時計塔の奥
天井に等間隔に吊り下げられている電球の橙色の光が、ゆらゆら揺れながら明滅している。不安定な照明に踊る影が、醜くゆがんでで不安を煽る。影の主が白服たちだから、余計に不気味だ。靴音と、引きずられる男の浅い呼吸音だけが、通路に響く。あれから、白服たちはひと言もしゃべっていない。
ゆるやかに右に弧を描いている通路が、どこまで続いているのかと不安になってきた頃、ようやく行き止まりの壁が現れた。扉のようなものは、どこにも見当たらない。
足を止めた細身の白服の男が、居住まいを正す。
「さぁ、管理者にポイントもらうんだから、シャキッとしようぜ」
芝居がかった台詞に、大柄な白服たちも無言で居住まいを正す。引きずられてきた白服は、すっかり力を失っている。
あたりの空気が不自然にまで張り詰めると、ガコンと床が揺れた。ほんの一瞬のわずかな揺れだったけど、不意を襲われた僕とナージェがびっくりするにはじゅうぶんだった。
「イェン、後ろ」
「え?」
ナージェにささやかれて、グルンと目玉を後ろに回すと、背後で壁がせり上がってきていた。いや違う、僕らがいる床が下がっているのだ。
別の街にこんな装置があったことを思い出す。
「昇降機、だね」
僕は、ナージェの耳元にささやきかけた。
コクリとうなずく彼女の愛らしさといったら、たまらない。いつもナージェと一緒にいるけど、身体があるとないとでは、ぜんぜん違う。愛しさは百倍では足りない。
ガコンガコン、ギィギィと何かの装置が動いている音が、四方から絶えず聞こえてくる。
もしかしたら、この街のからくりの心臓部に入っているのかもしれない。
生理的に不快感をもたらす騒音にも、細身と大柄な白服たちは背筋を伸ばしたまま微動だにしない。
おそらく、僕らは地下へと潜っているはずだ。
ガコン、ガコン、ガコン、ガコン……
ナージェは、圧迫感を与える騒音に顔をしかめてこらえている。早くこの騒音から解放されたくてしかたないのだろう。それは、僕も同じだ。
ガコン、ガコン、ガコッ
始まりと同じように、ふいに下降が終わった。
それと同時に、ボロボロの白服のぐったりとした体に力が入った。
「嫌だ、嫌だ、もうい……っ!」
ボロボロの男がブツブツと喚き始めたが、大柄な男ににらまれて黙って、またぐったりする。
ゆっくりと、正面の壁の一部が開いていく。
「うっ」
急に差し込んできたまばゆい光に、ナージェは目をかばって呻く。
「ナージェ、行っちゃ……もう、しょうがないなぁ」
白服たちはまばゆい光に臆するとこなく行ってしまう。昇降機に閉じこめられるわけにはいかない。前脚を腕に変えて彼女を抱き上げる。
後で彼女は怒るかもしれないけど、正解だった。
僕が彼女を抱えて外に出た途端、昇降機の扉が閉まったのだから。
「放して」
「あ、うん」
すぐに目が慣れたナージェに言われるまま、腕を下ろす。
そこは、昇降機よりも狭い真っ白な明るい部屋だった。
壁も床も天井も真っ白で、居心地悪すぎる。天井全体が、照明になっているのだろうか。
正面の壁に大きな姿見があるだけだった。
二人の大柄な男は、ようやくボロボロの男を引きずっていた手を離した。ボロボロの男は、崩れるように床に座りこむ。どうやら、ギリギリ意識を失っていないようだ。
最初に動いたのは、細身の白服だった。
無言で、彼が姿見の前に立つ。髪の毛が一本も生えていない無個性な顔に、無機質な無表情を浮かべた彼の姿を、姿見越しに見る。まさに、昼間見かけた白服と同じだった。
不気味な白服の一人を移していた姿見の表面に、青い文字が浮かび上がってきた。
『0071945号
385ポイント加点。
計 2641ポイント。
ただ今より、2サイクルの休息を許可します』
細身の白服の目に、安堵の色が浮かぶ。
と、姿見がシュッと音を立てて鏡面が持ち上げられたかと思うと、その先に続く通路が現れた。
彼が迷うことなく白い部屋を出ていくと、すぐに姿見は元通りになった。
大柄な白服も、一人ずつ姿見の前に立って、出ていく。浮かび上がった青い文字は、数字が違うだけで、内容はほとんど同じだった。
たった一人残されたボロボロの白服も、おぼつかない足で姿見の前に立った。
その腫れ上がった顔の下から見える青い目には、恐怖が浮かんでいた。
『009836号
1963ポイント減点。
計 −1898ポイント。
ただ今より、発電労働に専念してください。最小限の交代以外の休息を、十日間禁止します』
恐怖が絶望に変わり、そして青い目は虚ろになった。
表情が抜け落ちた彼は、ふらふらとした足取りで姿見の向こうに行ってしまう。
迷っている暇も、考えている暇もない。
ナージェと僕は、静かに彼の後を追う。
白い狭い短い廊下の先に待っていたのは、不気味な発電所だった。
――発電労働、ねぇ。
さっき、ボロボロの白服に姿見が映し出した言葉を思い出す。
嫌でもその言葉の意味がわかってしまう光景が、目の前に広がっていた。
何十人という白服たちが、壁に並んだ大きなハンドルを回している。その白い壁はぐるりと弧を描いているようだ。
その運動エネルギーをどう処理しているのかわからないけど、頭上にある巨大なタービンを回転させているのがわかる。
「人力発電で、この街は動いていたのかな」
「不愉快だわ」
美しい眉をひそめるのも、無理もない光景だ。
発電労働という言葉がなかったら、まず発電所だなんて思わない場所だった。
ボロボロの白服も、黙々とハンドルを回している。ボロボロのはずなのに、淡々と回している。その腫れ上がった顔は、無機質な無表情で、青い目は虚ろなまま。
「体よりも先に心が壊れるわよ、こんなこと続けていたら」
ナージェの言うとおりだろう。
ランプが赤く光るま回しては、ほんの少しだけ体を休められる。そしてまた、ハンドルを回し続ける。私語が一切許されていないのか、白服たちの苦しげな息だけが、無機質な機械音に混ざって聞こえてくる。
「こいつらはまだいいよ。まだ、表情があるから。昨日、僕が見た奴らは、表情もなくなっていたよ」
「もしかしたら、心が壊れた白服だったかもしれないわね」
「怖いこと言うね、ナージェ」
でも、あながち間違っていない気がする。
ゴゴゴゴ……
発電機の轟音に僕らの会話がかき消されそうだ。
ハンドルを回し続ける白服たちの、むせ返るような汗の臭い。
喘ぐような苦しげな呼吸音。
つかの間の休息に喉を潤す毒々しい液体の鼻を突く刺激臭。
ゴゴゴゴ……
発電機がどんなに轟音を立てても、かき消されずに不快なそれらは届いてくる。
「ナージェ、これからどうするの?」
「そうね…………まずはあれかしら、ね」
ナージェの宙をさまよっていた視線が、あるものをとらえた。
スタスタ背後の壁にそって歩いていってしまう。すぐに、ナージェの言ったあれがわかった。
「地図、だね」
「そうね」
壁にはめこまれた地図は、黒い線で書かれた簡略的なものだった。中央にあるのは、もちろん時計塔だった。
「ここが時計塔の真下にある発電所。ここが子どもたちの広場。……やっぱり、子どもたちの場所はこんなにも狭い」
「だね。で、これがあの白い建物だね。えーっと、繊維縫製工場、食品製造工場、備品清掃工場……ねぇ、ナージェ、やっぱりこれって子どもたちのため?」
「さぁ、ね。でもイェン、この工場、全部この地下発電所から繋がっているわ」
「ほんとだね」
「行きましょう」
「えっ、どこに?」
ナージェは呆れた顔をして、食品製造工場の文字を指差す。
なぜ食品製造工場を指差したのかわからないまま、彼女に着いていくしかなかった。
「なんで、食品製造工場なの?」
「わからないのね、イェン。シャナよ」
「えーっと、ナージェ、もしかして、あの男の子を放っておく気はないの?」
返事はなかった。
僕はナージェについていくしかない。
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