第1861階層

 車の中は、二人がけのソファーが向かい合っている狭い個室みたいだった。棺は、ナージェの足元に置いてある。

 向かい合わせに座ったマギは、ずっとあの金属板の上で指を踊らせている。きっと、彼には沈黙のほうが好ましいのだろう。何度か、その手のひらよりもちょっと大きい金属板をのぞき込んだけど、それが何なのかさっぱりわからなかった。文字だとわかるんだけど、僕が知っている文章になっていない。


 しかたないから、窓の外を眺める。

 クリーム色のトンネルの中みたいだ。すれ違う車。等間隔で進む前後の車。脇道に消えていく車。脇道から等間隔の列に加わる車。車。車。車。車。車…………。人間の姿はどこにもない。


 ――なんだか、上手く言えないけど、ゾワゾワするね。ねぇ、ナージェ。


 なんだかナージェの様子がおかしい。窓の外に目もくれずに、心なしか青ざめた顔で、何かに耐えているように見える。


 ――ナージェ、どうしたの? 大丈夫?


 ナージェは、マギの足元に視線を固定したまま、足元に横にしている棺を蹴った。黙れということなんだろうけど、弱々しい蹴りだった。

 向かいの小憎たらしい少年が、ナージェの不調に気がついてくれないと、どうしようもない。今の僕は、無力だから。

 僕の思いが伝わったわけじゃないだろうけど、マギは舌打ちをした。


「また、エラーかよ」


 悔しそうに鼻を鳴らして、彼は金属板をポケットにしまって顔を上げた。悔しそうだった彼は、ナージェの青ざめた顔を見るなり、身を乗り出してきた。眼鏡の向こうの目は、ちっとも眠そうじゃない。


「……あんた、もしかして、具合悪いの?」


「…………」


 ナージェは、答えない。答えられなかったのかもしれない。


「マジかよ、勘弁してくれよ。……ローディ、乗り物酔いの薬くれよ」


 車の中には、マギとナージェ、それから棺に縛られた実体のない僕だけだ。ローディと呼びかけた人物は、どこにもいない。それでももしかしたらと、キョロキョロ探していると、ピッて音が天井の方から聞こえてきた。しっかり見えなかったけど、音と同時に何か小さいものが落ちてきて、マギの手がキャッチしていた。小瓶だったようで、蓋を外した彼はナージェの手に握らせる。


「ほら、これ飲めよ。ゲロなんて、マジ勘弁だからな」


 透明な液体の入った小瓶のを握らされたナージェは、青ざめた顔で怪訝そうに顔をしかめる。彼女の心中を察したマギは、小瓶を握らせた手を強引に口元に突きつける。


「毒じゃねし。水薬だし、具合悪いんだろ。さっさと飲めよ」


 マギの真剣な声に、ナージェは恐る恐る小瓶を傾けた。嘘がわかってしまう彼女のことだから、マギを疑ったわけではないはずだ。ただ、突然天井から降ってきた水薬が信用できないだけだろう。それにしても、ナージェはものすごく不味そうな顔をしている。


 ――大丈夫? 大丈夫じゃなかったら、僕を解き放ってね。五階層分くらい破壊してあげるから。


 さっきよりも強く棺を蹴ってきた。水薬を飲み干したナージェの顔は、生彩を取り戻し始めていた。

 大きく息を吐きだしたナージェは、ムスッとマギをにらむ。一瞬怯んだマギだったけど、すぐに眠そうな目に戻ってしまった。


「吐き気、おさまってきただろ?」


「ええ、おかげさまで。ありがとう」


 きっと、そうとう不味かったんだろうな。そういう顔をしている。ただ、薬がよくきいたのは確かなようで、文句が言えないのだろう。だから、ナージェはムスッとしたままだった。


「それで、ローディって誰?」


「いきなり、質問? めんどくさいなぁ」


 頭をかきながら、マギは単位を落とす訳にはいかないしとか、ブツブツ口の中でつぶやいた。


「この車の名前だよ」


「車の?」


「正確には、車の制御装置だけど、説明してもわからないだろ」


 ナージェは説明を求めなかった。息を吐いて背もたれに体を沈める。


「たしかに説明されても困るわ。どうやらエルドラドは、他の街に比べて機械文明が発達しているようね」


「みたいだね。移民が増えることはいいことだよ。なんたって……いや、あんたは旅人なんだから関係ないか」


 何か大事なことを、マギは言いかけたような気がする。ナージェもそのことに気がついてるはずだけど、ふれようとしなかった。


「けど、機械人形を破壊したら殺人と同等の罪ってのは、いくら機械文明が発達してもどうかと思うけどね」


「エルドラドの外から来た人は、みんな最初はそう思うみたいだね。でも、機械に人間と同等の権利と責任を与えたから、エルドラドはここまで発展できたんだ。人間と機械は対等でなくてはならない。人間が機械を開発して、機械が人間を支える。今はまだ機械が人間に使われているのは否定できないけど、すぐに機械を使うなんて、この街では考えられなくなるはずだ」


 マギは熱弁を振るっていた。正気を疑いたくなるような内容だったけども、彼は真剣だった。


「あんただってゲロ吐かなくてすんだんじゃないか」


「そう、この小瓶の中身も、機械の恩恵だったのね」


「そういうこと。だいたい、旅人なんだからいちいち突っ込まないでくれる?」


「それは無理ね。さっきも言ったはずよ。私はたくさんの街のことが知りたいの」


 肩を落としたマギは、口の中でめんどくさいとつぶやいた。


「そうそう、君、さっき何か言いかけたようだけど、もしかして移住希望者が喜んで行った第1759階層の労働って死ぬほどきついんじゃないの?」


 マギは気まずそうにうつむいた。


「……なんで、そう思うんだよ?」


「前に来たことがあるって言ったでしょ。その頃も、一部の人間は、この街の外縁部で資源の発掘で酷使されていたの。私にこの街を説明してくれた機械人形よりも、ずっとずっとひどい扱いだったわ。移民が増えれば、資源の採掘に困らないものね」


 ナージェに言われて、僕も思い出した。以前訪れたときに、旅人に問答無用で重労働を強いていたんだった。廃棄階層のすぐ上の実質最下層に、肉体労働に向かないナージェも連れて行かれそうになったんだった。もちろん、まじないを使って、上の階層に逃げたけど。

 エルドラドは、排気ガス以外にもいろいろと嫌な思い出しかなかったから、そんなことすっかり忘れていた。


「それも、他の旅人から聞いたんだろ? さっきの公害時代の話だって、そうに決まってる。もう四世代も前のことなんだから」


「信じてもらえないなら、しかたないわ。諦める。でも、移民が重労働をさせられるのは否定しないのね」


 答えずに鼻の頭をこすりながら、マギは窓の外に目をそらした。それは、無言の肯定だった。ナージェもつられるように初めて車の外に目を向ける。

 あいかわらず、車、車、車……、それからクリーム色のトンネルの壁ばかり。


「別に上の階層に上がれないわけじゃないんだ。……十年に一人くらいは、ノルマを達成して本当の市民になるやつもいるんだ」


 しばらくして、ポツリポツリと、マギはひとり言のような言い訳を始めた。


「しかたないじゃん。何度も、機械に任せようって話はあったんだ。でも外縁部の採掘場は、原因不明の機械の故障ばかりで、効率が悪いんだ。でも、資源がないとエルドラドは成り立たないし……」


 マギは、意外と繊細で素直なのかもしれない。少なくとも、移民たちへの仕打ちに心を痛める程度には。

 以前来たときには、そんなことを考えるような住人に出会わなかった。死ぬほどの重労働を強いられなくても、住人たちは生きていくのに必死だった。鉱物やガス、液体燃料などの資源の活用方法を研究して、よりよい暮らしを手に入れるために、他人に心を痛める余裕などなかったのかもしれない。


「別に、君を責めているわけじゃないわ。私はただ知りたかっただけ。喜び勇んで、移住した彼らが、どうなったのか知りたかっただけよ。気分を悪くしたなら、謝るわ。ごめんなさい」


 返事はなかった。ただマギは口を閉ざして、外を眺めているだけ。


 ――なんだか、変わったように見えて、変わってないところもあるんだね。


 ナージェは僕だけに伝わるように、小さくうなずいた。

 沈黙が続くけど、嫌な沈黙じゃなかった。マギに、人間らしさを見出みいだせたおかげだろうか。

 車、車、車、車……無個性な車の流れは、まるでマギの言い訳すらも押し流すようだった。


 しばらくして、車が脇道にそれた。クリーム色一色だった壁面が、緑色に変わる。そして、ようやく車が止まった。


「ついたよ」


 緑色の壁にはめ込まれた茶色い扉。その向こうが、僕とナージェのホームステイ先らしい。

 先に降りたマギに続いて車から降りようとして、ナージェはふと思い出したように首を軽くかしげた。


「そういえば、君の他に家族は誰がいるの?」


「すぐにわかるよ」


 ため息をついて鼻の頭をこすったマギは、困ったように目をそらす。

 おい少年、なんで目をそらしたんだ。


 ――なんか嫌な予感がするよ、ナージェ。


 ナージェは返事の代わりに、棺を蹴った。薬のおかげで、ずいぶん力がこめられていた。


 ――はいはい。黙ります。


 まったく面白くない。

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