管理された遭遇
地図に書いてあった地下発電所と食品製造工場をつなぐ真っ白な通路は、僕には狭すぎた。腕を前脚に変えて、精いっぱい体を細くして四本足で進まなくてはいけなかった。
「ねぇ、ナージェ。僕たち、気味が悪いくらい運がいいよね?」
「どういう意味?」
僕はずいと首を伸ばして、ナージェとたった一つの目玉を並ばせる。
不快感で肩を震わせつつも彼女は、黙って僕の考えを聞いてくる。
「だって、そうじゃないか。僕らが時計塔の前で、破壊しようとか相談してた時に、都合よく脱走したやつを連れてきた白服が現れた。後をつけたら、また運よく昇降機にも乗れた。姿見のときも、幸いなことに取り残されずにすんだ。ねぇ、気味が悪くない?」
「そう言われてみれば、そうね」
ナージェは、唇を軽くなぞる。
「なんの障害もなく地図を見つけたのも、たまたまとは言えなくなるわね」
「いつまで、この気味が悪い幸運は続くんだろうね、ナージェ」
肩をすくめたナージェが足を止めた先には、上へと続く階段があった。
右の壁には、食品製造工場と書かれたプレートがある。
「どうする? 僕は嫌な予感しかしない」
「引き返せというの?」
「そうは……えっ」
またしても、僕らはついていた。
若い白服が階段を降りてきたのだ。
「やっと、交代の時間ね」
「まったく、今夜の片付けも散々だったじゃない」
「まぁまぁ、あたしたちも、そうだったんだから」
三人分の声は、どれも女のものだ。やはり、若い。
それでもはやり、足取り軽く降りてきた彼女たちに、頭髪はなかった。
明るい表情があるだけ、まだ人間らしい。
ナージェと僕が息を潜めて壁に寄りかかっていると、彼女たちが階段を降りきるのと同時に、反対側の――つまり、プレートがない方の壁の一部が音もなく押し開かれた。
ナージェよりも背が高い彼女たちは、女特有のお喋りをしながら、壁の向こうに行ってしまう。三人の中に、泣きぼくろが二つ並んでいる子を見つけた。
「ナージェ、もしかして、彼女がシャナじゃない?」
「私たち、やっぱりついているみたいね」
コクリとうなずいて、ナージェは迷うことなく彼女たちの後を追う。
壁の向こうも、白い通路が続いていたけども、両側に等間隔に扉が並んでいた。
発電所で見た地図が確かなら、工場の手前のこの場所は、休憩所となっていたはずだ。
「じゃあ、また」
「またね」
女の白服たちは、一人ずつ扉の向こうに消えていく。
最後に残ったのは、シャナらしき白服だ。
僕らが運よくここまで来れたとは、考えていない。間違いなく、誰かが僕らを誘導している。誰が何のためにかは、わからない。けども、僕にはナージェを守る自信がある。
最後に残ったシャナらしき白服が扉の前で足を止めた。
ナージェは深く息をついて
「ねぇ、君、少しいいかな?」
「っ!」
振り返った白服は、悲鳴をあげようとして両手で口を押さえてた。
明らかに、ナージェではなく僕に怯えている。
「大丈夫だよ、僕はむやみに人をおそったりしないから。えーっと、シャナ、ちゃんだよね?」
目に涙を浮かべて、彼女は首を縦に振った。
なんだか、申し訳ない気分になる。
僕の姿を見た人たちはみんな、同じように怯える。ナージェも、今でこそ平気そうな顔をしているけど、不快感を隠しきれていないときがある。
今は会えない友達だけが、僕の醜く歪な姿を受け入れてくれた。早く、会いたいな。
いまだに慣れることのない惨めさに浸りたくなる。けれども、今回はシャナの震える声が、それを許さなかった。
「あなたが、旅人のナージェね。ネバーランドの管理者が待ってます」
ついてきてほしいと言われても、僕もナージェも驚かなかった。あの細身の白服も口にしていた管理者というやつは、いったいどんなやつだろうか。
震える目で僕らの答えを待っているシャナに、ナージェは首を縦に振る。
「いいわよ。案内してちょうだい、その管理者のところへ、ね」
口を押さえていた手をおろしたシャナは、まだ僕に怯えている。
「ありがとう、ナージェ……でいいんだよね?」
「ええ、ナージェでいいわ。みんな、そう呼ぶもの」
「じゃあ、あたしに着いてきて」
奥へと案内し始めたシャナは、ナージェと親しくなるつもりはなさそうだ。頭髪のない彼女は、ナージェよりも背が高くて、胸もある。けれども、大人というほどの歳じゃない。まだ、少女の域を出ていないあどけない雰囲気もある。
よそよそしいシャナの隣に並んだナージェは、ワンピースのポケットからオルグから預かったネックレスを取り出した。
「それって……」
驚きと困惑に息をのむシャナに、ナージェはネックレスを押しつけようとする。
「オルグって子から、あなたにって預かってきたの。忘れ物なんでしょ?」
「そう、オルグが。ああ、そっか……だから、あたしに案内しろって命令があったんだ」
ネックレスに触れるか触れないかのところで、シャナは手をおろした。
「オルグに返してあげて。あたしが持っていても、処分されるだけだから」
「そう、わかったわ」
ナージェがポケットにしまうと、また気まずい沈黙が訪れる。遠くから聞こえる機械の音と、足音だけが誰もいない通路に響いている。いつの間にか、両側に並んでいた扉はなくなっていた。
無機質な機械の音と雰囲気に耐えきれずに、前を行くシャナに声をかけた。
「ねぇ、シャナちゃん。白い服に坊主頭の大人たちは、時計塔に呼ばれた人ってことでいいんだよね」
「そ、そうだよ」
声を震わせながらも質問に答えてくれたことが、僕は嬉しかった。
「じゃあ、子ども戻りはデタラメだったんだね」
「違う。すぐに子どもに戻れないだけ」
首を横に振ったシャナに、ナージェに詳しくと続きを促されるままに、震える声で話し始めた。
「この街では、子どもたちは好きなだけ自由に遊んで暮らせる。それが、子どもの特権だから。でも、大人になったらそうはいかない。次の子どもたちが、好きなだけ自由に遊んで暮らせるように、働かなきゃいけないんだ。しっかり働いて、ポイントが貯まれば、また子どもに戻れる。子どもに戻れるんだ」
「もしかして、僕らを案内してくれるのも、ポイント稼ぎ?」
シャナはためらいもなく首を縦に振った。
なるほど、だから子どもたちと違って馴れ馴れしくないのかもしれない。
「さっき、脱走していた人もいたわ。つらくないの? あなたたちは、髪もないし、同じ服を着てる。不自由な生活を強いられているのは、なんとなくわかる。嫌じゃないの?」
「しかたないんだよ」
イラ立たしそうに、シャナは吐き捨てる。
「感情を殺して子どもたちのために働けば、それだけ早く子どもに戻れるだから。あたしたちは飢えることはないし、清潔なベッドで寝られる。他の街と比べて、ずっとマシって旅人から聞いてるんだ。嫌だなんて、子どものわがままだ」
「それもそうね」
ナージェはそれ以上何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。シャナの言ったとおりだったから。
他の街と比べたら、ネバーランドはとても快適な街だ。違うといったら、嘘になってしまう。
シャナにとって、オルグという名前の男の子はもう大切な存在じゃないんだ。
そうやって、自分の感情を殺していかないと、子どもたちのために働けないだろうな。
所詮、僕らは旅人でよそ者だ。
いつかは、ナージェの旅が終わることを望んでいるけど、それはこの街じゃない。
この街の住人は、たぶん変化を望んでいない。
しばらく続いた通路の先には、時計塔と同じレンガの小部屋があった。
「あたしの案内は、ここまで」
シャナは僕らの礼も待たずに、足早に部屋を出ていこうとして、入り口で足を止めた。
「管理者を怒らせたりしないでよ。あたしたちは、この街が好きなんだから。それから、もしまたオルグにあったら伝えて。ポトフばかり食べるなって。他にもたくさん食べないと、いい男にならないぞって」
振り返らなかった彼女がどんな顔をしていたのか、わからない。けど、その声は泣いていた。
「わかったわ。あなたも、早く子どもに戻れるといいわね、シャナ」
にこりともしなかったナージェだけど、声だけは優しかった。
シャナが小部屋を出た途端に、レンガの扉が上から降りてきて、僕ら二人だけになった。
「本当にいいの? ナージェ」
「何が?」
首をかしげるナージェが、いったいどこまでオルグやシャナに肩入れしているのか、まるでわからなかった。
ギョロギョロと目玉を動かして、彼女を頭の天辺からつま先まで見るけど、わからなかった。
「何? ジロジロ見ないでよ」
「ごめん、ナージェ。やっぱり、何でもない」
「そ、ならいいわ」
ナージェと一緒に旅に出て、時を数えるのもやめるほどの時間が過ぎたけど、彼女のことを全部理解できているわけじゃない。わからないことも、理解できないことも、たくさんある。でも、そんなナージェが大好きだと、あらためて実感するんだ。
いつの間にか、からくりの音が気にならないくらい慣れてしまった。
「ねぇ、ナージェ。管理者ってどんなやつだろうね」
「さぁね。どんなやつでも、影王について何か知っていたら、洗いざらい話してもらうだけよ。私には、嘘は通用しない」
「僕、ナージェのそういうところが好きだよ」
ムスッと頬を膨らませた彼女も、かわいい。
やはりこの小部屋は昇降機だったようで、正面の壁の天井近くからゆっくりと別の明るい空間が見えてきた。やがて、床まで壁が見えなくなると、明るい部屋の全容が目の前に広がっている。
「ナージェ、こんなところに、管理者なんているの?」
無数の大小様々な歯車がひしめき合うだけの部屋に、やけに明るいボーイソプラノが響き渡った。
『ようこそ、子どものための街ネバーランドの中枢に』
まさかとは思いたいけど、管理者って子どもじゃないよね。面倒な予感がする。
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