子どもたち

 僕は、子どもが苦手だ。何を考えているのかわからないし、あの無遠慮な好奇心が苦手なんだ。普段はあまり意識することもなかったことを、今あらためて思い知らされている。


 今まで数え切れないほどの街を旅してきたけど、子どもだけの街なんて初めてだ。正直、初めは栗色綿毛のリックとかいうやつの冗談かと思った。信じられるわけがなかった。空が落ちてから、かつての常識が通用しなくなったとはいえ、人間は人間だ。子どもは大人になって、新しい命を育んで死んでいく。人間の生態が変わらないはずだ。


 下は五歳くらいで、上は十五歳くらいの子どもたちは、旅人のナージェに集まってきた。頼んでもいないのに、この街のことを喜々として教えてくれた。まるで競い合うかのように。


「ネバーランドは、子どもの街なの」


「あのね、あのね、大人になったら、みーんなあの時計塔に呼ばれるの」


「旅人さんも、大人だったら、時計塔に呼ばれるの」


「でも、ナージェは子どもだから、まだ時計塔に呼ばれないよ」


 子どもたちが口にする時計塔とは、あの偽空ぎそらを支えている高い塔のことだった。

 時計塔と呼ばれているなら、時計がなくてはならない。でも、僕もナージェもそう言われなければ、それが時計だとわからなかった。

 赤茶けたレンガを積み上げた塔の中ほどにある漆黒の円盤と、円盤の中心から伸びる五本の棒。それが、文字盤と針の役割をしているということらしい。けれども、長さも太さも色もバラバラな五本の針は、進んだと思ったら戻ったり、右回り左回りと、僕の知る時計とはかけ離れた動きをしている。

 ナージェの目にも時計塔は奇妙に見えたようで、眉間にシワをよせて小首をかしげていた。


「時計塔に行った大人たちは、帰ってこないのかしら?」


「うん。あ、でも、子どもになってちゃんと戻ってくるよ」


 そう答えたのは、ソバカスだらけの男の子だ。僕は、子どもの名前を覚える気が起きなかった。子どもは、やっぱり苦手だ。


「子どもになって戻ってくるの?」


「そうだよ」


 また別の子どもが、待ってましたと口を開く。


「あのね、百日に一度だけ、時計塔の針が五本全部重なるんだ。でねでね、普段はどこにもない壁に入り口がね。でねでね、あのね……」


 子どもたちは、お世辞にも説明が上手いとは言えなかった。


「つまり、子どもしかいないのは、百日に一度、時計塔に年長の子どもが、五歳くらいになって戻ってくるからなのね」


「うん、そうなの。ナージェ、頭いい!」


 人形を抱えたおさげの女の子が、目を輝かせる。

 でもと、ナージェは不思議そうに続ける。


「でも、戻ってきた子どもが、呼ばれた子どもと同じってことになるわよね?」


「うん、記憶とかなくて、見た目とかすっかり別人だけど、子ども戻りって呼んでいるから、きっと同じ子なんだよ」


「……そう」


 記憶がないだけでなく、戻ってきた子どもは、呼ばれた性別も性格も容姿もまるで違うというのに、子ども戻りと呼ばれているらしい。

 ナージェも僕も、おかしな話だと感じたけども、この街の常識だとわかる。

 空が落ちたのは、遠い昔のこと。

 ばらばらに解け散った街では、信じられないような風習が根ざしてしまうことはよくある。

 リーンゴーンと鐘の音が聞こえてくると、子どもたちが一斉に顔を輝かせた。いつのまにか、真鍮の太陽は低い位置にあった。


「ナージェ、ごはんの時間だよぉ」


「え?」


 戸惑うナージェを、子どもたちが押したり引いたりして広場に面した黄色い屋根の家に強引に連れて行く。


「ごーはん」


「ごーはん」


「あ、ちょっと……」


 ナージェの抗議の声は、ひとりでに開け放たれた黄色い屋根の家から漂ってきた美味しそうな匂いのせいで弱々しい。


「ごーはん、ごはん」


「ごーはん、ごはん」


 あれよあれよという間に、子どもたちに囲まれたナージェは黄色い屋根の食堂に連れて行かれてしまった。


 電球の暖かい照明の下には、大きな楕円形の食卓が一つ。

 たった一つの食卓の上には、ごちそうがこれでもかと並んでいた。まだ湯気が立っているから、できたてのアツアツに間違いない。


「信じられないわ」


 さすがのナージェでも、ゴクリと喉を鳴らしてしまった。


 食堂の大きな楕円形の食卓についた彼女は、少しずつ会話を楽しむようになった。


「ねぇ、どうして、ナージェは一人で旅をしているの?」


「一人で旅をしなくてはならないからよ」


 ミートパイをかじるナージェは、少しでも僕のことを思ってくれただろうか。


 聞けば、この街で暮らしている子どもたちは、全員この食堂に集まっているらしい。せいぜい百と十人くらいの子どもたちだけが、ネバーランドで暮らしているという。

 もっと住人が少ない街はいくらでもあったけれども、子どもだけという不自然な街は初めてだ。


「ナージェ、お風呂、一緒に入ろう」


「お風呂があるの?」


「あるよ。女の子の家と男の子の家に、みんなで入れるお風呂があるの」


「そう、そうなの」


 ナージェはどこか嬉しそうだ。あからさまではない。けれども、嬉しそうだった。


「もうすぐ、夕食の時間が終わるとね、夜になるの」


「そしたら、あたしたちは、女の子の家に帰ってお風呂入って、寝るの」


「ナージェのお部屋もできているからね」


「え、私の部屋?」


 本当に、今日のナージェはいつもよりも表情豊かで困る。

 僕の大好きなナージェは、いつも不機嫌でちっとも笑わないはずなのに。


「そうなの。旅人さんが来ると、必ず旅人さんのお部屋ができているの」


「いつも旅人さんは大人だったから、その日の夜に時計塔に呼ばれちゃうんだけどね……」


「ナージェは子どもだから、ずっとこの街にいればいいよ」


「それは、まだ決められないわ」


「ふふふ、大丈夫。ナージェも絶対にネバーランドが好きになるから」


 今夜は女の子の家で、ゆっくりお風呂に入って休むことになりそうだ。


 クリーム色の壁紙の食堂に、大きな食卓いっぱいのご馳走。

 百を超える子どもたちが、座ったり立ったままで食べたり飲んだりしても、半分も減っていない。

 お行儀よくという言葉は、この街には存在しないのだろう。

 座ったり立ったり、好きなものばかり食べている。食べ散らかしているの方が正解かもしれない。

 片付けることなど、全く頭にない食べ散らかしようだ。


 食後のお茶を上品にすすりながら、ナージェは食べ散らかされた食卓に綺麗な顔をしかめる。


「ところで、このごちそうは誰が作ってくれたの?」


「知らなーい」


 子どもたちは口をそろえて、答える。


「旅人さんとか、そういうの気にするみたいだけど、僕らが遊んでいる間か夜のうちに、この街が掃除とか洗濯とか、ぜーんぶやってくれるんだ」


「街が?」


 信じられない話だ。魔力の気配も感じられない街なのに、見えざる力があるというのだろうか。


 ふと窓の外に目を向けると、夕闇がそこにあった。

 あの真鍮の太陽が沈めば、どんな月が昇るのだろうか。そもそも、ネバーランドに月があるかどうかもわからないけれども。


 男の子も女の子も、ナージェに夢中になっている奇妙な食堂で、一人だけ黙々と食事をしている子どもがいた。

 灰色の短い髪の男の子は、見た目はリックよりも年上で活発で元気そうだ。

 黙々とスープボウルの中身をゆっくり口に運びながら、彼はナージェと子どもたちのやり取りに耳を傾けている。

 警戒している。

 好奇心旺盛で騒々しい子どもたちの中で、嵐のような暗い灰色の瞳でナージェの言動をうかがっている。

 ナージェは彼に気がついているだろうか。


 遠くから鐘の音が聞こえる。

 おそらく、あの奇妙な時計塔だろう。


「もう、夜だ」


「ナージェ、行こう」


「じゃあね、ナージェ」


「おやすみ、ナージェ」


 食堂の扉は、開いたときと同じように勝手に開いた。


 男の子の家と女の子の家は別々なのだろう。男の子の何人かは、すぐに食堂を飛び出していった。


「片付けは?」


「片付けなんてしたことないよ。だって、あたしたち、子どもだもん」


 奇妙な話だ。なぜ、片付けをしたことがないのに、片付けという言葉を知っているのだろう。

 ナージェも軽く首をひねっている。



 榛色のおさげの女の子の言葉は、影王の言葉だ。まさか、こんな街で耳にすることになるとは思わなかった。思いがけない衝撃に、僕の魂は震える。

 ナージェは気がついていないし、知らないだろうけど、その言葉には続きがあるんだ。


「さ、女の子の家に帰ろう」


「急かさないでちょうだい」


 しぶしぶといった感じでナージェは棺を背負うけども、どこか嬉しそうで楽しそうだ。


「それで、女の子の家はどこかしら?」


「こっちこっち」


「はいはい、わかったわよ」


 食べ散らかしたままの食堂の外へと急かされるナージェの背中を、灰色の男の子は最後までじっと見つめていた。

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