第24話 右腕の価値

 バクの眼が紅く光ったのをユータは確認した。

「見たね。ユータ君」

 バクの眼を見た瞬間、ユータは軽いめまいを覚えた。

 ユータは意識を保つために、目を閉じ、深い呼吸をする。

 ユータが目を開けると、バクは、どこから取り出したのか大きな鎌を手にしていた。


「それじゃあ、いくよ」

 バクの姿が視界から消える。

 

 ユータは辺りを見回し、バクの居場所を探る。

 突如、後ろに気配がした。ユータは反射的に頭をかがめる。


 姿を現したバクは、ユータの首があったところを、鎌で一閃した。

 バクは惜しそうに笑うと、またもやユータの視界から姿を消す。


「厄介だな。だけど――」

 ユータは嘆息する。


刀鬼とうき修羅しゅら】』


「見えないだけなら何とかなる」

 ユータの右腕に、鬼の力が宿る。そして、深く腰を落とし、足に力を込める。

 

 ユータは床を思い切り蹴り、跳躍した。そして、跳びあがった先にある天井を足場に、方向を変え再度跳ぶ。

 その繰り返しで、ユータの体は、人体の許容を超えて加速する。修羅と化していなければ、即座にバラバラになるほどの加速。


 ユータは目にもとまらぬスピードで壁や天井、床を踏み台に、狭い箱の中に投げ入れられたスーパーボールの如く、部屋の隅まで余すところなく跳ねまわる。


「見えないなら物量で攻めてやる」


 ユータの感覚は、鬼の力によって研ぎ澄まされている。高速で動く間にも、空気の動きや微かに当たるバクとの衣ずれで大体の位置を特定していく。

 それに対し、あまりにも速く動き回るユータの軌道を、バクは定めきれずにいた。


 そんなも長くは続かない。ついに、ユータがバクの体を捉えた。

 高速で躍動するユータの身体が、バクの心臓部目掛けて抉りこむように当身あてみする。


 その一撃は、体当たりと形容するのにはあまりにもた。

 ユータがバクに対して放った一撃は、例えるとすれば交通事故。

 あまりの威力にバクの骨が、めきめきと悲鳴を上げて内側からあらぬ方向にひしゃげる。


「カッハァ……ッ!」

 バクは血泡を吹きだしながらゴム鞠のように跳ね跳び、背中から壁に叩き付けられた。


「やったか――」

 ユータは勝利を確信する。が、バクは何事もなかったかのように立ち上がり、すぐさまユータに向き直る。


「フハハ……効いたよ」

 バクは深く息を吐き、呼吸を整えると、首をコキリと鳴らす。

「今度はこちらの番だ」

 そういうと、バクは、何もない空間から二挺のマスケットを取り出した。


「さて、次はこいつで遊ぶとするか」

 バクは、マスケットを両手に持ち、まずは右手に握ったマスケットでユータの足を撃ち抜く。しかし反射神経が向上しているユータは、間一髪のところで避ける。


「それで避けたつもりかね」

 バクが合図をすると、館の空間が歪み、撃ち出された銃弾が跳弾する。そしてその銃弾は、視角外からユータを狙い、ユータの頬を掠めた。


 ユータは、銃弾の不可解な動きに目を白黒させ、舌打ちする。


 バクはユータが一発目の銃弾に気を取られている隙に、さらに左手のマスケットから銃弾を射出する。


 二挺のマスケットから銃弾を撃ちきってもバクの攻撃の手は緩まない。使用済みのマスケットは闇に消え、新たなマスケットを異空間から出現させる。


 バクは、跳弾する銃弾と、新たに追加した銃弾でユータを追いつめていく。

 ユータはそれらを必死で避ける。しかし、時間が経つにつれ状況は悪くなり、次第にユータの身体にできた弾痕から血が流れてきた。


 ユータはこのままでは埒が明かないと悟り、暁に貰った技を、この極限状態の中で想像した。

 鬼骸刀きがいとうを構え、鬼の力を刀に向けて凝縮させる。


鬼哭錬刃きこくれんじん


 刀に膨大な力がみなぎる。

 今までのように鬼の力で自分の身体を超強化する修羅モードとは違い、刀に鬼を落とし、自らが鬼を御する技。それが鬼哭錬刃。

 修羅として鬼に振り回されていた時よりも、力が統御されている分、十二分に使える。


 その効力は、凄まじい。

 ユータは周りを跳弾する弾丸を視認し、最小限の刀の動きだけで全て打ち落とした。


「お前の攻撃は止まって見えるよ」

 ユータは、お前の攻撃は見切ったとばかりに刀をバクに向ける。


 バクは、口をと鳴らし、口の端をゆがめ、取り繕った満面の笑みを見せる。

「ああ、ユータ君。君は、私にとって邪魔な存在だ」

 バクは口早にそういうと、

「何としてでも排除しなければ」

 両目を右手で隠し、

「私の眼を見たまえ」

 隠した手を下げ、両目でユータの眼を見据える。


 ユータは、穏やかなバクの問いかけにつられ、バクの瞳を見つめてしまった。

「甘美なる夢の果てにある悪夢の匣。森羅万象一切の希望をその永劫なる絶望に閉じ込めよ」


夢幻廻牢ループリズン


 バクがそう呟いた瞬間、ユータの目の前からは、バクの姿が消えた。


 先ほどまで激戦を繰り広げて辺り一面ボロボロだった館の内部は見る影もなくなり、景色全てが極彩色の異空間に変わる。


 ユータからは平衡感覚が消え、どちらが地面でどちらが天井かは分からない。ユータを包む不可思議な空間は、赤から黄色、黄色から緑へと、色が不規則に変わる。


「未来永劫、夢とも現実ともつかぬこの狭間の世界で生き続けるといい」

 この空間のどこかから、バクの声がする。

 バクの声が反響し、次第に、その反響した声も遠ざかって消える。

 

 ユータはふわふわとした捉えどころのない感情のまま、辺りを見回す。


 ユータは、遠くに、何か動くものを見つけた。それは、この夢の世界を裁断する、大きな鋏だった。


 ユータは、目を見開いた。 


 鋏が、この世界の片隅から、少しずつ、少しずつ、削り取っていく。

 鋏は、世界を切り進みながら、こちらへ近づいてくる。


「僕は、このまま――」


 ユータは、避けられぬ運命に、すべてを委ねそうになる。しかし、脳裏にセリカの顔が閃き、自分のやるべきことを思い出す。


 ユータは、鬼骸刀を強く握りなおし、意識を覚醒させる。


「大丈夫だ。僕の使命は、セリカを救うことだ。自分を信じろ」

 ユータは、精神を集中させ、刀を構える。

「我が魂に眠る鬼の力よ。わが身を喰らいて万事一切を一刀の元に切り伏せろ」


 鬼骸刀に力を集中させると、鬼の力が奔流となり辺り一帯を黒に染める。ユータは、そのまま刀を鬼の力ごと、己を刻もうとする巨大な鋏に向けて振り放つ。

「これが、鬼の力の極致」


至天してん温羅斬うらぎり』


 ユータの放つ鬼の力は、空間を切り裂きながら、巨大な鋏を破砕した。その力は凄まじく、攻撃の余波で、バクの作り出した悪夢の牢獄に一筋の溝ができる。ユータは隙間から脱出した。

 

 ユータが夢の世界から帰ると、そこは元の館だった。

 目の前には、バクが口を大きく開けて立っている。

「まさか、私の世界までも破られるとは」


「もう打つ手もないんだろう?」

「さあ、セリカを返してもらおうか」


 バクは、ユータの言葉に、両手を挙げ、分かったと言った。

「おいで」

 バクが手招きすると、バクの後ろに扉が現れる。


 ユータが怪訝な顔をすると、扉が開いた。

 扉から出てきたのは、セリカだった。

 

 バクは、セリカの体に左手を回し、抱き寄せる。


「これはどうかな」

 バクは、何もない空間から大きな鎌を出し、右手に握ったをセリカの喉にあてがう。


「セリカを放せ」

 ユータは、必死の形相でバクをにらむ。


 それに対し、バクは、低い声で笑う。


「ユータ君、交渉しよう。君のその力をこちらに渡したまえ」

「力?」

「君の持つ鬼の力。セリカの命と引き換えだ」


 ユータは何か言い返そうと思ったが、喉から出た言葉を飲み込んだ。


 想像が生み出したユータの鬼の力は、今まで幾度も彼自身を救ってきた。英雄になりたい、というユータの夢を叶えるためには、失ってはならない力のはずだった。


「分かった」


 しかし、ユータは、セリカのためにあっけなく、その力を捨てた。


「ありがとう、ユータ君」

 バクは、空中にある左手をそっと下に振り下ろす。ユータの右肩越しに一筋の閃光が走り、ユータの右腕が根元から千切れた。

 ゴトリと、ユータの右腕が鬼骸刀とともに地に墜ちる。それを確認した瞬間、ユータを激痛が襲う。

「ああああああああああああああ!」


「鬼の力が宿った、君の右腕をもらうよ。これで君は、力を扱えない」

 バクは、堕ちたユータの右腕の下に魔方陣を出現させる。ユータの右腕は、鬼骸刀と一緒に、光の彼方へ消えた。


「それじゃあ、セリカ」

 バクが、セリカを放し、セリカが、ユータの元へと歩いてくる。

「セリカ」

 ユータがセリカを抱きとめようと残った左腕を伸ばす。


「セリカ。ユータ君を始末したまえ」

 ユータがセリカを抱きとめた瞬間、ユータの腹部に痛烈な感触が生じた。

「え?」

 ユータが恐る恐る自分の腹を見ると、セリカの右手がユータの腹部を貫通していた。


 バクは、勝ち誇ったように、歪んだ顔で爆笑する。

「ユータ君。愛する者の手で死ねることは、君にとって最上の喜びだろう」


「バク……貴様」


「それとも、残った方の腕でセリカを殺すかね」

 セリカは、ユータの腹から右手を引き抜く。セリカは、ユータの血を美味しそうに舐める。

 セリカは、魔方陣を展開する。そして、腕についたユータの血を一滴、二滴と魔方陣に落とす。

 右手から滴り落ちるユータの血が起爆剤となり、セリカの魔法が展開する。


血の魔力ちのまりょく解放かいほう


「もう、セリカに君の記憶は無いんだ」

 バクは、不敵に笑った。

「じゃあ、あとはお二人で」

 そういうと、バクの姿は透明になって消えてしまった。


 セリカの魔力が赤黒く変色し、次第に大きく、禍々しくなっていく。

 辺り一面は、セリカの魔力によって深紅に染まった。そしてセリカからは、人間の声とも似つかない、低いうなり声が漏れる。


 セリカの背中からは黒翼が生え、眼が怪しく光り、体は醜い悪魔に変化していく。


 セリカは抑えきれない力を開放し、八方に魔力を放出すると、その魔力一つ一つがそれぞれ何かを形作る。なんとセリカは、己の魔力で八首の蛇龍を出現させた。


 蛇龍は館中の装飾品を壊しながら、ユータを取り囲み、大きな口を開ける。


 ユータは、変わり果てたセリカを見据える。


 セリカの号令で、蛇龍たちは一斉にユータに襲い掛かった。

 

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