街との対話

 歯車にシャフトなどなど、絶えず動き続ける機械の騒音の中でも、はっきりと聞き取れるボーイソプラノの主は、どこにいるのだろうか。


『君たち、本当に最低な旅人だね。僕は、君たちにこれ以上僕の街を壊してほしくないんだよ』


 ひどく腹を立てているのは、わかる。まるで、声そのままの子どものようだ。


『ちっともおとなしくしてくれないから、僕が相手してあげようってわけ。大変だったんだからね。脱走者をわざと逃したり、君たちが探している9848号に案内させるように指示したりとか。僕の声が出せるスピーカーはここにしかないんだから』


 ちらりとナージェが横目で僕を見てくる。僕が相手しろと言うことだろう。しかたなく、昇降機から出ようとすると、甲高い声で制止された。


『動かないでもらいたいね。ここの奥には、まだ魂を入れていない子どもたちが眠っているんだ。下手にいじられたら、それだけで子どもに戻るはずだった魂が生き場所をなくしてしまう。それがどういうことか、わかるだろう? 僕は、この街の住人たちすべての魂を循環させているんだ』


 魂の循環。では、子どもたちが時々見る悪夢は、魂に刻まれた恐怖だったのか。これで一つ、謎が解けた。


「わかった。おとなしくするよ。だからせめて、名前くらい教えてよ。君がこの街の管理者?」


 やたら高圧的な態度のやつは、下手に出たほうがやりやすい。ものすごく癪に障るけど、今はまだ我慢できる。

 姿を見せない声の主は、僕がちょっと下手に出ただけで機嫌が良くなったようだ。


『僕に名前なんてものはない。大人たちは勝手に管理者なんて呼ぶけど、僕はこの街そのものだ』


 今度は僕が横目でナージェを見る番だった。


「この街そのものって、どういう意味なのかしら?」


 ボーイソプラノはすぐに答えなかった。

 ガシャガシャと規則正しく騒々しい機械音が、不機嫌そうに聞こえたのは気のせいだろうか。


『どうして、旅人の質問に答えなければいけないんだい?』


「答えてくれたら、私たちはおとなしくこの街を去るわ」


『……答えなかったら?』


「このイェンに暴れてもらう。すごいのよ、彼。見た目は不気味で気持ち悪いけど、あっという間に、こんなへんてこりんな時計塔なんて破壊しちゃうでしょうね」


「ちょっと、ナージェ……」


 ナージェは、僕のこと褒めてくれたのかけなしてくれたのか、よくわからない。

 彼女が破壊していいと言わない限り、僕は破壊なんかしない。いろいろとめんどくさいから。


「それから、空人の私に嘘は通用しないわ。知らないかもしれないけど、わかるのよ」


 ガシャガシャ、ガコン……


 やっぱり、機械音が不機嫌そうに聞こえる。


『僕は初めから、ネバーランドそのものだった。子どもたちは自由に遊び暮らして、大人には子どもたちのために働いてもらう。大人の魂を子どもに戻すのも、すべてそういう風にするように、僕は存在している。ってっことさ』


「つまり、空が落ちてから、君は生じたのね」


『そういうことになるね。空が落ちて大地がばらばらに解けたおとぎ話なら、僕も知っている』


「そう」


 ナージェは肩を落としてうなだれた。


 ガシャガシャ、ガコン……


 不機嫌だった機械音に嘲りが加わった気がする。


『僕を破壊すると君は言ったけど、無理だよ。僕はこの街そのもの。重力も空気も、みんな僕の意のままだ』


 と言うことは、慣性も制御できるのだろう。


『子どもの旅人だったから、大人たちに世話させてあげたというのに、君たちは破壊行為にあれこれ余計な詮索までする。僕の大事な子どもたちに何かあったら、どうしようって、気が気じゃなかったんだよ。だから、おとなしく次の渡り鳥が来たら、出ていってほしい』


「……なるほど、ね。君も子どもなんだね」


『はぁ?』


「ちょっと、ナージェ……言い過ぎ」


 ナージェも子どもだ。

 なんで、余計なことを言うかな。


 ガシャガシャ、ガコン……


「ごめんね、管理者くん。ナージェも子どもだから、大目に見てあげてよ」


「はぁ?」


「ナージェは、ちょっと黙ってて。穏便にすませるのが一番じゃないか」


 どうして、ナージェも目を吊り上げるんだよ。


「僕からよく言っておくから、機嫌直してよ、管理者くん。僕らは、影王を探しているんだ。もしかしたら、時計塔かどこかに隠れているんじゃないかって……」


『カゲオウ? そんなやつ、知らないよ』


「そ、僕らはおとなしくこの街を去るよ。もちろん、今夜見たことは、子どもたちには教えない。約束する。だから、機嫌直してよ」


 ガシャガシャ、ガコン……


 歯車の機械音だけが響く。


『これは、最後通告だからな。もし、僕の子どもたちを泣かせたりしたら、偽空に叩きつけて殺してやる』


「重力も制御できる君なら、できるだろうね。脅しじゃないのは、よくわかるよ」


『化け物、お前も僕を馬鹿にしていないか?』


「していないって!」


 街そのものだという彼を、馬鹿にしてはいない。ただ、化け物呼ばわりされて、カチンとは来たけど。


『ふん、まあいいや。そっちの子どももおとなしくするって約束するんだな?』


「……約束するわよ」


 不満そうだったけど、ナージェは首を縦に振ってくれた。


『じゃあ、時計塔の外まで連れて行ってやる。もう二度と……』


「あ、その前にもう一つだけいいかな?」


『なんだよ、化け物』


 その化け物っての、やめてくれないようだね。なんか、もう、腹立たしさ通り超えそうだ。


「影王を知らないのは、わかった。けど、空が落ちてから生じたんだよね、君は?」


『僕は嘘なんかつかない。街が嘘をつく必要なんてないからね。まぁ、隠し事はするけど』


「じゃあ、さっきの言葉は、どこで覚えたの? ってやつ」


『それは、僕が生じたときからあったよ。僕の使命だ』


「そう、ありがとう。なんか、迷惑かけちゃったのは、本当にごめん。この街は、本当に素晴らしいよ。食べ物は美味しいし、ベッドは清潔。熱々の風呂もある」


『化け物に褒められても嬉しくない。僕は暇じゃないんだ。大事な子どもたちのために、やることはたくさんあるんだ』


 話は終わりらしい。

 ガコンと床が揺れて、僕らを乗せた昇降機が降りていく。止まった正面には、時計塔の外の景色が見えていた。さっさと出て行けという管理者の意思が、はっきりと伝わってくる。


 まだ、錫の月が冷たく見下ろしている夜だった。満ち欠けも、空を横切ることのない満月では、朝までどのくらいの時間があるのか、わからない。

 ナージェに続いて外に出た僕は体を捻って、時計塔を見上げる。


「街に意識があるなんて、びっくりしたね、ナージェ」


「そうね。街が子どもだから、こんなバカみたいな仕組みを作ったんでしょうね」


「ナージェ、言い過ぎ」


 街だというなら、僕らの言動はすべてお見通しだろう。たとえ、ナージェが呪いで姿を消しても、街が気配を感じないわけがない。


「戻るわよ、イェン」


「はぁい」


 狭い空間で縮小していた体を心置きなく膨張させながら、歪な二対の翼を広げる。


「いくよ、ナージェ」


 ナージェに触れられる。それだけで、僕は幸せだ。

 僕は、とても醜くて、歪だ。目玉だって一つしかないし。

 そんな僕が、美しい少女を抱えて飛んでいる。


 チカ、チカ、チカ、チカ……


 規則正しくまたたく星は子どもたちがぐっすり眠れるようにと、管理者なりの子守歌なのかもしれない。


「あの管理者、やっていることは極端だけど、子どもたちが大好きなんだよ」


「あんな子どもじゃなかったら、よかったのに」


 腕の中の不機嫌そうな声に、思わず笑ってしまった。


「ナージェは、あの白服たちを解放してあげたかったの?」


「……子どもと大人を切り離すなんて、ナンセンスよ」


 ナージェの言うとおりだ。

 この街の住人は、とても恵まれている。

 けれどもこの街の住人は、子どもから大人になる過程で、恋をしたり、体の変化とともに肥大化する自意識との折り合いに苦悩したりと、人としてとても大事なことを知らないままだ。


「それで、最後の君の質問、あれはどういう意味だったの?」


「ん? ああ、あれ? たいした意味はないよ。ちょっと、あの管理者くんが、初めからそういう目的のために生じたのか、別の誰かが吹き込んだのか気になっただけ」


「ふぅん、そう」


 影王の言葉だとは、教えなかった。

 そんなことを言えば、彼女は平気で約束を破るのははっきりしている。


 どのみち、この街に影王はいない。

 気がかりなことはあるけど、それもまだ彼女に教えるほどのことでもない。


 チカ、チカ、チカ、チカ……


 あっという間に、僕の至福の時間は終わってしまった。

 そう、女の子の家に戻ってきてしまったのだ。

 僕が窓ごと溶かした壁が、新しくなっている。一晩もたっていないというのに。


「子どもに戻るためのポイント稼ぎなんだろうけど、白服たちみたいにはなれないよ」


「私も、自分の感情を殺してまでは無理よ」


 ご丁寧に窓の鍵はかかっていなかった。

 とても窮屈だったけど、僕らは窓から部屋に戻った。


「ナージェ、ご褒美ちょうだい」


「わかっているわ」


 ナージェに魔力を与えられることで実体化できる僕から、魔力を回収するには、口づけが一番効率いい。

 目を閉じたまつげを震わせながら、ナージェの唇が僕の裂けた口の一部に触れる。

 ほんの一瞬の口づけだけど、彼女の唇は確かに僕だけのもの。

 ドロリと体が溶けていく中で、震える柔らかい唇をもっと味わいたい。もっと、ナージェがほしいという叶えられない劣情すらも、僕のご褒美だ。


 体をなくして、棺に繋ぎ止められるだけの見えざる存在になった僕の前で、ナージェはネグリジェに着替えもせずにベッドに潜り込む。


 ――おやすみ、ナージェ。よい夢を。

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