ナージェの夢

渡り鳥

 渡り鳥に飲みこまれるのは、いつまでたっても慣れない。

 排出と渡り鳥がいう産卵は、慣れたくない。人間は卵から生まれるものではないから、生理的な嫌悪をもよおすのだろうか。

 渡り鳥が羽ばたく音が聞こえてきた。どんな街だろうと、不思議と力強いその音を聞き逃したことがない。


「来たわね」


 人差し指と親指で輪を作って、くわえる。

 最初はちっとも音が出なかった指笛も、ひと吹きできれいな音が出るようになった。

 私に指笛を教えてくれた人は、安住の地を見つけられただろうか。どうでもいいか。どのみち、彼はもう死んでいるのだから。どんなに長く生きたとしても、私ほど長く生きている人間はいない。


 甲高い指笛にこたえるように、頭上から卵が三つ降ってくる。


 さようなら、エルドラド。もう二度と来ることはないでしょう。

 マナさんたちは、本当にいい人たちだった。見ず知らずの旅人の私に、あんなに良くしてもらえるなんて。


「その名は、強力なバネ」


 呪いを唱えて、地面を軽く蹴る。

 それだけで、高い柵を飛び越えられる。


 髪がふんわりと舞い上がる。

 空色のワンピースの裾も膨らむ。

 はるか眼下に広がる宇宙の、星の渦がしっかり見える。

 頬が裂けそうな空気の抵抗。

 空がなくても、太陽がなくても、影はちゃんと私を覆う。

 そう、渡り鳥の影だ。振り返らなくてもわかる。

 渡り鳥が、大きなくちばしを開けて、そう――


 バクン


 やっぱり、飲みこまれるのは慣れない。


 一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと、次の瞬間には真っ白な空間が広がっている。私は、渡り鳥の体内で立っていた。


「みんな、エルドラドに降りたみたいね」


 私以外誰もいない空間を見渡して、棺を下ろす。

 珍しく、うざいイェンは黙ったままだ。

 どうやら、さっき私が言ったことが気に障ったらしい。見えなくても、声が聞こえなくても、伝わってしまうものがあるのだと、イェンは気づいていないのかな。

 やれやれだ。


『ああ、エルドラドと教えた途端、みんな降りてしまったよ』


「渡り鳥?」


 男とも女とも判断がつかない渡り鳥の穏やかな声がした。

 渡り鳥が、自分から声をかけるなんて珍しいなんてものじゃない。


『これで何度目かな、君を乗せるのは。永遠の少女よ』


「さぁ。私も数えていないし、渡り鳥の区別がつかないもの」


 渡り鳥とまともに会話をするのは、初めてだ。

 イェンに言われるがまま旅を始めた頃は、奇妙な渡り鳥にあれこれ尋ねたりもした。あまりにも会話が弾まなかったとしか、覚えていない。


『では、私に与えてくれた名前も覚えていないのかな?』


「名前?」


 寂しそうに言われて、記憶の引き出しを探り出す。

 そういわれてみれば、渡り鳥に名前をあげたことがあったような覚えがある。渡り鳥たちには、個を判別する名前がないと聞いたときに、一羽だけ名前をつけてあげたのは、思い出せた。けれども、肝心の名前が思い出せない。


「イェン、覚えてい……あれ?」


 振り返ると、さっき確かにおろしたはずの棺がない。


『ふふふっ、驚いてくれて嬉しいよ、永遠の少女よ』


 嬉しそうな笑い声に覚えがあった。そうだ、名前をあげたとき、渡り鳥があげた笑い声だ。


「ゲイン。そうよ、あなたは、ゲイン」


『やっと思い出してくれたか、永遠の少女よ』


「ナージェって呼んでって、言ったはずよ」


『そうだったかな。まぁ、座りなさい、ナージェ』


 座れと言われてもと困惑する暇もなかった。真っ白な床から、背もたれつきの椅子がせり上がってきたのだから。


『こういうことも、できるようになったのだよ。すべては、君のおかげだ。心から感謝しているよ、ナージェ』


「どう、いうこと?」


 とりあえず椅子に座ってみると、意外と座り心地がよくて、ますます困惑してしまった。

 そんな私に、ゲインは待ってましたと話し始めた。


『私は、名前を与えられてから、自分のことについて考えた。私は誰で、渡り鳥とは何か……君が問いかけてきたことに、答えを見だそうとしたのだよ。結局、あまりわからなかったがね』


「そう、残念ね」


 言葉には力がある。私のまじないも思いや願いを声に出して、初めて効果をあらわす。名前もまた、力となる。どうやら、ゲインには自分たちの存在を考える力になったようだ。


『よいこともあった。我が同胞たちと言葉をかわすようになった。恥ずかしいことに、我々は同胞たちにも興味がなかったのだ』


 こんなによくしゃべる渡り鳥は初めてだ。名前にそれほどの力があるなんて、初めて知った。

 聖女として育てられたというのに、私はあまりにも多くのことを知らなすぎた。

 輝王子と影王子。今思えば、彼らにそう名付けた先代は、何を考えていたのだろうか。私が彼らに予言を与える前から、彼らの運命は決まっていたというのだろうか。


『初めは変わり者扱いされてきたが、同胞たちに名前を贈りあってからは、渡り鳥は変わった……と、言いたいところだが、どうなのだろうな。我らは、あいかわらず、旅人を運んでいるだけの鳥のまま』


 ふぅと、息をついたゲインは、もしかして変わりたいのだろうか。


「ゲイン。私にどうしてほしいの?」


『わからん。そもそも、渡り鳥とは何なのだ。まるで、人間を運ぶためだけに存在する乗り物ではないか』


「でも、あなた達には、道具の乗り物と違って、魂がある」


『そう、そうなのだ。だが、変わりたいと願いながらも、変わることが怖いというのもあってだな。そのなんだ、なんといえば……』


 どうやら、まだ何がしたいとか明確な望みはないらしい。イェンなら、無視すればいいというに違いない。


「そういえば、棺はどうしたの?」


『あの棺は、禍々しいものだ。イェンとか言ったか、あの異形がいなくとも、あれは禍々しいものだ。だから、君だけの別の空間を作ったのだ。前に、腹におさめた旅人が争いだした渡り鳥がいてな。カイルという名前なのだが、腹が立って、別々の空間を作りたいと思ったら、できたらしい』


「へぇ。つまり、名前を与えてもらったから、今まで考えなかったことを考えるようになって、可能性を見つけられるようになったのね」


『そういうことだ。それで、禍々しいものを抜きに、君と話をしたかった。……そうそう、その椅子も応用でできるようになったのだ』


「そう……」


 イェンが禍々しいものだということは、知っている。彼と旅をしている。


『永遠の少女よ、君は私なんかよりもずっと賢いのだから、禍々しいものと承知の上で、旅をしているのだろう』


 だがと、言葉を切ったゲインは、体内からでは顔こそ見えないけど、ことさら真剣に続けた。


『我々、渡り鳥の力が必要となれば、いつでも名前を呼んでくれ。何ができるかわからないが、力になりたい。少なくてもこのゲインは、誰かの力になれる渡り鳥になりたい』


「わかったわ。そろそろ、棺のところにかえして。いい加減、イェンがうるさくなると思うの」


 渡り鳥は、もう一度やれやれとため息をついた。


『私には、あんな禍々しいものと君が一緒にいることが、一番の謎だよ。まぁいいさ、早く見つかるとよいな。ほら、なんという名前だったか……』


「影王」


『そう影王。君が昔教えてくれた、本物の空をいつか飛んでみたいものだしな』


「それはとても素敵なことね」


 本当に素敵なことだろう。あの大空を自由に羽ばたく渡り鳥たちの姿を思い描いて、思わず笑みがこぼれる。


『名前を忘れてくれるなよ。永遠の少女よ、いつでも力になるぞ』


「ええ、もう忘れないわ」


 ふつっと空気が切り替わるような感じがした。と同時に、私を支えていた椅子が消えた。


「きゃっ」


 なに一つ前触れもなく椅子がなくなれば、尻もちをつくしかない。


 ――大丈夫っ! ナージェがいきなり消えたと思ったら、いきなり尻もちとか……ねぇねぇ、何があったの? 怪我していない? 痛い?


 しかも、最悪なことに横になっていた棺の角にお尻をぶつけてしまった。


 ――痛い? 痣になってない?


「うるさいっ」


 棺を叩けば、イェンは素直に黙りこむ。


 イェンは嘘つきだ。

 言葉に力を宿す空人には、嘘がわかる。けれども、相手が空人だった場合は、厄介だ。そう、厄介だ。

 彼に出会ったのは、影王が空を落として一人きりで絶望していた時だ。私は、彼を知らなかった。けれども、彼は私を知っていた。彼の言葉を信じるなら、ユートピアにいたらしい。それなら、私のことを知っていても少しも不思議ではない。そして、彼が言葉の魔力を使うことができたのなら――彼はやはり嘘つきだ。


『僕を信じて。お願い、僕を信じて、影王を探そうよ』


 空が落ちて途方に暮れていたせいか、無条件で信じてしまったあの言葉。それがもし、まじないだったとしたら、私は彼の嘘が見抜けない。


 考えることは山ほどあって、きりがない。まぶたが重くなってきた。


「イェン、少し寝るわ」


 ――おやすみ、ナージェ。よい夢を。


 次の街で、イェンに確かめなければならないことがある。


 イェン。君は、私の敵なのか、味方なのか。

 確かめなければならない。

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