(4)
組織の建物内の通路。男が一人、窓の外を見て、立ち止まっていた。
視線の先に見えるのは、敷地内から敷地外へ繋がる門へ歩いて行く少女の後ろ姿だった。
髪が、歩いていることでの少しの振動からか、はたまた風が吹いているのか、わずかに揺れている。コートを着ているものの寒そうにしているように見える、後ろ姿。
「言うべきでは、なかったか」
リュウイチは、ぽつりと呟きを一つした。
ハルカの言葉には大まかに頷き肯定したが、リュウイチは仕事ではなかった。それもそのはず。L班は本日、班全体が休みの日。彼個別の仕事だってない。
遠い門の外へと少女が姿を消した後も、リュウイチはまだ、その場に足を止めていた。
「お、リュウイチか?」
封鎖された通路ではないわけで、誰一人通らないというはずはないので、立ち止まる彼に声をかける者があった。
リュウイチは、左方に顔を向ける。
「今日休みじゃなかったっけか」
「少し、用があってな。お前は仕事か」
「決まってるだろ」
声をかけてきたのは、同じく人間の男だった。
声をかけた相手が反応し向いたことにより、彼は歩み寄って来た。
その手が軽く上げられ、指先でつままれている煙草から、細い煙がゆらりと動く。
止まっているリュウイチの元までやって来た男は、窓の外を見やる。
「外なんて見てどうしたよ」
「寒そうだと思ってな」
「寒いも寒い。これ以上寒くなってくるっていうんだからやってられねェって」
コートを身につけた男は、外から入ってきたばかりか、もう勘弁だとばかりにそう言った。
この男はリュウイチとは顔見知りで、同じく組織で働いている者であった。
二人は連れだって歩き出す様子はなく、むしろ、来たばかりの男はおもむろに窓側にもたれかかり、
「この前のやつ、ちゃんと戻したかよ」
世間話の続きのように、けれど、少しばかり静かな声で尋ねた。
リュウイチは短く「問題なく」と答えてから、続ける。
「この前は協力してもらってすまなかった」
「いいさ。おまえの頼みなんて珍しいしな。ただ、持ち出し厳禁なんてものの理由は聞かねェし、オレが言うのも何だけど、ほどほどにしとけよ」
「心配ない。もうすることはないからな」
「何だよそれ」
そのやり取りの最後に男は微かに笑い声を上げ、「仕事これからなんだよ」と、手をふらりと振って去って行った。また寒い外に出なければならないのか、外に嫌そうな目を向けていた。
先日、持ち出した「外部持ち出し厳禁書類」。その管理は厳重で、持ち出すには協力者が必要だった。その人物があの男であった。
それを元通りにしたことを確認するために声をかけてきたのかと、リュウイチはその背を黙って見送った。
それから、再び窓の外へ目を向ける。もちろんその場に少女はおらず、全く別の者が歩いていた。
「こういうことは慣れないのだがな」
そのとき、何か、震えたような音を受けて、リュウイチはポケットに手を入れる。すぐに引き出した手には通信端末があり、耳に当てる。
「レイジ、ちょうど少し話したいことがあった」
『俺は一つ、確認してぇことがある』
「先に聞こう」
『この先、組織がハルのことを預かって、今の状況が改善される見込みはあるか』
まさに単刀直入。
リュウイチは質問がされた理由を考えることはせず、答えを自らの中から引き出す。
「限りなくゼロに近い」
そして、電話の相手に結果を端的に差し出した。
『分かった』
電話の相手は、揺らぐことなく、変な間を開けることなく、自然に了解の意を表した。
先日も同じようなことを言ったから、そう言うことを予想していたようでさえあった。
しかし、相手が見えないため表情窺えず判断に困るが、リュウイチは少し違和感を覚える。
「……勘違いならすまないが」
『なんだよ』
「何かあったか」
『――いいや』
返答には、確かに僅かな間があった。
リュウイチがそれを吟味する前に、機械の向こう側の男が続ける。
『あと、聞きたいことがある』
「何だ」
『ハルは今どこだ』
「家へ一度帰ったところだ」
『帰れるようになった、ってことじゃあねぇだろ』
「そうだ。荷物を取りに行くだけだ。これから組織で本格的に身を預かるからな」
少女との班員としての付き合いは半年。
されど半年。リュウイチは、就いている仕事においては幸運なことであろうが、観察眼は良い方だ。
だからこそ、特殊能力保持者研究室の領域でハルカの様子を見に行ったとき、話したとき。その、様子に気がついてしまった。
荷物を取りに行くのだと言ったとき、家ではなく、こちらで暮らすことになると言ったとき。
何より。
いいのだ、と言ったとき。
大きめの検査着を身につけていることで、小さく見えたり、翳りが見えたのではない。
一つだけ、彼女に大きな影響を与える存在がいることを、リュウイチは分かっていた。
それらを思い出して、リュウイチはまた窓の外を見ていた。
「行くのか」
思い出したことは口に出さず、尋ねた。
声はすぐには向こうから返されることはなく、沈黙が作られる。
『どうしようもねぇこと、自覚しちまったからな』
やがて返ってきた言葉が、それだった。
『それでそっちの話ってのは何だ』
「……いや、次会ったときに必要ならば言うことにしよう」
『どういうことだよそりゃあ』
「忘れておいてくれていい」
『悪いな』
「構わない」
リュウイチが迷うことなくそう返すと、通話は途切れた。
耳から離した端末をしまい、リュウイチは窓の側から離れた。
彼は、何が悪いな、だったのかを考えながら、何もなかったように自然な足取りで通路の先へと行きはじめた。
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