(2)
結果的に言えば、授業は行われなかった。
教室に戻ると、長い間先生は来なかった。
緊急の会議でも開いていたのだろう。先生が来るまでの間、教室は囁き声で埋め尽くされていた。
事件の憶測の内容が内容だからだろう。見える限り、全員が不安そうな顔をしている。
隣の席の友人も例外なく。
それはそうだろう。自分の通っている学校で、もしかすると殺人事件が起きたのかもしれないのだから。
いくら毎日、街中で――大きさには違いがあるけど――事件が起きているといっても、いざ自分の本当に近くで起こらなければ、実感なんて湧かないと思う。
今初めて、自分の住む世界不安を覚えた人もいるのではないだろうか。
先生が教室に入ってきたとき、全員がぴたりと口を閉じた。先生の顔に視線が集中する。
「今日は、全員すみやかに帰宅するように。決して寄り道はしたいようにしなさい。明日からのことは連絡を待つように」
先生は青い顔で、固い声でそれだけを言った。質問はするな、というように。
きっと先生たちも混乱している。生徒たちも何も声を出さなかった。先生に促されて、全員が帰る準備をし始めた。
私はまさに来たばかりで、鞄の中身を出すどころか、教室に入ったのも体育館から戻ってからだったので、すぐに鞄を持って立ち上がる。
「え、ハルカ早くね」
「だって私本当に来たばっかりだし」
「あ、そうだっけ……え、もう帰んの?」
「先生が言ったでしょ。すみやかに帰宅って」
「ハルカ早っ、一緒に帰ろーよー」
「ちょっとしご……バイト先行くから」
「こんなときにもバイト!? さすがハルカね!」
褒めているのだろうか。
友人に手を振って、一番乗りで教室を出る。
廊下にはもう、他のクラスから生徒が出て来ていた。もうすぐにでも混雑しそうだ。さっさと玄関に降りる。
さっきは友人に「バイト先」に行くと言ったけど、実際はどうしたものか。本当なら今日は学校終わりだ。かといって、ばっちり見つかった。
けれど体育館行っても、先生に見つかったら怒られそうだ……。
「ハルちゃん」
外、正門に向かっていたら、声をかけられた。そんな呼び方をする人なんて、私の記憶の限りでは少ししかいない。
当然立ち止まって周りを見るが、生徒がちらほらと同じ方向に行っているだけで、肝心の声の主はいない。
何、どこにいるの。
普段の学校で、こんな風に声をかけられても、私を学校でそう呼ぶ人なんていない。
だから普段であれば、私は無視をするか、もしくは今みたいに周りを見渡すが姿が見えなければ、また歩き出すだろう。
だって、正式な書類には通っている学校名も記載してあるけど、L班の構成員が書類に目を通していたとして、覚えているはずがないと思っている。
ということで、学校で事件が起きて、そこに偶然L班が来て私が野次馬紛いのことをしてばったり会わない限り、そのひとがここにいるはずがないのだ。
……ただ残念なことに、一連の流れが今日起こって、声の主であろうテンマさんが来ているのも見た。
というわけでその姿を見つけなければ……あ、いた。
「そんなとこで何やってるんですか」
上から見ると、模様を描くようにして連ねて植えられている低い植木の繁み、正門の直線上からは離れた場所にテンマさんはいた。
目に捉えた瞬間、走って繁みの向こう側に飛び込む。自分でもびっくりするくらい素早かったと思う。
しゃがみこんであちらから見えないように身体を丸めているテンマさんの姿を認めて、私は抑え目で声をかける。
本当に何をやっているのだ。
あちらからは見えないといっても、校舎のニ階以上からは見えるし、もしかすると後ろから生徒がやって来るかもしれないのに。
はっきり言って、一見すると見不審者だ。
さすがに私も焦る。
「ハルちゃんここの学校だったんだ」
本人は、お構いなしに話しかけてくる。
今日テンマさんの頭に乗っているのは、つばの広い黒色の中折れ帽だ。
「そうですよ」
やっぱり知らなかったな、と思いながら肯定の言葉を返す。
「ハルカ、なんて名前が聞こえてきたから思わず見たら、なんとハルちゃんがいるじゃん。おれとレイジ先輩、そのあとかぶっちゃってさ、『何でいるんだ』って」
とても愉快そうに笑っているけど、マイペースすぎだと思う。
ここは上下左右全ての方向が何かに遮られているわけでもないわけで。それをこのひとに言ってしまいたい。
「そしたらリュウイチ先輩が、どうりで学校名に見覚えがあったって言って、初めて分かったんだよな」
「そうですか」
リュウイチさんは記憶の片隅に置いていたようだ。さすが。で、問題は。
「どうしてここにいるんですか。現場にいたんじゃ……」
「ハルちゃんここの生徒なら話早いわ。今から仕事な」
「どこが話早い……えええぇ今からですか?」
私、ここの生徒で、すみやかに帰らなくてはならないのだが。
確かに薄々分かってはいた。
だからと言って直接呼びに来るとは予想外だった。学校帰りにそのまま直行することあるから、今日も着替えはあるけれど……。
「さあさあハルちゃん。行こう」
有無を言わせぬテンマさんに引きずられて、かなり早めに、本日の業務に移ることになった。
さあ、倒れていたのは誰なのか。殺人なのか。自殺なのか。それとも持病か。
現場で聞いた周りの憶測と、友人に聞いた話を頭の中で掘り起こしながら、私は着替えた。
現場に先生はいないだろうか。
どうやらコートは忘れて来たようなので、スカートをズボンに履き替え、制服の上着を脱いでパーカーを着て、フードを被って現場に向かう。
体育館の前には、誰かがニ人立っていらっしゃった。先生ではないようだ。テンマさんの後から、その人たちに会釈しながら入る。
私がいつも授業で走っている空間の一ヶ所に、いつもではあり得ない空気が漂っていた。生徒が倒れていた場所だ。近づくと、その姿はもうなかった。
「連れて来たっす」
「お帰り」
その場にいたのはリュウイチさんと、レイジさん。
テンマさんの言葉にリュウイチさんが振り向き声をかける。
私はというと、残った血の跡を見る。おびただしい量の血は、どこかに続いており、見える限りでは壁に開いた空間に続いている。
「そこから生徒は出て来て倒れたと思われる。生徒の死因は出血多量。刺されたあとが見つかったが、凶器は残されていなかった」
私の視線に気づいたリュウイチさんが話し出して、
「生徒が刺されたのはその中だ」
壁の中に続く空間に促される。
「ここは、元は一応作られた避難シェルターだったそうだな。だが、使うことが長い間ないため倉庫と化し、あまり開けられることがない。また、内側にしか鍵がないようだ」
中には通路があり、すぐに下りの階段があって、降りる。
その先に広がった空間に、無意識に息を一瞬止める。
また、血の跡だ。ニヶ所。異なる大きさ。
場所が「日常的」な場所だからか、やけに生々しく思える。
「ここでもう一人、女子生徒が見つかった」
一人ではなくニ人も。
頭によぎるのは二つの名前。アンドウ。タニグチ。そして、キョウコはどちらかの下の名前。
「他殺です、よね」
「そうだ」
どう思う、と言われる。
私は、一応、頭の中にある情報を確認することにする。
「生徒の名前はアンドウさんとタニグチさんですか」
「そうだと教師から確認が取れた」
「アンドウさんとタニグチさんが亡くなった日時は異なりますか」
アンドウさんは、確か行方不明の疑いがあったはずだ。たしか、一週間前から。
その期間が、ここで殺されてしまったから、と繋がる可能性は高い。
「アンドウ アカリは一週間前。タニグチ キョウコは昨日の夕方頃だな」
キョウコという名前は、タニグチさんのものだったらしい。
今朝、悲痛な声で叫んでいたのはタニグチさんの知り合いか。
「というかですね。この学校の人全員容疑者ですよね、私も含めて」
アリバイは取りきれるのか。私を参加させていいのか。学校関係者はいないので、フードを取り去る。
「お前、昨日サディと一緒にいたろ」
レイジさんが壁に寄りかかりながら、私の昨日の行動を口に出す。
ああ、もうとっくにそこは確かめているから私はここにいるのか。昨日サディさんを手伝いに行って良かった。
「まあそれはそれとして。私あんまり役に立てませんよ。亡くなった生徒の名前も数時間前に知ったので」
「え、そうなの」
「ですよ。生徒の間ではもう噂広まってました。もちろん上で倒れてた生徒限定ですけど。アンドウさんじゃないか、いやクラスメイトの子だって聞いたって」
「推測大正解ってとこかね」
テンマさんが帽子をくるくる指で回しながら、そんな感想をもらす。
その現れた頭には、髪と同じ色の三角の耳が二つ。L班以外誰もいないから外したらしい。
ぴこぴこ動いている。触りたい。
「人間同士での殺しの事件は久々っすね」
どうやら犯人をこの学校の人間に定めたようだ。普通に考えてそうかな。
「おれ引きずられ損じゃないっすか」
後から聞いた話によると、テンマさんは勤務時間が終わったのに、まだその辺りをうろついていたがために引きずられて来たらしい。道連れというやつだ。
お気の毒さま。今日に限ってその気持ちはよく分かる。
でも私を連れてくることを提案したのはテンマさんだったという。
とにかく、言われてみると、他の事件と比べると、人間が犯人ならそこまでの危険性はないと言える。
「早く片付けてしまいたいところだな」
もしかするとまた殺人が続いてしまうかもしれないので、犯人は捕まえなくてはならない。
「L班の方いらっしゃいますか!」
「ここだ」
誰かが飛び込んできた。私は念のためフードを被る。
地下に降りてきたのは、さっき扉のところに立っていた人だった。
「女子生徒が一人、話したいことがあると言って動きません」
「生徒が? 今行く」
地味に長引くのではないかみたいな空気が流れたときに、現れた生徒。
これで一気に解決に向かうことになるとは誰も思わず、私たちは階段を登った。
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