黙々と、淡々と、機械的に

 夜の偽空ぎそらで規則正しく明滅していた星明りが、ひとつ、またひとつと数を減らしていく。すずの月を吊り下げていた鎖の根本にぽっかりとあいた四角い穴の向こうは、。するすると滑らかに、冷たい錫の月はに引き上げられていく。そして、何ごともなかったかのように、偽空の四角い穴は塞がれる。

 昨日もそうだったけども、錫の月と偽空の向こうのに気を取られている間に、偽空は藍色から空色に色を変えていた。

 東の空のから、軌道に乗った真鍮の太陽がまもなく顔をだすだろう。


 ――まったく、ふざけた街だよ。


 ハリボテの偽空に蓋をされた玩具箱の中にいるようで、不快感だけが募る。

 ばらばらに解け散った大地を隔てるには、旅人を運ぶ渡り鳥しかいないとわかっている。それなのに、あの安っぽい義空の向こうで、巨人の子どもがネバーランドという舞台を作り上げて、人形遊びをしているのではと、くだらない想像をしてしまう。


 真鍮の太陽が、半分ほど顔を出した頃、時計塔から鐘の音が響いてきた。起床の鐘だ。

 子どもの街ネバーランドの一日が始まった。

 つまり、ナージェの一日も始まったわけだ。


「おはよう、イェン」


 ――おはよう、ナージェ。


 ナージェは、僕のことを好きになってくれないけど、あいさつは欠かさない。それが彼女らしくて、僕は嬉しい。

 まだ眠たそうに目をこする姿。顔を洗う姿。ネグリジェを脱ぎ捨てて、ワンピースに着替えるまでの、つかの間のあられない姿。何万回ながめても飽きないナージェの姿に、僕は充実した朝を迎えられた。


 ナージェの着替えを堪能したあとで、僕はこの街の奇妙さを語った。


 ――この街って、本当にハリボテ。ふざけてるのってくらい、ハリボテ。偽空だけじゃなくて、この街の全部がハリボテっぽい。


「そう、ね。私も、そう思うわ」


 ドレッサーの鏡に向かって、ナージェは白い髪に丁寧にブラシをいれている。

 そんなことをしなくても、彼女の髪はいつも素敵なのに。


 ――それから、昨夜の悲鳴。いつの間にか鍵をかけられていたこと。


「時計塔に向かう道のことも、ね。ところで、イェン。私、いいこと思いついたのよ」


 ――いいこと?


 ブラシを置いたナージェが、左の口角を吊り上げて笑っていた。

 嫌な予感しかしない。


「今日一日、棺をこの部屋に置いておくの」


 ――いやいやいやいや! ナージェ、それは駄目だって! 僕を置き去りなんて、絶対に駄目だって!!


「どうして?」


 わざとらしく僕に向かって小首を傾げるナージェは、本当に愛らしい。でも、置き去りなんて、駄目だ。


 ――どうしてって…………ナージェこそ、どうして僕を置き去りにしようなんて考えたの?


「それは、この部屋を掃除してくれる誰かを見張ってもらうためよ。昨日は、私がいない間に、この部屋を掃除してあったわ。大人がいるかもしれない。君に確かめてもらうの」


 ――それはわかるけど、駄目だよ。ナージェ、仮に大人が来ても、僕は見てることしかできない。万が一、棺が壊されるようなことになったら、どうするの?


 やれやれとナージェが肩をすくめていると、部屋の外が賑やかになってきた。


「なら、半日にしましょう。昼に一度戻ってくるわ」


 ――そういうことじゃなくて、棺を置きっぱなしにしないでって、僕は言っているんだけどね。わかってるよね?


「じゃあ、やっぱり一日お願いね」


 ――だからぁ、どうしてそうなるの!


 パタパタと廊下で足音が近づいてくる。昨夜ナージェが壊した扉に、女の子たちが悲鳴とも歓声ともとれる甲高い声をあげた。


「ナージェ、何があったの?」


「ナージェ、大丈夫?」


「ねぇ、ナージェ……」


 ナージェが愛されているのはよくわかるけど、面白くない。

 口元を緩めた彼女は、足早に廊下に顔を出す。


「大丈夫。みんな、おはよう」


「よかったぁ」


「びっくりしちゃったよ、ナージェ」


 行ってしまった。

 無情にもナージェは僕と棺を残して、行ってしまった。


 すぐに窓の外の広場に女の子に囲まれたナージェが、隣の食堂に行く姿が見えたけども、ほんの束の間のことだ。


 ――本当に、大丈夫かなぁ。


 不安だ。


 ナージェは、時々無茶をする。綿密な計画を立てる時間があったら、無茶でもいいから行動する。それが、美しい姿からは想像もできない彼女らしいところだ。

 昨夜も扉を壊す必要はなかった。彼女なら、簡単なまじないで、解錠できたはずだ。それなのに、叩き起こされて機嫌が悪かったのか、なんなのかはわからないけども、よりにもよって棺で扉を壊した。


 ――僕、ナージェのやることが恐ろしいくらい乱暴で危なっかしくて、時々心配になるよ。自覚あるのかな。


 子どもたちはみんな食堂に集まったせいだろうけど、広場も街も静まり返っている。


 時計塔の針は、いまだにその動きの規則性が理解できない。おそらく、ずっと理解できないまま街を去ることになるだろう。


 渡り鳥は五日に一度必ずやってくる。もし、次の機会を逃しても、必ず五日に一度はやってくるから、その時を待てばいい。

 ただ、気がかりなことが一つだけある。ナージェが、この街に来てからずっと楽しそうだということだ。この街が気に入ったなら、それでもいい。彼女が旅をやめると決断してくれたら、それはそれで嬉しい。こんな終わりのない旅を、僕はいつまでも続けたいわけじゃない。子どもは苦手だけど、彼女が旅をやめるなら、子どもたちなんてどうでもいい。


 ナージェは、よくやってくれた。

 もう充分すぎるくらい、罪は償っただろう。

 旅を終わらせても、誰も彼女を責めたりしない。


 ――でも、僕は、諦めの悪いナージェも大好きなんだよなぁ。


 今朝の着替える姿を思い出しながら、彼女に思いを馳せる。

 と、ふいに廊下からカラカラという音が聞こえてきた。ワゴンでも押している音だろうか。足音はまったく聞こえないけども、気配はする。


 ――なんだ。やっぱり子どもたちだけじゃなかったね。


 棺に触れられても何もできない危機感と、どんな奴らが来るのかという好奇心が混ざり合い、心が躍る。なんだかんだで、ナージェがちっとも解き放ってくれないから、刺激に飢えているんだ。

 けれども、その興奮も奴らが部屋に入って来るまでだった。


 白いツナギ、白い長靴、白い手袋。

 やってきた三人の大人たちは、全員真っ白なそろいの装束に身を包んでいる。

 三人とも、性別がまったくわからない。いや、男とか女とか、どうでもいい。こんな不気味な連中は、人と呼びたくない。


 白服に身を包んだ奴らは、三人とも毛髪がなかった。剃ったわけではないだろう。まるで、どこかの街で見かけた死に至る病の初期症状のように、髪が全て抜け落ちたように見える。

 なんにせよ、髪の毛だけではなく、眉毛まで抜け落ちた顔は、無機質なまでの無表情が仮面のようにはりついている。


 ――まるで、幽鬼みたいじゃないか。


 黙々と三人の白服たちは、部屋を整えていく。

 ベッドの上に脱ぎ捨てられたネグリジェが、持ち込んだランドリーバスケットに放りこまれる。

 ドレッサーの上に置かれたブラシに絡まった白い髪も、一本も残さずワゴンのゴミ袋の中へ。

 扉も、新しいものに取り替えられていく。


 黙々と、淡々と、機械的に。


 これがエルドラドやティル・ナ・ノーグの機械人形だったら、まだ怖くなかった。

 けれども、白服たちは機械人形ではない。間違いなく生きている。息をしているし、肌の内側に血が流れているのがわかる。

 不気味で異様な白服に、僕はすっかり震え上がっている。


 ――ナージェ、早く戻ってきてよ。棺が壊されたりしたら、恨むからね。絶対に、恨むからね。大好きなナージェでも、許さないからね。


 僕は解き放たれていない。

 もし、白服たちが棺に触れて破壊でもしようとしたら……いや、そんなことあっては困る。非常に困る。自衛手段はあるけど、使いたくない。


 ――だから、ナージェ。今すぐに戻ってきてよぉおおおおおお。


 黙々と、淡々と、機械的に。


 不気味な白服たちは、部屋を綺麗に整えていく。それこそ、人がいたという生活感すらも、残らず排除していくかのように。


 白服たちは、何度も窓際の棺に触れそうな距離まで近づいてきた。その度に、届かないとわかっていながらも、ナージェの名前を叫び助けを求めた。


 ――こいつら、生きてるよ。人格もあるよ。やばいよ、やばいよ、やばいよ。


 かつて空人の中でも禁忌とされていた人を意のままに操るまじないのように、白服たちに意思が感じられなければ、こんなに恐ろしくはなかった。

 近づいてきた時に、そうではないとわかってしまった。

 生気を欠いた淀んだが、棺に戸惑い揺れたのを見てしまった。


 黙々と、淡々と、機械的に。


 機械人形だったら、どんなによかったことか。

 これが、ネバーランドの子どもたちが大人になった姿だというなら、どうすればここまで自分を殺せるのだろうか。


 ――ああ、そうか。影王か。


 影王の言葉がよみがえる。


 


 そういうことなのだろうと、予想はしていた。

 けれども、ここまで不気味な白服のように自分を殺してまで、子どものために働いているとは。


 ――ナージェ、早く戻ってきてよぉ。


 黙々と、淡々と、機械的に仕事を終えた白服たちは、新しいネグリジェをベッドの上に置いて、カラカラとワゴンを鳴らしながら出ていった。


 しばらくして、昼食の鐘がなった。白服たちがいた時間は、僕が感じていたよりもずっと短かったようだ。

 窓の外の偽空を進む真鍮の太陽は、まだそれほど高くない。

 広場では、子どもたちが遊んでいる。


 昨日までは気に入らなかったハリボテの街並みも、子どもたちも、白服たちにくらべたらマシに見えた。


 ナージェが戻ってきたのは、錫の月が現れた頃だった。

 取り替えられた新しい扉を、彼女は興味深そうに眺めている。


 ――待ちくたびれたよ、ナージェ。


「待ちくたびれたというほどでもないわ。大げさすぎるわよ」


 ――ナージェも、白服を見ればわかるよ。こんな街、早く出ていきたい。出ていかないと、やばいって。


「ふぅん」


 ベッドに腰を下ろしたナージェは、唇を指でなぞる。


「イェン、君もわかっているはずだよね。渡り鳥が街にやってくるのは、五日に一度。次にやってきて、私たちを街の外へ運んでくれるのは、三日後」


 ――それは、そう……でも、これ以上、この街のことを探るのはやめよう。絶対にやばいから。


「話して。イェン、何がそんなにやばいのか、話して」


 ナージェの声が、凛と部屋の空気を震わせた。

 有無言わさない響きよりも、この街を探るという強い意思に、僕の心は揺れた。

 けれども、白服の話をすれば、ナージェは間違いなく黙ってこの街を去らないだろう。わかっている。

 とはいえ、話さなかったら話さなかったで、僕を置き去りにして無茶をするだろうことも、わかっている。


 結局、僕は白服に対する得体の知れなさを抱えこむなんてできなかった。

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