なんにもない
おやすみ、ナージェ。よい夢を。
どうして、どうして、僕らの想いはナージェに届かないんだろう。
僕らは、ナージェが大好きで、大好きで、ただ好きになってほしいだけなのに。
聖宮の庭園にいる君をひと目見たとき、僕らは仲良くなれる気がしたんだ。
残酷で卑怯な天空の
ナージェなら、僕らのことを理解してくれる。
ナージェなら、僕らを一つにしてくれる。
まだ自分の言葉も持たない幼すぎる少女が、僕らの
鍵なのに、まるで宝物を見つけたような高揚感。
僕らは、自分勝手だった。
まだ話したこともない少女に、勝手な夢を見ていた。
大人たちと同じだった。
僕らの声なんか、まったく届かない大嫌いな大人たちと同じように、僕らは勝手に彼女を傷つけていたんだ。
――輝王子は、王になることはありません。影王子は、無慈悲な王となり、この世界を滅ぼすでしょう。
だから、彼女にそう告げられたとき、僕は罰せられたのだと思った。
それでも、やっぱり僕はナージェのことが大好きだった。
半身の死を告げられて、塔から出されたとき、僕は真っ先にナージェに会いに行きたかった。
でも、大人たちに逆らう勇気なんて、僕にはなくて――
どうすればよかったんだろう。
そもそも、僕らの存在そのものが、間違っていたんだ。大人たちのエゴが作り上げた歪みだということを、僕は知っていた。大人たちは、秘匿していたつもりかもしれないけど、気がつかないわけがなかった。
「イェ、ン……」
傷は、たぶん内臓にすら届いていない。
光に目をくらまされたイェンは、のたうち回るのをやめてぐったりと倒れている。
ナージェが言ったとおり、この傷では死なない。治れとひと言口にするだけで、治ってしまうだろう。でも、そんなことに、魔力を消費するわけにはいかない。
ナージェが消えてしまう。
彼女がいない新世界なんて、考えられない。
まだ、間に合う。
大好きなナージェが消えてしまう前に、僕は彼女に本当のことを教えて謝らないと。
「イェン」
傷口を押さえて立ち上がるだけでも、やっとのことだ。大した傷ではないのに、笑ってしまう。
もうユートピアの残骸はどこにもなかった。
光でも闇でもないなんにもない空間にあるのは、僕とイェンと、ナージェと渡り鳥たち。だけど、目を閉じて祈るナージェと、渡り鳥たちには僕らが見えていない。
「イェン、まだ間に合うから」
「ミカゲ」
弱々しく僕を見上げたイェンは、小刻みに震えていた。
「コウキの魂を守ってくれていたんだろう?」
「気がついてたんだ」
「うん。わからないわけないよ。コウキは、いつも僕のことばかりだったくせに、いつまでたっても僕のところに来てくれなかったからね」
「ごめんね、ミカゲ。僕がいなかったら……」
謝罪の言葉を口にしたイェンに首を横に振る。
コウキは、僕が処分されることを知ってた。僕に悟られないようにしていたつもりかもしれないけど、そのことをふくめて僕は気がつかないふりをしていたんだ。
コウキが死んだあと、イェンは時々コウキと同じふるまいをしていた。わからないわけがなかったんだよ。
「いいんだよ。僕がコウキの立場だったら、きっと同じことをしたと思うから。だからイェン、今なら間に合うから」
「だめだよ。ミカゲ。それだけはだめだよ」
すっかり小さくなったイェンを抱えて微笑みかける。自分の意志で表情を作ったのは、初めてかもしれない。
「ナージェが犠牲になった新世界なんて、それこそ嫌だろう?」
「うん。わかった。そうだね、そうだよね」
嫌がるのをなだめて、僕は半身が生み出した異形に口づけをした。
ナージェの唇は柔らかかったな。震えていて、臆病な僕は指一本動かせなかった。
意識を手放す直前に思うのは、やっぱり大好きなナージェのことだった。
「時よ、止まれ」
ゆっくり顔を上げたナージェに、僕らはどう見えただろうか。
たぶん、一つ目の白い子犬のような姿をしているんだろうな。たぶん、だけど。
「イェン?」
怯えて戸惑うナージェが、僕らは大好きだ。
彼女の周りに集まった渡り鳥たちは、時を止めている。
でも、いつまでも止めていられない。
僕らだって、長くはもたないだろうし、ね。
「イェンでもあるし、輝王子でもあるし、影王でもある。僕らは、もともと一つだったんだ」
一歩近づけば、ナージェは後ずさる。
「傷つくなぁ。ナージェのことが、大好きなのに」
ナージェは、自分の命よりも新しい世界を作ることを優先してしまった。
コウキが、自分の命よりも半身と一緒にいたいという願いを優先したように。
「悔しいなぁ。結局、最後までナージェは僕らのこと、好きになってくれなかったんだもん。でも、僕らの思い通りになってくれないから、大好きなナージェなんだろうけど、さ」
本当に大好きなんだよ、ナージェ。
どうすればよかったのか、まだ考えてしまう。この期におよんでも、まだナージェに愛されたいと思ってしまう。
「ナージェのいない世界なんて、僕らはいかない。ナージェに愛されたかったんだ」
「……邪魔しないで」
怯えている。そういう顔も、笑顔も、大好きだ。大好きなんだよ、ナージェのすべてが。
もう彼女には、世界を作り直す力は残っていない。僕らが時を止めた時点で、彼女の命よりも優先する想いが弱まっている。もう一度、同じことはできないだろう。
僕らは、ふるふると首を横に振る。
「世界を滅ぼすつもりはないよ。ただ、大好きなナージェに本当のことを知ってもらいたくて、ね」
大好きなナージェには、知ってほしい本当のこと。
「ナージェには生きてほしいから、聞いてほしいんだ。生きる力になってくれればいいと思って、ね」
「え?」
長い旅は、ナージェに知ってもらいたかったんだ。僕らの荒んだ心を。
でも、そんなことはもういいんだ。
「ユートピアの大人たちは、思い上がっていた。地球のすべてを支配していると、思いこんでいた。――命も、魂すらも、思い通りになると思い上がっていたんだ」
「魂が、思い通りに?」
「うん。そう、魂をいじれれば、完璧な絶対支配者となる天空の王を作り出せるって、思いこんでいたんだ」
青ざめるナージェに、少しでも笑って新しい世界で生きてほしい。だから、これが僕らにできる精いっぱい。
「僕らは、一つの魂だったんだ。それを、空人たちは無理やり二つに分けたんだよ」
本当に、最低な奴らだった。
「母の胎内で、一つだった僕らは二つに分けられた。光と影に、ね。天空の王に不要な――たとえば、妬みや憎悪や邪悪や、そういったモノを、双子の弟に押しつけて、完璧な絶対支配者となる天空の王を作り出すそうとしたんだ。だけど、結果は失敗だった。魂を都合よく分けるなんて、できやしなかったんだ」
コウキは、明るさだけでなくて憎しみとかそういった暗い面も持ち合わせていた。元気と言ってしまえば聞こえはいいけど、気性が荒いコウキが、一度怒りを覚えれば、手がつけられないほどの癇癪を度々起こしていた。失敗作だった。コウキは絶対支配者にはなれない。
ミカゲだけが、コウキの癇癪を鎮めることができた。
当たり前といえば、当たり前なことだった。
二人で一つの魂だったのだから、二人でバランスをとっていた。
二人で手を繋いでいれば、大人たちの理不尽な言葉にも耐えられた。
「……でも、大人たちは、いらないミカゲを処分するつもりでいたんだ。コウキには、ミカゲが必要だったのに。奴らは、コウキが子どもだったから癇癪を起こしたりしてたんだって、都合のいいように考えたんだ。ナージェの予言がなくても、奴らはミカゲを処分していたんだ」
「なに、それ……」
「ごめんね、ナージェ。僕らはただナージェと仲良くなりたかったんだ。愛されたかったんだ。でも、どうしたらいいのかわからなくて、そうこうしているうちに、コウキは死んじゃって……ミカゲは、コウキのぶんまでいい王様になろうとしたんだ。そうしたら、ナージェが好きになってくれるような気がして……」
本当は、ただナージェに好きになってほしかったんだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。僕らは、ナージェが笑ってくれたから、ただそれが嬉しかったから、だからごめんなさい。ナージェに好きになってほしくて、また笑いかけてほしくて、僕らが無慈悲な王とか呼ばれてたら、笑ってくれないんじゃないかって怖くなって、だからナージェの予言通り世界を壊しちゃえばいいって、僕らとナージェの理想郷を作ればいいって……ナージェのせいじゃないけど、責任とってもらうようにすれば、愛してくれるんじゃないかって……ごめんなさい。ナージェは悪くないのに、ひどいことしてごめんなさい。ごめんなさいごめんなさい」
許してくれなくていい。もう愛してなんてわがまま言わない。怒って憎んでくれていい。
それなのに、ナージェは呆然として座り込んでいる。
――ピシッ
時を止めるのは、もう限界らしい。
「僕らにとって、ナージェのいない新世界なんて価値が無いんだ。でも、ナージェが生きる新世界ためなら――」
「イェン、だめ!」
ハッと我に返ったナージェが、僕らを呼んだ名前はイェンだった。もし、一つの魂で生まれたら、そんな名前が与えられたのかもしれない。そのくらい僕らはすっと受けれた。
「おやすみ、ナージェ。よい夢を」
崩れ落ちたナージェを抱きかかえる。
――ピシピシ
空を落としたときと、同じ音がする。
ナージェが死ぬことなんてない。僕らが代わりに命を捧げるよ。
安らかな寝息をこぼす唇に、僕らは触れられなかった。
黒い棺にナージェを横たえて、僕らは一つの歪んだ世界が壊れる音を聞いた。
――パリン
それは、とても乾いた音で、とても悲しくてきれいな音だった。
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