第22話 セリカ・ナーヴァナル

 孤独。

 私は孤独だったのかもしれない。

 小学校の頃は楽しかった。何も考えずに、ただ楽しく生きていればよかった。あの事件が起こるまでは。


 周りに迷惑をかけていなかろうが、人は、ちょっとした嫉妬により排斥される。少し周りと違っただけで、昨日まで友達だと思っていた人が敵になる。

 小学生の時点で、それを学べたのはまだ救いだったのかもしれない。


 中学に入り、私は人の顔色をうかがうことを覚えた。無味無臭で乾燥した愚痴に共感したふりをし、行きたくもないトイレに付き添った。

 私は、自分を抑える仮面をつけることで、穏やかな日常にひびを入れないようにしてきた。


 そうして、周囲の人間関係に波風を立たせない所作を覚えたころ、学校という世界には、カースト制度というものが存在していると、肌で感じた。

 ヒエラルキーの上にいる人間は、自分が高いところから追い落とされないかと常にひやひやしているし、下にいる人間は、上にいる人間の気晴らし程度の存在として虐げられている。


 私は、ピラミッドを支える石のような無機質な存在にはなりたくない。

 だから、私は想像の世界にもう一人の存在を作ることにした。

 現実では仮面を被らなければならないが、この世界では、誰にも邪魔をすることはできない。


 どうせこの世界にもう一人の自分を作るのであれば、誰にも虐げられない強い自分がいい。

 孤高の存在。吸血鬼、セリカ・ナーヴァナル。それが、私のこの世界での名前。


   ◇


 どれくらいの間眠っていたのだろう。ほのかに暖かい空気に包まれている感覚がする。

 何か、アロマが焚かれているらしく、鼻腔を甘い香りが通り抜けていく。

 古い掛け時計だろうか。それは、一定のリズムを刻みながら、カチカチと小気味良い音を奏でている。


 これは、快楽の中に体が沈んでいるようだ。瞼が重い。しかし、起きなければならない。私の意思がそう告げた。

 私は、ゆっくりと目を開ける。


 かすんだ視界がはっきりすると、目の前に顔があった。心臓が止まるかと思った。

「あ、起きたね」

 顔つきは、私と同じくらいの年の少女だ。透き通った肌に、小さい鼻。目はぱっちりと大きく見開かれている。


「私はツノ。あなたのお世話係よ」

 ツノと名乗る少女は、私を膝枕してくれていたらしい。邪気を感じさせない柔和な笑みを浮かべ、私の頭をふんわりなでる。

「ここは?」

「ここは、バク様のお屋敷」


 私は大きな赤いベッドの上で寝ていたらしい。私がツノの膝から頭を離すと、ツノがベッドから降り、よれたメイド服を直す。

 私は、山岳にユータと龍退治に来ていたはずだ。そこでユータが龍を倒した後、見知らぬ男が現れて――。 


 残念ながら、私の記憶はここで止まっている。

「私は一体」

 そう聞こうとした時、

「お目覚めかな」

 扉が開き、赤い燕尾服を着た男が現れた。

 どうやらこの人がバクらしかった。ツノは、一礼して、部屋を退出する。

「ようこそ、私の屋敷へ。君は、この屋敷に、本当の自分を求めにやってきた」

「本当の自分――」


 頭の中に、数刻前の記憶が思い浮かんだ。

 そうだ、も、この人は、を着ていた。

 私に、救ってあげると、声をかけてくれた。私は、自分の意思でこの人を選んだ。いや、そうではない。

 ――そうだ、私は、この人にんだった。


「私に任せてもらえれば、君が望む姿を与えてあげる」

 そういうとバクは、私に魔法をかけた。

「例えば、ほら」

 体の奥底から、今まで感じたことのないほどの魔力が沸き上がる。ヴェスタルさんが私に見せた、深く、濃い魔力を優に上回る代物。

「すごい、こんなの初めて」

 バクが合図をすると、ストンと、私の中にあった膨大な魔力が、元の魔力に戻っていた。


「君がなりたいのは最強の吸血鬼。今見せた力は、君の力の一端でしかないんだ」

 バクは、私のなりたいものを見事に当てた。

 今まで、誰にも話したことのない心の内。


「周囲の愚鈍な奴らと歩幅を合わせて歩くのはつらかっただろう。君はもう、誰の気兼ねもなく、その力で自由を手に入れていいんだよ」

 私は、強い吸血鬼になりたかった。だから、魔力を高めるために、今まで修行をしてきた。


 バクは、私のすべてを知っている。そして、私の痛みを理解してくれている。

 もしかしたら、この人に任せれば、私の求めている力が手に入るかもしれない。素直にそう思った。


「さあ、選ぶといい」

 お願いします。私は、期待を込めてそう言っていた。

「よろしい」


 バクは頷き、扉のほうへ向かい、私を手招いた。

「それでは、付いてきなさい」

 私は、急いで、バクに付いていった。


   ◇


 地下への階段を下りていくと、広い地下室に出た。

 地下室の中央には、魔法陣が描かれており、私はその上に立つよう促された。

 私は、やおら魔法陣の上に立った。

「これで、準備は整った」


 バクは私のことを理解している。

 後は、彼の指示するままに従っていれば、ことは済むのだという一本の筋書きに組み込まれた思いがした。


「さあ、セリカ。私の眼を見るんだ」

 バクの眼が、赤く灯る。

「さあ、思い出すんだ、セリカ。君の、真の名を。真の姿を――」

 バクの両手から魔力が吹きだし、魔法陣に作用する。魔法陣は荘厳な光を放ち、魔法陣から浮き上がった古代文字が私を包み込む。


 頭の中に、己の身を血で染め上げる様なイメージが流れ込んでくる。

 背筋が凍るような感覚に、身が震える。

 次の瞬間、意識は完全に、私の中のに奪われる。


血脈開眼けつみゃくかいがん亡我ぼうが】』


「君の名は?」

「私の名は、セリカ・ナーヴァナル」

「君の夢は何かな」

「私の夢は、この力で、数多の生命を駆逐すること」

「そうだ、それが君の『夢』なんだろう」


 私の身体からは、溢れんばかりの魔力が激烈な渦となって辺りを舞っている。

 魔力を吐き出すことに感覚を研ぎ澄まされ、もう、以外聞こえない。

「さあ、最後の仕上げだ。その魔力を、思うがまま、形作るといい」


魔力まりょく解放かいほう


 周囲の緊張感が一段階増し、心は、冷たい氷で覆われる。

「さあ、セリカ、この世界を破壊し尽くすのだ」

 私の視界には、紅い魔力と、魂から漏れる闇が交わり、撹拌し、赤黒く染め上げる様がありありと見える。


「クハハハハハッ」

 どこか遠いところで、バクの笑い声が聞こえる。そしてそれが、だんだんと自分から離れていく。


「ついに完成した。最強の手駒がな」

 そして、私の視界は、端の方からだんだんと黒に染まり、どこか深いところに墜ちていく。私の五感が、私ではない誰かの手に渡される。


 不思議と、恐怖はなかった。自分のすべてを誰かに預けている安心感。すべてを解き放った信頼感。

 私は、なりたい自分になれた。それが幸せだと思える。これが、救い。


「おやすみ、セリカ」

 そうして、全てが闇に包まれた。

「いい夢を」

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