っても襲いかかってこなかった。
「すげー。これが階層都市エルドラドかよ」
旅人の一人が感嘆の声をあげた。
――信じられないや。これが、あのエルドラドだなんて。
「そうね、信じられないわね」
ナージェは胸いっぱい吸い込んだ綺麗な空気を感嘆の声とともに吐き出した。
渡り鳥が卵を落としたのは、灰褐色の空き地。
鋼材の外壁に三方を囲まれて、一方にはナージェの背丈ほどの鉄柵がある。転落防止のための柵だ。以前来たときは、錆びついててちょっとでも力を加えれば簡単に外れてしまうような柵だったはず。それが、どうしたことだろう。
旅人の浅黒い青年が鈍く光る柵に体重をかけて身を乗り出しても、びくともしないではないか。
――ナージェ、渡り鳥が言ったとおりかもしれないね。
「うん」
青年に続くように、ナージェを含めた旅人が横一列に並んで、柵の向こうに広がる景色に、ただただ感嘆の息をもらす。
巨大な穴の壁面に積み上げられた街は、旅人たちの目には奇妙に映ったはずだ。僕とナージェは、積み上げられた街が階層となって、エルドラドが階層都市と呼ばれる所以だと知っている。
僕らがいる空き地は、出っ張ったり引っ込んだりしている階層の、ちょうど張り出した部分だった。
空き地から見える都市部には、滑らかに動く鋼鉄の四角い乗り物が人を運んでいるのが見える。以前来たときは、真っ黒な煙を吐き出していた自動車と呼ばれる乗り物が、今では車輪すらない。
目を丸くして柵から身を乗り出していると、背後からシュっという空気音が聞こえてきた。
「階層都市エルドラドに、ようこそ」
振り返った僕らに、安心させるための笑顔を浮かべた少女は、歓迎の言葉を口にした。長い長い旅をしてきたけども、こんなに無感情な歓迎の言葉を聞いたのは初めてだ。
「私は、旅人の皆さんを案内する機械人形。まずは、この街の説明を行います。こちらへどうぞ」
丁寧にお辞儀をした彼女が、機械人形だなんて信じられない。
エルドラドはどうなってしまったんだ。
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