『道案内と油断することなかれ』

(1)




 肩を揺すられた。


 その振動により、机に突っ伏していた頭を起こすと、ぼんやりとした視界に教室の様子が映った。

 ……どうやら、午前の授業を寝て過ごしたらしい。

 いつ寝落ちたのか記憶にないが、教室では皆がご飯を食べていて、教室の壁にかけてある時計が昼の時間を示していた。

 紛うことなく、今は昼休みだ。


「ハルカ今日放課後遊びに行かない?」

「うーん……行かない」


 起こしてくれて、前の席の椅子に座ってこちらを向いている友人の誘いにそんな返事をした。

 それより、なぜだか後頭部が痛む。

 くくっておらず、前に流れ落ちてくる髪と一緒に頭をさする。なぜ後頭部が痛いのだろう。

 伏せていた額なら分からないでもないのに、後頭部。


「あ、頭痛いでしょ。ハルカ、三限目に思いっきり叩かれたんだけど、起きなくて先生すっごい顔してたわよ。それより行かないのー? またバイト? ていうかおでこのそれどうしたの? 頬も絆創膏貼ってるし」


 この学校が授業選択式で、毎回教室移動みたいな学校じゃなくて良かった。

 寝ていると移動出来ずに欠席扱いになってしまう。

 でも痛む後頭部のことを考えると、そっちのほうが叩かれなくていいだろうか。

 朝から眠くて一限からの記憶がなく、教師に叩かれたらしい後頭部。そうか、起きなかったのか……。成績下がるかな。


「転んだ」


 転んだよ。思いっきり。

 昨日、いや今日だったかな。あのとき日付回っていたのかな。まあどっちでもいいか。

 ちなみに筋肉痛にはなった。もちろん脚、軽いものだ。

 後頭部のついでに、転んで打って擦りむいて大きい絆創膏を貼った額を一撫でする。頬の小さな絆創膏は、刃がかすった微かな擦り傷だ。膝にも同じものを貼ってある。


「それは派手にこけたわねえ。今何のバイトやってるの?」


 目の前で、友人が失礼にも爆笑する。すごく痛かったというのに。

 友人をよそに、私は机の横にかけている鞄の中に手を突っ込んで、財布を探す。昼食を買いに行かないと、何も持ってきていない。

 財布が手に当たり、取り出して、椅子を後ろに軽く下げながら友人の問いに答えるべく口を開く。


「運送業かな」


 口からでまかせ。

 椅子から立って教室の出入り口を目指す。後ろからは、友人が同じく立ち上がり、椅子の脚が床にこすれる音がした。


「運送業ってまさか力仕事? 出る幕なくない?」


 隣に並んだ友人の不思議がる言葉は、性別如何の前に、力仕事なら人間よりも力のある種族が他にたくさんいるから、入る隙なんてあるのか、ということ。


「運送される前の荷物関係」


 選択ミスだったようだ。指摘されてそうだなあ、と気がついた。

 しかし、こちらとてそれで揺れるようではない。重ねるでまかせ。そうすると友人は納得したように頷き、そして首を傾げた。


「ならどうしてこけるの?」

「人手なくって手伝えって、ちょっとした荷物運ぶことになったの。で、足元見えなくて」


 すってーん。我ながらよく出来た話だ。


「やっちゃったわね」


 あっちゃーと、なぜか友人が頭を抱える。

 放り出される荷物でも想像したのだろうか。友人の想像力がたくましくてよかった。真実味がでたらしい。

 私の頭の中では、昨日の絶望的状況に追いやられる原因になった転倒が思い出されている。


「怒られたでしょ」

「ううん、壊れ物じゃなかったから大丈夫だった」

「それはラッキーだったわね。それよりハルカたしか……この前までピザ屋のバイトだったのはどうしたのよ? まさかかけ持ち?」


 前回聞かれたときに出したでまかせは、ピザ屋だったのか。

 今思い出したらしい友人の言葉によく覚えていたな、と内心びっくりする。

 私なんて今聞いてそうだったかな、というくらいだった。


「……やっぱり配達って雨の日嫌だな、って思って」

「あー、そうねー。それは納得。で、今日もバイトってわけ?」

「うーん……」


 今日はオフ。と言いかけて、ここでオフだと言うと放課後絶対強制参加だ、と午前中寝たからか中々冴えている頭で考えた。


「そ、今日もバイト。ごめん」

「そっか、大変ね。ま、いいって、今度遊ぼ!」


 また口からでまかせ。


 結局昨日――再び帰路に着く頃には日付は完全に回っていたので今日、だ――の日付が回っていた頃、私は出ていったはずの場所に戻り、報告書を作成していた。

 机にかじりつくこと何時間か。

 残念ながらそれを提出して帰路をレイジさんにおぶわれていたときは、もう空は薄明るくなっていた。

 本日は休みになったため、本音は我が家に帰ってもう一眠りしたいというわけ。


 その前に、午後は真面目に授業を受けよう。


「すいませーん、玉子サンドくださーい!」

「こっちカツサンドで!」


 腹ごしらえのために、友人と、同じデザインの制服を着た生徒ばかりでごった返す購買で声を張り上げた。



 午後の授業では寝なかった。


「すごい良い天気ー……」


 目を向けている先では、光がすごい中庭の植物に降り注いでいる。


「いたあ」


 突如、頭を衝撃が襲った。が、それほど大げさなものではなかった。音も軽かった。


「こら何悠長に外見てる。聞いたぞ、午前中全授業眠りこけていたらしいな」


 目を教室内に戻すと、すぐ側に先生が立っている。何を隠そう、今はれっきとした授業中なのだ。そんな中私は窓際という誘惑溢れる席なために、窓の外を眺めていたわけだから、手に握られている教科書で叩かれたらしい。

 教科書というか、何かの資料だろうか。薄っぺらくて良かった。

 派手に痛い、と言ったけれどそれは反射的にであって、昨日転んだのとどっちが痛いと言われれば昨日の方が格段に痛かった。


「お陰様で今は元気です先生」


 後頭部を擦りつつ、午前中寝たからか眠気に押し潰されそうにもない目で先生を見てしかと頷く。


「そうなら授業に集中しないか。いつ勉強するんだ……」


 確かに。真面目に授業を受けないとまずい。

 嘆かわしい、とでも言いそうな先生の表情に、さすがに反省する。


「先生……私ちゃんとします。授業続けて下さい」

「そうか? ちゃんとするんだぞ?」

「はい」


 先生が念押しして教卓に戻っていく。

 黒板には数式がいくつか書かれていた。そこでやっと数学の授業であることに気がついた。

 何ということだ。私は教科書すら出していなかった。辛うじてノートを出しているだけましと言えるだろうか。言えないか。先生に叩かれても仕方がない。

 先生はあとニ、三発叩いても良かったのではないか。私ならこんな生徒は嫌だ。


 授業が始まってから早ニ十分。

 今さらながら教科書を出すべく鞄に手を突っ込んでごそごそしながら、横目で少し離れた席で静かに爆笑する友人を捉えて後で一発叩こうと心に決める。

 あ、教科書忘れたかも。



 放課後になると、長居せず帰宅するべく教室を後にする。

 廊下を歩いていた途中、制服のポケットの中で通信端末が鳴って、出る。 


「ねえねえハルくん今日オフらしいね! ということは暇だっていうことで、どうかな僕の仕事を手伝ってくれない? あ、お給料はちゃんと出すから安心して? それから休憩付きで。紅茶とお菓子もつくよ。どうかな? どうかな?」


 出た瞬間、まくし立てられる。


 こちらのオフをどこで聞きつけてきたのか、どうやらお手伝いが欲しいらしい。

 それにしても、相変わらず提示してくる条件が美味しすぎる。

 休憩付きって。魅力的すぎる。

 いつもの業務時にそんな暇はほとんどないので、思わず学校内の廊下で立ち止まる。


 あとは帰るだけだった。今日はのんびり帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、普通の時間にベッドに入って十分な時間寝て、明日起きる予定だった。


 しかし今日はバイト、なんて口からでまかせだったはずなのに、それが本当になりそう。

 どんどんオレンジ色がうっすらとかかってきた空を窓ガラスを通して見ながら、本来の予定と、手伝いに行った場合の利益を比べる。


「手伝わせて頂きます」


 今日は何時に帰れるかな。





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