(3)


 腕が刃物。

 身体は殻みたいなもので覆われていて、固そう。だけど嫌に細くてスタイルがいい……のは置いておいて、その姿はまるで、今追っている事件の、今夜追っていた犯人の人物像そのままで。

 視線の先で、徐々に離れていくその集団から話し声が聞こえる。


「おまえその腕何切ってきたんだよ。血いついてんじゃん。肉か?」

「あ? これ? 人間人間。生きてた奴。すっげー簡単に切れるんだよな、あいつら」

「あー分かる分かる。切れ味試すには持ってこいっつーか」

「だよな。最近連続で切っちまってさ、実はちょっと前まで追われててよ、でもトロいのなんのって。途中でまた切っちまったよ」


「――ああ!」


 私は思わず声をあげ、指を差した。ビンゴ! なんて言っている場合ではない。

 会話を聞いている限り今夜の犯人もいるし、他の二人も同じ種族のようで、これまた人間を切っている可能性が出てきた。


「あ? うるせーな……何だよ人間か」

「人間ちゃんは早く帰った方がいいよー」

「ぎゃは! 確かに! 俺たちみたいのがいるからな」


 声に反応して振り返った犯人と、その仲間と目が合った。

 反射的に口を手で押さえる。

 最悪殺られる。と思っていたけど、機嫌がいいのか、すでに今日人間を切っているからか、そんな感じではないらしい。

 しかし、私の方はというと冷や汗だらだらだ。早く行って、と心の中で叫ぶ。

 臆病だとか何だとか、どうとでも言ってほしい。殺人犯(恐らく)を前にしているのだ。怖いのは仕方ない。


 このままやり過ごして、即刻リュウイチさんに連絡しなければ。

 ぎゃっははと笑っている三名の様子に、このままやり過ごせる、と思っていたのだが。


 どうやら、三名の中には、頭がおめでたくないのが混ざっていた。


「……これよお、どっかに連絡されたら面倒じゃねえか?」

「え? そうか?」


 ぼそり、という言葉で笑い声が止まった。

 私の冷や汗も一瞬止まった。突然の展開を理解できなくて。


「処分しといたほうがよくね?」


 ぼそり、と今度はこっちを見てそんな無情な言葉が言われ、彼らはほぼ同時にこちらを向く。


 街灯の光が、彼らのそれぞれニ本ずつ、合計六本の刃物に反射した。ぎらりと刃が光った。


 私の冷や汗は再び流れ始めた。だらだらと、それはもうすごい勢いで。


「い、いやいやいやいや私、言わないので──!」


 口ではそう叫びながらも、三対の目は勘弁してくれないことを感じていたから、踵を返して一目散に走り出した。


 走り出してすぐに、致命的なミスに気が付いた。


 私は彼らとすれ違ったところで止まっていた。そこから彼らから逃げようと思うと、私が元々進んでいた方向に行くしかない。これは当たり前だ。

 だが、思い出す。自分がどこから帰る途中だったのか。今、どこの正反対に逃げているのか。


「ああああもうやっちゃったあああ」


 事件を追いかけている専門の組織から、遠ざかっていく一方。馬鹿野郎ですそうです。

 私は、今、自分を助けてくれるところから、どんどん遠ざかっているのだ。


 後悔しながらも、もつれそうになる足をどうにか転ばずに運ぶ。

 そしてこの状況の一発逆転手段にして、最終手段を使うべく、通信端末を手探りで引っ張り出す。

 正直、唯一の手段でもある。


 さてこの場合誰にかけるべきだろうか。やっぱりリュウイチさんか。

 しかしそのあと来るのはたぶんレイジさんか。でも直接レイジさんにかけると……迷っている場合ではない! と一思いにボタンを押す。


『何だよ忘れ物か? 届けてやらねぇぞ』


 思ったよりも早く出てくれた。


「出ました!」

『何が』


 しまった焦って省きすぎた。


「犯人です! 今夜、逃がした……っと危な」


 改めて伝えるべく叫んでいると、転びかけた。端末も落としかけた。

 転んだら死ぬ。転んだら死ぬ。頑張れ私。おじいちゃんもまだ来るなって言ってる気がする。

 一瞬手元から離れた通信端末をより強く握りしめて、体勢を整えながら、けれどスピードは緩めないように走り続ける。


『犯人だ? ……そうか』


 レイジさんの声が途切れて画面を見ると、通話は終了していた。

 ここに来てくれると信じている。来てくれなかったら絶対化けて出る。……レイジさんは怖がらないだろうけど。


「お願いします」


 端末をポケットに突っ込み、改めて足を一層動かす。

 ……といっても心持ちだけで、実際は全然スピードは変わっていないと思う。


 それにしても、どうにかレイジさんが来るであろう方向、つまり今行っている方と逆方向に少しでも近づいておきたい。

 そうすることで、レイジさんが来てくれる時間も多少は短縮されるだろうからだ。

 

 しかし、進路を変えてUターンしようにも、横から迫って来ているかもしれない。かといって、このまま逃げていられる気がしない。

 どうしたものか。


「ぎゃは、見えた。トロいなーさすが人間。遊びにもならねー」


 キンッ、と後方から金属同士がぶつかった音がした。


 まだ距離はあると思いたい。

 後ろは怖くて見ることができない。少なくともまだ刃が届く距離には絶対いないとは思いたい。

 でも、たぶんあっちは全速力で走っていない。


 現に今日、レイジさんはさておき私が全速力で走っても、あっちの方が早かったせいで、犯人を逃がしている。

 いつまで、あっちがそのままのスピードで追ってきてくれるか。


「あいつらもそろそろ横つけたかな。それとも俺がやってもいいかな」


 一つ分の声しかないと思ったら、あといた二名は、横に回っているらしい。

 真っ直ぐ走り続けることが決定した。とにかく一秒でも長く、捕まらず、走り続ける。




 しかし、だ。焦りすぎるのはよくない。


「うえっ!?」


 足がもつれた。


 このときの私の気分は最悪。

 いいや、嘘だ。頭が真っ白になったから、そんなこと一切感じなかった。

 ずざあ、と派手に転ぶ。足はついてこないが、気持ちだけは前に進んでいたから気持ち前のめりだったわけで、顔面から。


「いったあ」


 打った額を押さえ擦りつつ、もう片方の手を地面つきのろりと身を起こす。

 膝がじんじんする。擦りむいた。痛い。

 それより今どうなった。頭の中は転んだときに真っ白になって、リセットされたばかりか、混乱を起こしている。


 私逃げていた。

 後ろに刃物。

 私焦る。

 私転ぶ。

 私悠長に打った額押さえて未だに立っていない。


 いつの間にか、街灯なんて、整備が悪くあまりない道に来ていた。

 ようやく立ち上がろうとしていると、視界の端に見たくないものがちらついた。

 反射する光もなく突き付けられた刃が、静かに。それから、


「ぎゃはっ、自分で転ぶって間抜け!」


 静寂を裂く、大きな笑い声が真後ろからして、冷や汗が垂れるのを感じた。






「本当に、私、絶対言わないので大丈夫ですよ! 口固いので!」


 背中に、固い感触。

 今、私は目一杯後ろに下がっている。本当に。壁がなくてこれ以上下がれるのなら、下がりたいくらい。

 壁際で、立ち上がることも出来ず、座り込んだままで、二名が合流して計三名になった刃物持ちたちを見上げている。


「だって、どうする?」

「どうするってるだろ」

「誰が殺る?」


 ところが、何ということだろうか。

 彼らの選択肢には私を殺す以外なくて、検討するべきなのは誰が私を殺すからしい。顔を見合わせてそんな相談をし始めてしまった。


 これは、どうやって決めるのだろう。

 くじ? そんなはずはない。

 古き良き話し合い? いや大昔は強い人が偉かったのだったか。

 じゃあここで仲間割れでも、してくれないかな……。


「な、何なら記憶なくします」


 仲間割れはないですね。

 ぎらりと向けられた目に、思わず突拍子もないことを口走った。叫んだはいいが、本当に何を言っている私。そんなことできるものか。やったことがない。


 暗闇の中、私を囲むようにして前に立つ三名だけが、視界を占拠している。


「何、人間ってそんな特技あんの」


 ないですね。

 刃を、かちゃんかちゃんとこすり合わせながら一体が聞いてくる。興味を持ったか。

 恐怖と、僅かな希望の狭間、私はごくりと唾を飲み込む。

 ……やるしか、ない。


「……人間には、記憶喪失といって、脳に強い衝撃を受けると一部の記憶が吹っ飛んでしまう現象があります」


 まさに口から出任せ。窮地に陥ったときの人間の脳とは斯くも素晴らしい。

 ぺらぺらとあることないこと捲し立てる。どうにでもなれ。もうやけくそだ。こうなれば助かるなら何でもいい。


 もしかすると、後ろに壁がある以上このまま壁に叩きつけられるかもしれないし、それはもしかすると地面になるかもしれない。

 どちらにしても、これから私の頭には大なり小なり衝撃がかかることは間違いない方向になっているが、助かるならいい。

 助かる、なら。


 言い出したことは通しきらないとおかしいので、一か八かでこれに賭ける。


「へー、すごいなそれ」

「じゃあさ、俺らが頭ちょんぎって脳ミソ振れば飛ぶ?」


 死にますね。


 どうやらあらぬ誤解が起こったらしい。

 予想もしなかった発言に、私は思わず凍りつく。


 私が、頭ではなく脳と言ったことが悪いのだろうか。

 それとも手が刃物だからか。

 発想が根本から違うらしい。ダイレクトに行きすぎだ。


 それよりも、ここから誤解を解く機会は与えられるのかが問題だ。だが、これ以上私が持ち合わせている知識はない。


 ……こういうときの言い逃れの台詞は用意しておくべきだ。

 そんな、今思っても仕方がないことを思う時点で、どこかで諦めはじめていると自分でも感じたけど、まだそれは認めない。断じて認めない。


「ばかか。人間は頭ちょんぎったら死ぬだろ」


 あなたがたは死なないのか。そして何だ、私はやっぱり頭ちょんぎられて死ぬのか。


 頭から脳ミソをぶちまけるか。今追っている事件の犠牲者のように腹から臓器をぶちまける寸前まで切り裂かれるか。

 突き付けられたのはそんなニ択。


 もっと希望ある選択肢をくださいとか思うことは、贅沢だろうか……。


「わ、私が生き残れる方向の選択肢の提示をお願いします……」


 勇気を振り絞って声を発してみたはいいが、言葉尻は消えていく。


 だって怖いものは怖い。目の前に六本の刃物をちらつかせられているのだから、自分の生死がかかっていようと、そこは変わらない。


「なあ、さっさと殺って飲みに行こうぜ」

「だな。めんどくさくなってきたよな」

「じゃあ俺最近切れ味確認してないから、切っていいか?」

「ああいいぞ」


 そうこうしている内に、彼らは飽きてしまったようで、もはや私の言葉を聞く気はない様子になった。

 結局ものの数秒で、誰が切るかが、たいして話し合いもされずに決まった。大事に決めてくれてもいいのに。


 二名が少し後ろに下がって、刃物を私の前から退ける。

 それにほっとする余裕はない。

 一名の、躊躇なくこちらに振り下ろされるであろう、ニつの刃を見上げながら、目を閉じることも出来ずに頭のどこかで覚悟をする。


 ――おじいちゃんおじいちゃん。この世界に天国という、死んでしまった人が行くハッピーな楽園があるのなら、きっとそこに到達しているであろうおじいちゃん。私はそっちに行けるかどうかは分かりませんが、とりあえず、これから死ぬかもしれ────。


 そのあとすぐ、私の耳に届いたのは。

 ヒュッ、と空気を切る音。

 メキッ、という音。

 ドゴッ、という音、だった。


「…………あ」


 最初は、私を切るために一体が刃を振り下ろす音だった。


 次は、その一体の顔面に何かが勢いよくぶつかって、見るからに固そうだった殻が割れたであろう音。


 最後は、そのまま地面に軽くめり込んだ音だ。


 私はその一瞬の出来事を、閉じられなかった目で目撃し、同時に耳で音を聞き、そして呆けた声を口からもらした。


 ぴりり、と頬に微かな痛みを感じる。どうやら軌道は逸れたが、ちょっと刃がかすったらしい。

 無造作に手で触れ確認するが、たぶん本当にかすっただけで血がつく感触もない。

 手元を見ていないから、本当のところは分からない。


 今や、視界を占拠しているのは、一つの背中だった。


「……れ、レイジさん……」






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