(3)




 同日、もはや夕方。校舎内。

 私の服装は戻って、制服になっていた。


「これくらい上手くやれますよ」

「そうかよ」


 廊下は静まり返っている。

 生徒は一人残らず帰宅した後のようだ。

 いつも歩いている学校の廊下を歩いているのに、何か不思議な感じだ。

 レイジさんが学校にいるからか。

 それはそうだ。変な納得と共に、レイジさんと静かな廊下を歩く。


 私は一旦着替えるためにトイレに引っ込んだのだけれど、出ると、なぜかレイジさんが壁にもたれかかっていたのだ。

 配置についたのではないのか。

 さては私がしくじる可能性ありと見たのだな、と言ってみせると、それだけ返ってきた。


「気いつけろよ」

「はい」


 ぽんと頭に手を置かれて、私は階段に足をかける。

 レイジさんはどこかに行った。あれだけ言いに来たのだろうか。


 上手く、やりますとも。





 ──私の学校の歴史の授業は、とても人間の観点からの説明が多い。時代錯誤にも、それが十割かもしれない。


「先生、お話があるんですけど」


 ばたばたと、何やら対応に追われている職員室を通りすぎて、階段を登って、ある教室に来ていた。

 にこにこと笑っているのは、もちろんわざとだ。


「何だ、君は。生徒は早く帰りなさい。あんな事件があったところなんだから」


 ここは社会科資料室。

 たくさんの資料が置かれている部屋には、窓際に机がひとつあって、そこに先生が一人。

 私のクラスの歴史を担当している先生だ。

 この人はたぶん私の顔を覚えてはいないだろう。

 いくつものクラスを受け持っているだろうし、そもそも私歴史の時間半分寝てるから顔をあげてない。君、と呼ばれたことに内心苦笑する。


「そんな事件、起こしたの先生ですよね」


 私の言葉に、先生の顔が分かりやすく固まった。


 この事件、至って簡単だった。一人の生徒の証言で犯人は上がってきたのだから。


 私の学校での平和を返せ。私がこんな役割を背負っているのは、私がここの生徒で、制服を着て近づいてぺらぺら喋らせて言質取ってしょっぴこう、などという雑すぎる案のせいだ。


 近くで気配なんて悟らせずに待っているであろう面々に、軽く心の中で愚痴を溢す。

 二つ返事で引き受けたのは、私だが。


「先生、アンドウさんが混血であることを隠していることを盾に、脅したそうですね」


 そう、今回のことは至って簡単。


 まず、アンドウさんは混血であることが分かった。

 蛇の鱗を持つ種族の人と、人間の混血児。

 アンドウさんはそれがコンプレックスだったらしい。着替えるときでさえ、下には長袖を着ていたくらいだったようだ。

 学校でその秘密を知る人物は何とたった一人、タニグチさんだった。何かの拍子に目撃してしまったのだろうか。


 かくしてたった一人秘密を共有する人物として、親密になったニ人。

 だけどやっぱりアンドウさんは、他の人には混血であることを知られたくなかった。

 この学校には、混血の人がいると言っても、全体の一割にも満たない数で、圧倒的に人間が多いからかもしれない。


 アンドウさんが知られたくなかった事実を、この先生が何の拍子で知ったのかは、この人が話さなければ知りようがないし、今はどうだっていい。


 先生はアンドウさんを脅した。代わりに何を要求したのかは知らないけど、脅した。

 だけどアンドウさんは後日それを突っぱねた。タニグチさんとたくさん話し合って、突っぱねたのだ。


 突っぱねた場所が、あの地下。

 呼び出し場所があそこだった。

 だからといってどうしてアンドウさんを殺すに至ったのかは分からない。弱味を握っているのは先生の方なのに、なぜ殺す必要があったのか。

 残念ながら私には犯罪者の心理は分からないし、これまた残念なことに、何ら理由なく、という場合もこれまでに見てきた。


 タニグチさんが後日、アンドウさんからの相談を元に先生に真実を迫り、騙されて呼び出されて口封じに殺されたのも地下。

 ただ、あの地下は鍵が内側にしかない。タニグチさんは最後の力を振り絞って出ていったのだ。


 しかし両人ともすでに亡くなっているのに、どうしてアンドウさんがタニグチさんに話した内容まで知っているのか。

 それは、私たちが不謹慎にもだらけかけていたあのとき、現れた生徒、タニグチさんの幼馴染みの功績だ。


 アンドウさんはタニグチさんに相談した。

 タニグチさんは呼び出しの前日、つまり死ぬ前日に、アンドウさんの言葉も含めて全てを記したノートを幼馴染みに渡した。

 ただこれを持っていてくれと。

 そのタニグチさんが亡くなった。

 幼馴染みは速やかに家に帰って、もちろんそれを読んだ。そうして、タニグチさんの推測などを知った。

 それによると、


「ちょっ、先生落ち着いて、」


 この先生が犯人……。


 追い詰められた人って何をするか分からない。

 私も地下に呼び出すという手順は踏んでくれないのか。無理か。今封鎖されている。と、言っている場合ではない。


 目の前には、隠していた凶器か、先が鋭く尖った棒が私に向けられている。


「俺は落ち着いている。お前の口も封じればいいんだろう」

「えええええぇ」


 こんなことより怖い目にあったことはもちろんあるけれど、怖いものは怖い。早く吐かせなくてはならない。


「ど、どうしてアンドウさんを殺したんですか!?」


 タニグチさんは口封じだとしよう。だけど最初のアンドウさんは。

 こちらも脅したことの口封じとでも言うのか。それはリスクが大きすぎるだろう。


 ――私は分かっていなかった。

 真面目に授業受けてなかったから、この人の思想を分かっていなかった。


「あいつらは俺たちを、人間を見下しやがる!! 勝手にこっちにやってきたくせに! 俺たちの世界を踏み荒らして人間を殺して乗っ取ろうとしてやがる!」


 一部の人間が主張していることがある。

 世界は人間のいた世界に交わってきた。

 部外者がやってきた。そいつらは人間よりもはるかに能力が高いものが多く、人間を格下に見ている。危害を加えてくる。

 そんな主張がある。


 けれど私に言わせてもらうと、部外者がやってきた、ということはあちらからしても同じだと思う。

 この考えが出てくる辺りは、授業を真面目に聞いていなかった成果が出ているのか、それとも環境の影響だろうか。


 凶器が降り下ろされる前に掴みにかかった。全体が鋭利な刃物なわけではない、と考えられる辺り、それなりに場慣れしてきているのかもしれない。


「混血だって一緒だ! あいつら、あいつらなんてここにいらねえんだ!!」

「ひ、がい妄想もいい加減にしてよ!」


 言動が滅茶苦茶になってきた。

 言葉と共に気合い一発、凶器を押しやった。

 言質ってどこからどこまでが言質だ、どこまで喋らせればいいんだろうなんて考えながら改めて身構える。


 はあはあと息の荒い先生の、尋常でない様子を見据え、猛然とこちらに棒を振りかぶるその目をしかと合わせる。


 棒には目もくれず、目に力を入れる。

 今は業務内、「力」を使ってもいい。


 すると、先生の目の焦点がわずかに揺れ、ふら、と先生がこれまたわずかに揺れた。

 先生が倒れるか、凶器が集中している私に届くが先か――──窓が突き破られ、先生に蹴りを入れた足があった。

 先生は、倒れ、凶器は床に落ちた。


 入ってきて綺麗に蹴りを決めたのは、レイジさんだった。窓の外にいたのか。

 私は、窓ガラスの破片と一緒に倒れている「先生」を見下ろす。


 この事件で、本当に悲惨だったのは何だ。

 私の学校で起きてしまったことか。生徒が殺されてしまったことか。人間にはこんな考えの人がいると目の当たりにしたことか。

 確かにそれらもだろうけれど、一番だと思うのは。


 そんな偏った考えの詰まった授業が行われていて、もしかすると洗脳さえも始まっていたかもしれないということだ。

 その上で、共存がいくら続いていようともこんな考えが世界にはあるということ。

 さらには、自分が優位になった途端に、あろうことか生徒を殺して、負の連鎖がちょっと続いたこと。


 私にとっては、これまでの事件より、自分の学校で起こったことだからか重く感じた。

 同時に恥ずかしく思った。身内の浅ましい部分を晒してしまったようで。


「ハルちゃんご苦労様」


 自白はあれで十分だったようだ。凶器も出たことだ。

 こちらはドアのほうから、テンマさんが現れて言った。


 その頭には帽子。目は薄暗いからか黒目の部分が大きくなっていた。帽子の下には耳があって、服の内側には同じ色の尻尾が隠れていることだろう。


 獣人であるテンマさんや、吸血鬼と人間の混血であるレイジさんは、さっきの言葉を聞いてどう思ったのだろう。

 ニ人とも耳がいいから、壁一枚くらいではさっきの大声は遮られないだろうから聞こえていたはずだ。

 何ら変わらぬ様子でこっちを見てくるからあんなの何も感じていないのか、それとも頭では何か考えているのか。

 どの道私にはわからなかった。


 私は二つ保持している内の、どちらかと言えば役に立つ方の特殊能力、催眠を使いかけたために少し痛む目を瞬く。

 これが難点だ。すぐに目が痛くなるし、目を合わせないとかけられないし、効力が弱い。

 先生を気絶させたのはレイジさんだ。


「ガラス当たったか」

「当たってないです。ちょっとフライングで催眠かけかけて」

 目を瞑っていたりしてたら、レイジさんにあらぬ誤解をされたよう。

 ガラスは、細かい粒に至るまで、私に届いてはいなかった。


 「紛らわしいことすんな」と頭を傾けかけていたレイジさんに言われる。

「大体、俺らがいるってのにお前な」

「いや……つい」


 本当につい、だ。

 目をしばしばさせながらも、瞬きの回数は減ってきた。

 倒れた先生の手を踏んで、凶器を蹴り飛ばしているレイジさんを見上げて笑う。


「ったく、凶器向けられたってのに笑ってんな」

「先生が冷静じゃなくて良かったですよ」


 いつも相手にしている犯罪者たちは、至って普通に激昂したりと感情を昂らせずに刃を向けてくるのだから。先生は冷静でなかった分、動きが雑だった。


「こんな人が先生してたんだなあ……」


 私は特殊能力保持者ということを隠してるけれど、こういう人はそれにも何か思うところあったりするのだろうか。


「ハル、ご苦労だったな」

「お安いご用です」

「レイジ、窓を壊したな」


 手袋をはめて凶器を拾いあげたリュウイチさんが、次に豪快に壊れた窓を一瞥した。またか、と言いたげだ。


「仕方ないだろ」

「タイミングばっちりでしたよ」

「そうだろうな。中がよく見えたことだろう」

「他には凶器なさそうっすね。それだけ引き上げればいいみたいっす」

「そうか」


 机や棚を素早くささっと確認していたテンマさんが戻ってきた。

 リュウイチさんの視線が、私よりよほど高い位置のレイジさんの顔から逸れる。


「引き上げよう」

「ああ、もう用はねぇな」


 レイジさんが犯人を荷物のように担いで、リュウイチさんの促しで、テンマさんも部屋の外に出る。

 最後に出た私は、ちょっと後ろを見た。夕日の光で、床に散らばったガラスの破片がきらきら光っていた。


「おい行くぞ」

「レイジさん、窓壊しましたね」

「うるさい」

「冗談ですよ。危なかったのでありがとうございました」

「……本当に思ってんのか」

「えっ感謝してますよ本当に」

「そっちじゃねぇよ馬鹿が」


 レイジさんが歩き出してしまったので、私も見知った廊下を歩き出す。


 やっぱり皆さんミスマッチだ。リュウイチさんはスーツだから馴染んでいないこともないけれど、先生には見えない。


 今日は濃い一日だった。と考えながら、私は、今夜帰ることが出来る時間を予測しはじめていた。


 だから、今日はこれで終わりではないなんて、私は思わなかったし、他の誰も思わなかっただろう。






 日付が変わる数時間前、早めに駆り出されていたこともあって、私は早くも帰らせてもらっていた。

 暗い夜道を街灯の下、歩いていた。


 だが突然。


 何かの声。いや、鳴き声、遠吠え、か。

 街中に、夜空に響き渡った音があった。


「……早く帰ろ」


 夜道で聞くと怖くなる類いの声だ。私は小走りになる。

 今日は色々あった。早く寝よう。事件は一応解決したから、明日は学校がある。


「……え」


 それなのに、私の目は嫌なものを見つける。


「勘弁してよ」


 ちょっとだけ街灯に照らされているものは、見たところ出血おびただしく、人の形をしていた。


「――もしもし、リュウイチさん。おそらく死体を見つけました」


 私の夜はまだ終わらないらしい。






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