第35話 指名手配

 陽は地平線に沈み、空には赤と紫が入り混じった雲が流れている。冷たい風が吹き、僕の素肌をでる。もう、秋も終わりなのか、吸い込んだ息が喉を刺す。


 僕の目の前には、大きな力でえぐられ、地面から露出した岩と、レンガが砕けたような赤茶あかちゃけた小石がある。それらが積み重なり、地平の彼方まで、微かな起伏のある無機質な荒野を生んでいた。


 僕は荒野に足を一歩踏み出した。すると身体に、パラパラと音を立てて何かがぶつかってきた。それは、細かな砂だった。

 風が吹く度に、薄いカーテンのような砂塵が、僕の歩いていく方向に幕を作っているのだ。僕は、砂が目に入らないよう、フードを深く被りながら歩いた。


 ここにはたった数分前まで、人の営みがあった。回りきれないほどの店があり、人と人の肩がぶつかり合うほどの人がいた。

 僕に剣の振り方を教えてくれたヴァイクがいた。祭り好きで強いリヒトマンがいた。僕を強くしてくれた暁さん、服をくれたメイリアさん、闘技大会で戦ったみんな。

 ここには、僕の大好きなエストマルシェがあった。


 僕は自分の手をじっと見る。僕の技も、武器も、全部バクに奪われた。僕を信じてくれる人も、楽しかった思い出も。

 そして……。


「セリカ――」


 僕には何もない。僕は、自分の大事なものすら救えなかった。残ったのは、エストマルシェを壊したという悪名だけだ。現実に居場所のない僕が、この世界で居場所を失ってしまったら、いったい何が残るというのか。


「何が英雄だ」


 その言葉は無意識だった。まるで、心の底から漏れ出た様だった。自虐とあきらめが混じった声を、はらの中から吐き出すように呟いた。


 瓦礫がれきがうず高く積もった街の跡地に足を踏み入れる。店も、中央広場も、闘技場も、みんな壊れてしまえばただの石ころだった。ヴァイクがいた正門からメインストリートを歩くと、石を焼いた後に出るススが鼻に入り、埃っぽいにおいがした。

 どこまで行っても、夕闇に微かに映る僕の影は独りぼっちだった。


 知らない間に、大分歩いていたようだった。

 すでに、冷たい風も治まっていた。僕はフードを脱ぎ、目を上げると、目の前に何か動くものがあった。


 人影だった。


 その影は、小さく揺れた。


「ユータ!」


 その声は、今、僕が一番聞きたい声だった。僕は、その声の主に駆け寄る。声の主も、僕を見つけて飛び掛かってきた。


「セリカ……。よかった、生きてた」


 僕は、飛び掛かってきた小さな体を受け止める。なんだかいつもより人の温かみがより感じられる。セリカの目の端にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「よく、あの爆発で――」


 セリカの髪が、僕の頬をかすめる。こそばゆい感触が、心の隙間を少し埋める。


「ママに助けられたの」


 セリカはそういうと、右目の少し下を指さした。

 家を出るときにヴェスタルに付けてもらった、セリカの右目の下にあった呪印が消えている。


「ヴェスタルさんの魔法が、セリカを守ってくれたんだ」


 僕たちは、抱き合ったまま、しばらくその場から動かなかった。

 とてつもなく大きな闇の中に差した一筋の光に、お互いがすがりあうように、動こうにも動けなかったのだ。


 陽も完全に落ちきっており、辺りはもう足元もおぼつかないくらい暗い。

 バリバリバリ……。

 頭の上から連続した破裂音が聞こえる。空を見上げると、ヘリコプターが飛んでいた。ヘリコプターは数秒間のノイズの後、嫌な機械音を出した。


 無慈悲で無機質な声が、僕たちを現実に引き戻す。


【緊急速報:世界征服を目論むユータがエストマルシェを破壊。現在、エストマルシェがあった場所は、ただの更地になっている模様。逃亡したユータを見つけ次第、以下の番号に連絡を――】


 ヘリコプターは僕たちを見つけることもなく、僕たちの頭上を通り過ぎて行った。


「今の、ユータを探してた」


「見つかったらどうなるか分からない」


「これからどうするの?」


「遠くに行くよ。追手が来れないところまで」


「私も行く」


「僕についてきたら、ヴェスタルさんに迷惑がかかるんじゃ? もう、あの家には帰れないかもしれない」


「ユータについていく」


「分かったよ」


 僕たちは、お互いの手を取り歩き出した。


 ――その後、二人の姿を見たものは誰一人としていなかった。

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