子どもの街ネバーランド

真鍮の太陽

 僕の大好きなナージェは、白い短い髪に澄んだ光を宿す金色こんじきを持つ、とても美しい少女だ。無口で無愛想で、ちょっと乱暴なところもあるけど、とても優しい少女だ。


 そんな彼女は今、レンガ造りの家に囲まれた広場の端っこで、むっつりと面白くなさそうに走り回る子どもたちを眺めている。彼女が腰を下ろしているのは、横たえた黒い棺だ。棺を椅子代わりにされるのは、不愉快だ。石畳にじかに腰を下ろされるよりはマシだけど。

 それにしても、いつまで面白くなさそうに広場の子どもたちを眺めているのだろうか。


 ――ねぇ、ナージェ。いつまで、ボケーッとしているのさ。早く、この街を調べたりしなきゃ。それから、寝床の確保も。


「そう、ね」


 物憂げにつぶやいた彼女は、子どもたちから目をそらして、頭上を仰いだ。

 彼女の金色こんじきの眼差しの先に、本物の空はない。


 空が落ちてから、大地はばらばらにほどけて散った。

 ある街は、水底に沈み。

 ある街は、闇に呑まれ。

 ある街は、霧深い谷底に。


 それぞれの街に空の代わりに、街を覆う偽空ぎそらがある。

 それは、仄暗い水だったり。

 それは、得体の知れない暗闇くらやみだったり。

 それは、不気味な霧だったり。


 空が一つに繋いでいた大地パンゲアは、いったいどれだほどの数にほどけてしまったのか。空が落ちる前は存在しなかった街もあるせいで、数など意味がないのかもしれない。

 数えることもやめてしまうほど、たくさんの街を渡り歩いてきたけども、一つとして同じ偽空ぎそらはなかった。


「どういう仕掛けかしら?」


 まだネバーランドという名前しか知らない街の偽空は、まるで玩具おもちゃみたいだった。

 青く塗りたくられた背景に白い雲が描かれているハリボテの偽空は、ドーム状で街の中央にそびえ建つ大きな塔に支えられているようだった。

 その偽空を、冷たく輝く真鍮か何かで造られた太陽がゆっくりと横切っている。よくよくハリボテの偽空に目を凝らせば、真鍮の太陽の行く先に細い溝あるのがわかる。軌道だ。軌道に沿って、真鍮の太陽は進んでいるらしい。


 ――からくり仕掛けの偽空なんて初めてだね。


「そうね」


 ナージェはそっけない。それがナージェだから、しかたない。


 ――今回の街は、過ごしやすそうじゃない? アトランティスとか、ザナドゥに比べたら、空気がすごくきれいだ。なにより、子どもたちも元気そうだしね。早く、寝床見つけようよ。きっと、乾いたシーツのベッドがあるよ。もしかしたら、熱くてきれいなお湯がたっぷり使えるお風呂もあるかもしれないね。


「そう、ね。でもね、イェン……」


 ハリボテの偽空から広場の子どもたちに、彼女はゆっくりと視線を戻す。


「渡り鳥が言ってたことが気になって、ね」


 ――この街に運んできた旅人は出ていかないってやつ?


「そう、それ。たしかに、この街は空気もいいし、街の見た目もきれいだわ。でも、住み着くほど居心地がいい感じはしない。今までの街と比べても、そうとう変な感じがするわ」


 ――そう、かな?


「気のせいならいいのだけど。さ、行くわよ。イェンのいう乾いたシーツのベッドと、熱いお湯のお風呂を探さないと」


 ため息をついたナージェは、ようやく重い腰を上げた。


 ――きっと、すぐに見つかるよ。


 棺を背負おうとした彼女の編上げサンダルに、コロコロと転がってきたボールが当たった。ボール遊びを興じていた十歳くらいの男の子が、手を振っている。


「ねぇ、ボール!」


「私はボールじゃないわ」


 ――ボールを取ってって意味だよ、ナージェ。


 返事の代わりに、ナージェの小さい足で棺を蹴られた。


 ――だから、乱暴にしないでよ。いくら僕が痛みを感じないからって、棺は丁寧に扱ってほしいって、いつも言っているのに。


 ナージェは僕という存在を無視して、ボールを拾い上げる。


 ボール遊びをしていた男の子たちが投げてと手を振っているけど、ナージェは両手でボールを抱えたままだ。


「取りに来なさいよ」


 そっけなく短い言葉。

 けど、ナージェの声は凛としてよく響く。聞いた人たちの、心まで響く。


 全部で五人の男の子たちは、えーとか唇を尖らせながらも、ナージェのもとに駆け寄ってくる。

 そして、間近でナージェの美しさに目を丸くさせる子どもたち。いつものことだ。

 ナージェの美しさに気がついた人は、みんな言葉をなくす。空色のワンピースが着古されているせいか、近づかなければ、彼女の美しさに誰も気がつかない。

 旅を始める前に短く切ってしまった純白の髪に、みずみずしい健康的な肌。それから、かつて朝日にキラリと輝いていた草花の一滴ひとしずくの露のような、曇りなき金色こんじきの瞳。

 少女の体のまま時を止めてしまったナージェが、もし大人になっていたら、どんな美女になっていたのか。僕には思い描くこともできない。


「ほら」


 いつまでも口を開けている男の子たちは、ナージェにボールを突き返されてようやく我に返る。


「あ、ありがと」


 ボールを取ったのは、ナージェに気安く声をかけた綿毛のような栗色の髪の男の子だった。

 用がすんだというのに、栗色綿毛の男の子はもじもじしながら、ナージェを見上げた。


「ねぇ、あんた、もしかして、旅人さん? 今朝、渡り鳥が卵を落としていったし……」


「ええ、そう、旅人よ。それから、あんたじゃない。私はナージェ。ナージェ」


「ナージェ。ナージェだね、わかった。どうして、ナージェに気がつかなかったんだろう。ナージェみたいなきれいな子は、絶対に目立つはずなのに。……あ、俺はリック。で、こいつがペインで、そいつが……」


 栗色綿毛改めリックはボール遊びをしていた子どもたちのリーダーらしく、頼んでもいないのに、他の子どもたちも紹介してくれる。


「ねぇ、ナージェ、他の旅人さんは?」


「私、一人だけよ」


 僕という存在がいながら、ナージェははっきりと一人と言う。いつものことだけど、傷つく。


 棺に縛られた僕の姿は、普段は彼女でも見えない。

 彼女が一人というのも、理解できる。納得できる。

 けれども、僕は寂しいし、辛い。

 僕もいるよ。

 そう叫びたくなる衝動を抑えるたびに、胸が押しつぶされそうになる。


 僕が届かない悲鳴を上げている間に、リックはボールを脇に抱えて気安く手を差し出した。


「大人はいないんだね。安心した。この街は、子どもしかいないから」


「え?」


 子どもしかいないと聞いて、珍しくナージェは驚きの声を上げた。


 無愛想なナージェが驚いたのがそんなに嬉しかったのか、リックは得意気に差し出した手で強引に彼女の手を握る。


「ようこそ、ナージェ。子どもの街ネバーランドへ」


 めずらしく戸惑ったナージェの言ってたとおり、この街は変かもしれない。

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