(2)



 今日は来る予定のなかった建物の中、目的の部屋に行くと、待ち構えていたひとがいた。


「やあやあやあ、待ってたよハルくん! さあさあまあまず紅茶でも飲んで飲んで」


 若干大きめの白衣を着た男性を、サディさんと言う。

 私が言葉を発する隙もなく、部屋に入るなり背中を押され、書類が乱雑に置かれている机の並ぶ中、一部のみ小綺麗な一角に連れていかれる。


 まさに、休憩スペース。

 円形のテーブルと、その上に置かれた紅茶セットと、お菓子。


「や、でもその前に仕事」


 仕事をしていないのに休憩出来るほど、神経は図太くない。手伝いとして来ているのだから、仕事はしなくてはならない。

 すると、椅子を引いていたサディさんが振り向いた。


「ハルくんは真面目だね、まったくもって良い子すぎる。なのに、いやだからこそレイジくんに使われちゃうんだよきっと。どうかな、いっそのこと僕のところに来ないかな? どう?」

「どう……って……うあうおう」


 勧誘の言葉と共に、肩を掴まれ揺すられる。

 揺すられながら、私は目の前にある四つの目を見る。


「サディさんL班じゃないですかー」


 どうせ。


「だからレイジくんじゃなくてさ、僕の助手にならないかい? いやいや別にハルくんがレイジくんの助手だなんて思っているわけじゃないよ、そんなこと言語道断だね。それにしてもレイジくんは……この前久々に彼の始末書見たよ。雑だね、相変わらず。そうそうそれにさ……」


 つらつらと話し出して、後半はレイジさんの悪口になっていっているサディさん。

 その手はその間に私からは離され、話に合わせてジェスチャーしている。


 その顔に四つある内の、いわゆる私たちと同じ場所についているニつの目はこっちを見ている。

 さらに、それの上のもうニつ、私たちで言うところの眉毛があるくらいの位置についている目は、話に合わせて斜め方向に動いたりしている。


 目が四つあること以外は、人間と容姿が変わらない。

 私は、初対面では上二つの目はアイマスクで隠れていて見えなかったものだから、ニ度目に見たときには軽く驚いた。

 ちなみに、サディさんの目は、上ニつと下ニつで視力が違うらしく、上ニつには眼鏡をしている。


「とりあえず先に手伝いさせてもらいます。休憩はそのあとさせてもらいます」

「……おおっとそう? じゃああの机の上をお願い」


 ぺらぺらと続けていた話を止め、サディさんが示した先は、いくつかある机の一つだった。

 紙の束がいくつも積み重なっており、見ていると、端のほうの薄い束が落ちる。


 私は覚悟してきた。

 最初はあまりの量に絶句して、ニ回目は引き受けようかどうか迷って。でも甘過ぎる条件に揺れて……を繰り返して、今日まで時々手伝いとして来ている。

 さっそく机に近づきぺらり、と山の一番上の紙を一枚めくって見てみる。ぎっしり詰まっている文字、文字、文字。そこには嘘か真か色々な情報が詰まっている。


 手伝い開始だ。


 手伝いといっても、ほとんどが書類の種類別への振り分けだったり、内容のデータ化だったり文章まとめだったりで、さすがに複雑なことは任されていない。


 ただ単に、量があることもあって、根気がいる作業だ。時にシュレッダーを前に、時にパソコンを前に、数時間私はただ無心で作業をこなしていった。


 ところで、このサディさんがL班において何の役割を担っているかというと、それはもうほとんどが補助、特に情報収集である。

 彼は大抵、すごい量の書類と、パソコン上のデータに囲まれている。


 こんな世界にはまだまだ未知な情報が多く、しかし情報は増え続け、それなのに変わり続けているのだからもう大変だ。

 組織全体としても、その手の分野に関してはずっと人手不足らしい。


 ここで余談だが、この組織で私が名前はハルカなのにも関わらずハル、と呼ばれるのはサディさんが理由に挙げられる。

 せっかち……ではないが、話の展開が早いサディさんに名前を聞かれたときに、私はハルカのハル、までしか言えなかったのだ。

 他ならないサディさんの喋りに阻まれて。


 それがどうして他の人にまで伝わっているのかいうと、私が訂正しなかったから。面倒だとかではなく、そう呼ばれることに抵抗はなかったから。

 結局それに固定されて、今に至っている。


「いやいや助かったよありがとうハルくん。きみが来てくれなかったら僕はあれをまだニ週間は手をつけられなかっただろうね。まったく、そろそろ人手不足を解消して欲しいよ。むしろ悪化してるんじゃないかって最近思うんだよね。それとも誰かがサボってきてるのかな、それとも職離れでも進んでるのかな。どっちにしたって人材育てるなり、募集項目ちょっとは緩くしたほうがいいと僕は思うね。あーでもそれで悪化しちゃうこともあるのかな。あれハルくんお菓子食べなよ?」

「え、あ、はい」


 ぺらぺら話すその内容は愚痴と意外と真面目な話。

 私は皿に盛られた色とりどりのお菓子に手を伸ばしていたが、耳に入るわ入る、高速のお喋りが。

 声をかけられ、サディさんの上の目が私の顔を見て下の目がお菓子に向けられるまで、手が止まっていることに気がつかなかった。


 どうやら手伝いに来たかいはあったらしい。

 数時間に及んで文字を追い続けた私の目と頭はちょっと疲れているけど、サディさんを前にするとまったくもって来てよかったな、と思う。

 それはこのほのぼのとした一角のせいか。


 きっとこういうこともあって、また電話があればオフでも手伝いに来てしまうのだろう。

 お菓子と休憩時間があって、給料までつくには出来すぎた環境だ。


「これおいしいですねー」

「やっぱり? やっぱり? だよね。それさ、実は毎日限定ニ十箱限定のクッキーでさ、昨日から並んじゃって、どうしても一回食べてみたかったんだよねけどどうしても時間がなくてね。でも自分で手に入れる醍醐味っていうのがあると僕は思うんだよね。だから人には頼みたくなくて……」


 一言言うと、倍になって返ってくる。


 ん? クッキーを買いに行ったの? 自分で。仕事は? 

 私の背後にまだ紙が束になって転がっているのだが、あれは今日の朝に出来たものではないと思う。

 まあサディさんだって、息抜きはしたいだろう。いくらここに休憩スペース作っていると言っても、息が詰まるときもあるだろう。


 と、目の前で喋りが止まらないサディさんの言葉を聞いているつもりなのだけれど、言葉が耳を通りすぎていっている感じは否めない。

 息は詰まっているとは思えないサディさんが買ってきたらしい美味しいクッキーを、もそもそと頬張る。

 熱々の紅茶を飲む。もしかするとこの紅茶もサディさんが買いに行っているのかな。


「おいサディ、それっぽい情報確かあったって言って何分かかってんだ」

「ぶっ」


 いきなり、ドアが乱暴に開かれた。

 それはもう、破壊されたんじゃないかってくらいの音がした。


 びっくりして、紅茶を派手にまき散らすところだった。

 大丈夫。ちょっと不発に終わったから。


 テーブルにあったティッシュで拭きつつ、聞き覚えある声に一応そっちの方を向く。


「あ、そうだった。ごめんごめんレイジくん。すぐ出るからちょっと待って一分くらい。あ、そこのクッキー食べてもいいよ。あれ? どこにあったっけ……」

「さっきも一分って行ったろ。出ないなら出ないで別にいい。……それよりお前なんでいるんだオフだろ」

「お疲れ様ですレイジさん。私ですか? サディさんから電話で手伝いに来ないかって言われてですね」


 給料も出るって……と、向かい側の椅子にどかりと座ったレイジさんに答える。

 すると、レイジさんは長い脚を組みながら、若干呆れたような表情になった。


 それはそうだろう。私はたぶん昨日、今日のオフが潰れるってなったとき不満そうな声ちょっと出したと思うから。

 現に今日は帰って寝るつもりだったし。


「何時だと思ってんだ帰れよ。──おい出たか? 一分経ったぞ」

「出た出た。過去にも問題があった地区なんだよねここ。しかもそうそう最近の目撃情報。中身の見えない荷物が運ばれたり、夜には人が集まったりしてるらしいよ。何か出店の準備じゃないかっていう噂も出てるけど、そこら辺探れば出てくるんじゃないかな。印一応つけておくね。ただ、道が大変入り組んでて元々の地図でもあまりいやかなり? 正確性がなかったものだけど、いる?」

「正確性ない地図なんて役目果たしてないだろ」

「まあそうとも言うね。けど今日は運がいいねいつもだったら道に四苦八苦するところだけれどハルくんがいるじゃない」

「?」


 サディさんが取り出してきた数枚の紙は、印刷したばかりのもののようだった。

 それを、サディさんが話しながらレイジさんに差し出す。けれど軽く首を振って地図はいらないと受け取らない、と見えたレイジさんに、サディさんが言った。


 目を向けられた私は、何だ何だとティッシュを持つ手を止める。直後、私の視界は地図でいっぱいになった。


「ハルくん分かる?」

「――分かります」


 目の前のものとは別に、すぐに頭の中で弾き出された「正確な地図」。

 訊ねられるがままに、返答する。


 ──世界が交わったことによる変化として、大きなことがまだある。

 人間のごく一部の者への異変だ。

 人間の世界に他の世界が交わったことにより、人間は圧倒的に不利な立場となった。

 それを補うかのように、本当にわずかな一部の人間に、世界が交わる以前には普通は持ち得なかった不思議な力が現れた。

 これを、そのまま「特殊能力」と言う。


 特殊能力を保持している者のほとんどは、将来、人間に仇なす種族と渡り合えるわずかな人間として、それらと直に接する犯罪の現場に当たる仕事などに就くことが多い。

 現在は能力指導のために、特殊能力保持者の探索も行っている。


 斯くいう私も特殊能力保持者で、二つ、特殊能力を持っている。

 そのうちの一つがこれ。


「じゃあレイジくんに道案内することは可能かな? 僕のお手伝いとこっちとじゃあ、重要度が明らかだからね、ああ事件の概要はここで話そうかそれともレイジくんに」

「おい待て何勝手にこいつ一緒に来させようとしてんだよ」

「お安いご用ですよ」

「は?」

「ハルくん今日は手伝いに来てくれてありがとうね。お給料は振り込んでおくのと、クッキー包んでおくから戻ってきたらおいで。それから怪我はしないようにねー」

「はい」


 サディさん限定クッキーくれるなんて、太っ腹だ。だから手伝いにきてしまう。


「おい」

「そういえば昨日ハルくん、追ってた犯人に帰り道で遭遇したんだって? 帰りってことは丸腰だったはずだよね頬の絆創膏はそのせいかな。今日ももう暗いねえ。レイジくん道案内してもらったら送ってあげるといいんじゃないのかな」

「さすがにもう慣れたんで、一人で帰れますよ」

「行くぞ」

「えっ、え!?」


 ついさっきまで渋っていたレイジさんに身体をすくわれ、雑に肩に担がれた。

 意味の為さない声を出して目を白黒させていると、笑顔で見送るサディさんを見ながら、部屋を出ていくことになった。

 そういえば、何の事件なのだろうか。





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