失望

 心待ちにしていたご褒美も、今回ばかりはあまりうれしくなかった。

 自分によく似た存在と別れるのが、辛かった。


 渡り鳥がやってくる前日に、ホームステイは終了だと、あらかじめ聞かされていたっけか。最終日は、渡り鳥の卵が落ちた空き地の側の施設で、過ごさなければならないらしい。


 僕らは車に乗って、姉弟の家を離れる。

 この街に来てよかった。

 ナージェに現実を突きつけることができたし、罪にも気がついたはずだ。これで、旅を終わらせられる。あとは、彼女に真実を突きつけて……。 


「まだ時間はあるから、少し寄り道しようか。ロディ、適当に走り回って時間ぴったりに管理局につくようにしてね」


 バカ女の声が、僕の思考をさえぎった。


「そうそう、実はこの車の制御装置のロディも、人工知能が使われているんだよ」


 初日のまずい水薬を思い出したのか、ナージェは苦々しい表情を浮かべる。


「この街は、本当に機械と共生しているのね」


「だから、機械は使う道具であるべきじゃないんだよ」


 今日も大きすぎるセーターの袖口で、マギは鼻の頭をこする。


「機械は人間がいないと存在意義がないし、人間は機械がないと生きていけない。だから、対等でなくちゃいけないんだ。反体制派なんて、もってのほかさ」


 ――やっぱり、機械と人間が対等って極端すぎるよ。ね、ナージェ。


「イェンが、極端すぎるって」


 ――ちょっと、ナージェ。


 僕はナージェに同意を求めただけなのに、ひどいや。

 バカ女にクスって笑われたじゃんか。


「たしかに、そうかもしれない。……でも、このエルドラドでは、そうでなくちゃいけないんだ」


 後半は、まるでバカ女自身に言い聞かせているような感じだった。


「実はね、あたしたちのパパとママは、第1858階層の縫製工場の整備士だったんだ」


 バカ女のくせにやけにしんみりとした口調で語り始めた。弟のマギは、窓の外の車を眺め始める。


「ここよりもたった3階層下なんだけど、ぜんぜん違うの。マギは覚えていないけど、あたしは覚えている。こんな快適な車なんて見たことなかった。食べ物だって、泣いちゃうくらい不味いの。でも、嫌じゃなかった。パパもママも忙しかったけど、あたしたちを施設に預けたりなんかしなかった」


「でも、マナさん……」


「ごめんね、ナージェちゃん。あまりパパとママのこと思い出したくなくて、嘘ついちゃった。でも、効率がいいってことで、育児施設に預けるのは、どの階層でも一般的なことだよ。そんな中で、パパとママはあたしたちを育ててくれたんだ」


 きゅっと窓に映るマギの顔が険しくなる。


「だから、将来はあたしもって考えていた頃もあったんだ。でも、マギが生まれてすぐだったんだ。パパとママが事故で……」


「あんなの、事故って言わないだろ」


 バカ女の苦々しい表情が、弟を肯定していた。


「でも、事故ってことになっている。上の連中は、反体制派のテロの成功なんて認めたくなかったんだよ。今は事情が違うけどね……あ、ごめん。また、ナージェちゃんには関係ない話、聞かせちゃったね」


「ううん。気にしてない」


「じゃあ、続けてもいいかな。なんだか、ナージェちゃんに聞いてほしくなっちゃった」


 ナージェはこくりと首を縦に振る。

 聞いてほしいと、旅人に胸の内を打ち明ける人間はたくさんいた。住人には言えないことも、旅人なら大丈夫。バカ女もそういった人間の一人だった。肩の力が抜けているのが、何よりの証拠だ。


「パパもママも、整備士の仕事が好きだったみたい。いつも、機械を大切にって言っていた。機械のおかげで、清潔な服が着れるんだって、誇らしそうだった。あたしは、そんなパパとママが大好きだった。でも、その繊維工場が反体制派に襲撃されて、巻き込まれて死んじゃったの。許せないよ、その反体制派が使った爆弾だって、立派な機械なのに」


 そののあと、保証金とやらでこの階層に姉弟はやってきたらしい。


「あたしたち、このエルドラドを変えるよ。必ずアルゴを完成させる。移民の待遇とか、このヒエラルキーだって変えてみせる。だから、ナージェちゃん、その頃にまたエルドラドに来てよ」


 バカ女の赤い目が、潤んでいた。この姉弟はまだ若い。まだ大人とは呼べない。そんな彼らが、この街を変えたいと言っている。

 その思いは、僕が想像しているよりもずっと強くて熱いんだろう。

 正直、ちょっと胸を打たれた。

 いやらしいおっぱいのバカ女じゃなかったらしい。


 窓の外を眺めていた弟のマギも、鼻の頭をこすって身を乗り出す。


「それで、もしよかったら住人になってくれよな。ナージェちゃんだけじゃなくて、イェンくんも大歓迎だから。僕らがいなくても、アルゴがいるから」


 ナージェは、姉弟にこたえるように笑った。


「約束はできないけど、この街にまた来たい。そう思っているよ」


 それはきっと嘘だ。

 だって、なんだかんだで、この街でナージェはさんざん打ちのめされているはずだから。本物の空を知らない人間たちにとって、空を取り戻すということがどういうことなのか。それから、まだ罪を犯していない人間の運命を決める罪深さも、この街で気がついたはずだ。


 車から降りたときも、ナージェは笑顔だった。作り笑いかどうか自信ないけど、強がっているに違いない。


「じゃあね、ナージェちゃん、イェンくん」


 車の中から手を振る姉弟の声が揃う。

 本当に仲のいい姉弟だ。

 もしかしたら、本当にこの街を変えられるかもしれない。この街がその時まであればの話だけどね。

 姉弟を乗せた車はすぐに他の車に押し流されるようにして、見えなくなった。


 すっと音もなく近づいてきたのは、少女の姿をした機械人形だった。


「ナージェさま、お待ちしておりました」


 機械人形に向き直ったナージェは、もう笑っていなかった。


 それから半日、ナージェはこの街に移住するか確認されたり、滞在の感想など、いくつかの質問に答えていた。

 あらためて、ナージェに移住する意志がないと確認した機械人形は、狭い個室に案内してくれた。


「あの姉弟の夢が叶うといいね」


 提供された例のドリンクを飲み干したナージェが、ポツリとつぶやいた。


 ――そうだね。あのバカ女、意外とできるかもね。


 ナージェは、棺の隣に横になった。


「イェン、君、最後までマナさんを名前で呼ばなかったね」


 彼女は目を閉じた。

 どうやら、お休みのようだ。


 ――おやすみ、ナージェ。よい夢を。



 翌朝早くから、ナージェはこの街に降り立った空き地で渡り鳥を待っている。待っているのは、僕らだけだ。一緒にやっていた旅人は、みんな今ごろ最下層で過酷な労働をしていることだろう。そして、この街から出ていく者もいない。反体制派だとかいう連中も、結局のところこの街を捨てきれないのか。


 ――ナージェ。僕はこの街に来れて、本当によかったと思うよ。


「そうでしょうね。初めてのお友達もできたみたいだし」


 ――初めてじゃないよ、僕にはちゃんと友達がいるし……ってか、ナージェは僕のこと友達だと思ってないの?


 無言の肯定。

 わかっていたけど、辛い。傷つくなぁ。


「ねぇ、イェン」


 ――なに? 今からでも、友達にしてくれる?


「ありえないわ」


 ひどすぎる。そういえば、今までナージェの口から僕をどう思っているのか、聞いたことがなかった。大好きなナージェから、はっきりと嫌いだなんて言葉を聞くのが怖くて、訊いたこともなかったんだ。今でもだけど。


「イェンは、私の……」


 ――あ、ちょ、ちょっと待って、待って、心のじゅん……


「私の相棒じゃないの?」


 ――あ、そ、そうだね。


 焦って損した。

 相棒、か。正直、ちょっと微妙だ。嫌われていないだけマシかもしれないけど、心を開いてくれていないような、そんな感じがしたんだ。


「そんなことはどうでもいいけどね」


 どうでもよくないと思います。


「ねぇ、空を取り戻す意味ってあるのかしら?」


 思わず、笑ってしまいそうになった。ずっとずっと、聞きたかった言葉がようやく聞けた。


「少し前から、考えてはいたの。もう、誰も本物の空を見たことがある人なんていないし、どんなに過酷な環境でも、みんな生きている。この街もそうだったわ。大地が再編されることなんて、きっと誰も望んでいない」


 ――そうかもね。


 神妙にそう答えるのが、やっとだった。


 柵から身を乗り出して、眼下の宇宙を覗きこむナージェの横顔は、とても悲しそうだった。伏せられた目には、この景色がどんな風に映っているのだろうか。


「マギくんに言われてしまったね。アルゴが完成して、この街の移民の仕組みを変えた頃に、また来てほしいって。その時は、イェンも一緒に暮らそうって」


 ため息を一つついてナージェは頭上の宇宙を見上げる。渡り鳥はまだ来ていない。


「それも悪くないかなって、思ってしまったの」


 ――僕もそう思うよ。


 神妙なふりをするのが、きつくなってきた。やっと、やっと、待ち望んだ言葉が聞けるかと思うと、笑いだしてしかたないんだ。


「でも、まだ旅を続けるわ」


 ――え?


 それは、僕が望んでいた言葉じゃないよ、ナージェ。


「もしかして、旅をやめるとでも思っていたの?」


 ――う、うん。


 クスッと可愛らしい笑い声も、今はちっとも魅力的じゃなかった。


「私の予言がなければ、大地がばらばらに解けて散ることはなかったの。誰も望んでいないかもしれない。再編されれば、犠牲が出るかもしれない。でも、偽空はあくまでも偽りの空で、正常な状態とは呼べない。いつか、歪みが生じるはずよ。そしてそれは、街の崩壊を招く。イェンも見てきたはずよ。このエルドラドのように素敵な街だけじゃない。多くの街が、崩壊の危機にいつも怯えていた」


 そんな、ナージェはもう自分の罪に気がついてたっていうのか。


「もうすでに、空が落ちたあの日、多くの命が奪われたのよ。私には贖いきれない罪があるの。空を取り戻すことで、また犠牲になる命があったとしても、私には空を取り戻す責任があるの。だから、旅は続ける。この街に来て迷ったりしたけど、決意を新たにできてよかったわ」


 ――そ、そっか。それはよかったね。


 全然よくないよ、ナージェ。不正解だ。そんなことで、君の罪が軽くなるわけがない。


「イェンがアルゴに言っていたみたいに、私も双子に可能性を与えてあげればよかったのにね」


 僕は今、ナージェに失望している。

 そんな悠長なことを言っている場合じゃない。世界が変容しているんだよ。君がさっき言ったじゃないか、歪みが街を崩壊させるって。もうすでに、始まっているんだよ。それなのに、まだ空を求めるっていうのか。


 たしかに、僕がナージェに影王を殺して空を取り戻すために旅をしようとそそのかした。だけど、それは君に自分の罪に気がついてほしかったからだ。


「渡り鳥が来たわ」


 翼の音に、ナージェの顔がほころぶ。


 ――そうだね、やっと来たね。


「次の街こそ、影王を見つけてやるわ」


 ――そうだね、次こそは見つけられるよ。


 何度も繰り返し口にしてきた気休めにもならない安っぽい台詞。けれども、いつものほの暗い優越感はなかった。


 渡り鳥から卵が降ってくる。ナージェの指笛が響き渡る。


 悪いけどナージェ、次の街はないから、ね。

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