(2)



 犯人との距離は、数十メートルと言ったところか。

 いつもは躊躇なく、素早く間を詰め、昏倒させるレイジさんだが、今日は違うらしい。犯人を見つけても、変わらず歩いていた。

 その間にも、通りには破壊音が響き渡る。近づけば近づくほど、大きくなってくる。

 近所迷惑も甚だしい。


「レイジさん……家が壊れていきます」

「家は完全には壊れねぇだろうが」

「訂正します。家の壁に穴があきます」


 着々と近づいていくと、犯人の全貌が見えてきた。

 牛の頭をした獣人だ。筋肉ムキムキで、中々大きい。ハンマーは身体と同じくらいの大きさで、かなり重そう。

 あれで思いっきり振られると、骨が折れて当然だ。折れるどころか、粉々になるかもしれない。


 余談だが、獣人といっても、テンマさんのように部分的に所謂獣の要素が入っている場合や、この犯人のように頭丸々がそうであったり、足だけ……等、色々な場合がある。九割くらい獣の要素という方もいる。

 つまりは、目の前の頭だけ牛の犯人は、目撃情報の通り獣人だったというわけだ。


 ところで今、家の壁に、ハンマーが軽く最初の穴をあけたところだと思われる。

 そこでようやく私たちは、犯人の元へ着いた。私に関して言えば、レイジさんより一歩二歩後ろ。


 私が最後に前に進んだとき、散らばっていた石を踏んで、地面と石が擦れた音がした。

 その小さな音を聞き取ってというわけではないと思うけど、同じくらいのタイミングで、牛の頭が動いた。

 壁を破壊する音が止んで、壁に打ち込まれる寸前で、ハンマーがピタリと止まった。


 どことなく、ぎらぎらとした目が、私とレイジさんに向けられていた。

 そして、犯人が私たちの姿を認識したと思われた直後、持ち上げられていたハンマーが、身体の向きを変えるのと平行してこっちに降り下ろされる。

 迷いなく。思いっきり。


 それにしてもいきなりすぎると思うのは、間違いかな。だって、私たちはまだ声もかけていないんだ。

 もしかすると、これまでの被害者――入院することとなっている二人――は本当に、声をかけて犯人が振り向いたのとほぼ同時くらいに、ハンマーを振り抜かれたのかもしれない。

 これだと、危険を察知して逃げる暇もなかったと思うから。


 と、私が悠長に考えられている理由がちゃんとある。ハンマーを、易々と片手で止める人がいるから。

 受けたときに音がしなかったのには、何か技があるのだろうか。

 犯人は、ハンマーがそれ以上進まないことに、首を傾げたように見えた。


 それから犯人がしたことは、再び手のものを高く持ち上げること。

 しかし、それを待っていたように、レイジさんは今度こそ一気に間を詰める。

 ゴキッという音がして、大きなハンマーが支えるものがなくなって、落ちてくる。

 それが地面につくより早く、空中で受けとる手があり、ハンマーが消え、次いで腹に響くような衝撃音がした。


 後には小さな石が落ちる音と、ハンマーが地面に置かれる重そうな音が残り、それ以上の大きな音はなくなった。


 あっという間の出来事を、見ていたようで、目で追えなかった私が今見ているものは。

 ハンマーの柄を持ったレイジさんと、壁に沈む犯人。


 …………ん?


「被害拡大してるじゃないですか!」


 犯人が、今夜空けていた穴はまだ小さかった。私たちが気がつくのが早かったためだ。周りは叩かれて崩れていたけれど、貫通するには至っていなかった。

 だけど、だけどだよ。

 今の惨状はどうだ。

 犯人が壊していたところを目掛けて、犯人が叩きつけられた。結果、犯人の身体の大きさの分、壁が完全に崩壊し、倍以上の大きな穴が空いている。


 で、それらをしたひととは。


「こいつがしたことにでもしときゃいいだろ」


 ハンマーにもたれかかっているレイジさん。


「俺は別の場所でこいつを伸した。が、にすでに壁はやられていた」


 悪びれた様子が欠片もなく、偽装している。


「……や、無理だと思います」


 無理でしょ、犯人は壁に沈んでいるんだから。


 最初した「ゴキッ」という音は、おそらく、犯人のハンマーを持った手をレイジさんが殴ったのか蹴ったのか……私には動きが追えなかったけど、そんなことが行われたのだろう。確実に骨は折れていると思う。

 それでハンマーを握っていられなくなった犯人がハンマーから手を離し、落ちるハンマーをレイジさんが奪った。

 次の瞬間、ハンマーを手に入れたレイジさんが、犯人をハンマーでぶん殴る。

 終了。


 一瞬で出来上がった瓦礫に、ほとんど埋まった犯人はピクリとも動かない。死んでないよね。

 つんつんしたくなる。やらないけど。


 私の視線の先の犯人を見たレイジさんも、事実をねじ曲げるにはこの状況に無理があると気がついたのか、動き出す。

 凶器のハンマーから手を離して、何をするのかと思えば……雑に瓦礫を――もちろん足で――払いはじめる。

 この先どうするのかは分からないにしても、さっきの口実に合わせるためだろう。私は何も言わないことにした。


 視線を移した私は、おそらくこれまでで一番被害が酷くなってしまった壁を見る。

 この家の人、いるのかな。

 近くでは、しばらく自立していたハンマーが、バランスを崩して柄が重力に従い落ちていく。

 

 カン、と、柄が地面に落ちて音を立てただろうその時、私の目の前は真っ黒に覆われていた。


「――――え?」


 声を上げた頃には浮遊感に襲われ、風が吹き付けてきていた。

 腹には、覚えのある圧迫感。

 私はすぐに理解する。誰かに抱えられている。


 顔面に吹き付けてくる風に目を細めながら、突然の出来事を把握すべく、真っ先に周りを見る。

 眼下には……屋根、時々、その間に敷かれた道。

 不規則に上下に揺れながら、それらを見下ろす私。

 この状況は、身に覚えがある。


 だから幸いにもそれほど混乱することはないが、混乱が生まれている問題はきっと……私を抱えてるひとは、私が思ってるひとじゃないってことだ。

 どんどん、目に映る屋根は変わる。瞬きする度、移ろっていく。


 私は、意を決して、上を見た。


「……?」


 あなた、誰。

 私の口はその形に動く。声には、ならなかった。

 確かに、知らない誰かだと予想はしていた。

 そして実際、おそらく知らないひとだった。だけど知らない、と断言出来ないものがあるような気がしたから、私はそのひとを見上げ続ける。


 すると、月の微弱な光に照らされた、はっきりしない顔がこちらに向く。それすらも逆光で、私にしては意味がない。

 しかし、こちらに向けられた目に、ぞくりとする。

 口元から覗いた牙に、治ったはずの手のひらの傷が疼いた気がする。


 ――――吸血鬼だ。


 種族の名前が頭にぱっと浮かんで、私の身体に冷や汗が吹き出した。

 またか。

 私の記憶には、恐怖しか残っていない。身動き出来ないようにされ、血を吸われ、気を失う。

 ぞくり、と、身体が震えるのと同時に、感情に連動したみたいに目の前をちかりと光が瞬く。


 刹那、身体を支える力が揺らぎ、地面に叩きつけられた。いや、走っていたところ的に、屋根の上か。


「いったあ…………!」


 しかし、落ちた場所を確認することはなかった。

 喉の奥から、何かがせりあがり、口から何かが出る。とっさに口を押さえると、手が濡れた感触がした。

 周りを見る余裕もなく、身体を折り曲げる。


 しまったと思う。特殊能力を使ったのだ。どんなことになるか、予想がついていなかったくせに。

 だがこれは――


「――――ぅ」


 痛い。

 苦しい。

 何だこれは。

 熱い。

 身体が沸騰しそう、だ。

 苦しい中、口を押さえ唇を濡らした液体に触れた指に、目を落とす。


 赤。

 赤。


 べったりと、手を濡らし、主張する色。

 怪我、ではないはずだ。

 次いで、発作のような咳が襲ってくる。ごぽ、と、口の端から何か垂れる。

 苦しい。

 息をする、という行為をしない方が楽なのではないかと思った。そしてそれは、無意識下に反映され、いつの間にか呼吸を止めていたのだろうか。


「……参ったなこれは。返すときに怒られるかもしれん」


 苦しみの中、意識は真っ黒に塗りつぶされた。



 *






 派手に崩れている壁の前にいるレイジは、証拠隠滅のため、犯人を壁から離そうとしていた。

 獣人の足を掴み、引きずろうとしたそのとき、彼は異変を拾った。


「……え、」


 ハンマーの柄が倒れた音がすると同時か、戸惑ったような声。それに――。


 レイジはそれを認識した途端、素早くそちらを見る。が、それにも関わらず、もはや近くには誰もいなかった。ハルカさえも。

 しかし、遠くの屋根に黒い影を見た。


「……」


 小さくなっていく姿を目に映しながらも、レイジは追いかけ始めることはしなかった。

 代わりに、掴んでいた獣人の足を地面に叩きつけ、ポケットに手を突っ込む。取り出した機械を操作して、耳に当てる。

 その過程で、自分が叩きつけた足とその下の地面に亀裂が入っているのを見ながら、彼は無事な壁にもたれかかる。


「――リュウイチ、やられた」


 機械から聞こえる二回目のコール音が途中で途絶え、発された声は、恐ろしく低い。


『壁がか』

「違う、ハルだ」

『何があった』

「目を離した隙に連れて行かれた」

『……行った方向は分かるか』

「ああ」

『それなら、先に追って――』

「片付け先にやるぞ。犯人を気絶させてある。それに、どうせ追っても追い付けねぇ」


 内容が今夜の事件についてではないと把握した向こうの相手、リュウイチ。

 電話の最中に犯人を担ぎ、歩き始めるレイジ。眉間にはそれは深い皺があり、彼は言ったことに自分で苛立っていた。


「行き先は分かる」

『行き先が?』


 機械の向こうの相手の疑問の声に、


「あれは親父だ」


 答えた声は、抑揚なく冷静なようで、静かな怒りが埋められていた。






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