(4)
時間切れ?
そういえば名も知らぬ吸血鬼が、また立ち上がって、どこぞに歩きはじめた。今度は何しに行くのだろう。
何気なくわたしは目で追っていく。ドアの方……。
ドアが、とんでもなく大きな音を立てて開けられた。突然。破壊されたのではと思うほどに。
持ったままで忘れていたカップから、手が滑りそうになった。危ない。下には隣の空間と違いふっかふかの絨毯はないが、落とすとカップが割れる。落としたら大変だ。
落とさないうちに、慌てて両手で持ってテーブルの上に置いてしまう。
その間に、重い音がした。ドアが絨毯の上に倒れた、のか。
「ったくやっと見つけたぜ。何鍵かけてんだ」
おや、レイジさんだ。声で察する。
というのも、背もたれが高いため、振り向いた上で膝立ちになってよいしょと向こうを窺おうと思ったら、吸血鬼が立っていて見えなかったのだ。
まあ、言葉とさっきの音からするに、重厚な作りのドアを鍵ごと蹴破って入ってきたらしい。レイジさんらしい行動だ。いつもながらすごい。
「何だレイジ、意外と早かったな」
「皮肉か? おせえに決まってんだろ」
「鍵くらい開けてやろうと思ったのにタイミングが外れたからな、それくらいは早かったという意味だ」
それに、と。
私に背を向ける吸血鬼は、レイジさんに続けて話しかける。
「俺の予想だともっとかかるか、そもそも俺だと気がつかない可能性も視野に入れていたからな」
「そりゃあ俺を低く見すぎたな。確かにこんなに探し回ることになるとは思ってなかったが……おら親父、餓鬼返せ」
「そんなに急くな」
壁がなくなった。
そうしたら、すぐに目に入った。
レイジさんがいた。
「レイジさん」
「ハル、来い」
「お前もこっちに来て座ればいいじゃないか」
「理由がねぇ」
私はどうすればいいのですか。
ふっかふかのソファにもたれかかりながら、斜め前方に立っている吸血鬼と、やっぱり絨毯に沈んでいたドアの上から退いたレイジさんを見比べずにはいられない。
目線の高さはほぼ一緒。と、いうことは、背がほぼ一緒だっていうこと。
明らかに血のつながりを感じさせる似た顔立ちの二人が向き合う。が、その表情は見た目には対照的。
近くに立っている吸血鬼が笑みを口に浮かべているのに対し、レイジさんの口の端は下に曲がりかかっている。
「連れて行きやがって……ふざけるのも大概にしろよ」
「俺は真面目だ。サコンの孫に会いたいと思ってな」
──あれ。待って。
知り合いそうな会話の外、私はさっきレイジさんが口にした言葉が、遅れて引っかかった。
レイジさんから、縦縞スーツおしゃれ吸血鬼さんにそろっと目を移す。
似ている。さっきからずっと思ってること。
――「親父」
親父。
おやじ、とは。
「えっ、レイジさんのお父さん!?」
どうも空気がよろしくないので目だけ覗かせていたのだが、身を乗り出す。
すると、レイジさんがかなり嫌そうな顔をした。
けど、私はそれどころじゃなかった。
まさかのまさか。まさか親だとは思ってもみなかった。でもそうか、納得。似てる。似ているんだから。
「へはあ」
息と一緒に、意味ない気の抜けた声が洩れる。そうとしか反応しようがないのだ。
「何だ、俺は親に見えなかったか」
「いやあ、親戚さんかなと」
正直に口に出すと、近くの吸血鬼――もとい、レイジさんのお父さんがまた笑う。よく笑うひとだな。
「お前は何馴染んでんだ」
「そんなに馴染んでるわけじゃ」
「いいから行くぞ」
「はーい」
促されて、ようやく私はソファからもそもそおりることにした。
「ゆっくりして行けばいいだろうに」
「親父」
「何だ?」
「俺はこいつに手を出すなって……いや、こいつで遊ぶなって言ったはずだ」
「まだ遊んでない」
「おい」
「冗談だ。まあ、連れて来るときに少し血を吐いてしまったことくらいか」
「血を?」
「……ああ、これは言わない方が良かったか」
レイジの厳しい目が私に移されてきて、驚く。
近づくことをちょっと止まったら無言で促されて、進む。
「何ともねぇのか」
「まぁ特には」
手は拭えただろうか。あとで落ちるかとかいうことは考えずに、一応コートに後ろ手に擦り付けてから、手をあげてアピールする。
顔にはついていないかと少し気になるが、そこはもう今さら仕方ない。
「何で血を吐くようなことになる」
「急に連れ去られると抵抗したくもなるだろうな」
「ふざけんなって言ってんだよ」
「れ、レイジさん」
親子喧嘩って、こんなにぴりぴりどころか、びりびりするものなのか。
聞いたことがないくらい、低い声を出したレイジさんのコートを掴むと、見もせずに頭を撫でられた。宥めるみたいに。
怒って掴みかからんばかりなのは、レイジさんの方なのに。
その矛先が向いてる方はというと、息子の様子に眉一つ動かしてない。これ普通なのかもしかして。
「相当な特殊能力だな。それに――いや、さすがに様子的に悪かったとは思っている」
レイジさんより赤さが増す、深すぎる色がちらりとこっちに向けられた。
遮られる。レイジさんだ。
空気が、破裂する寸前のように張り詰めていた。
「レイジ、ハルを連れて戻って来てくれと連絡があった。もう戻れるか?」
救世主と呼ぶべきか、勇者と呼ぶべきか。
ドア本体を無くして、覆うものがない四角の枠の向こうからリュウイチさんが現れた。
リュウイチさんもいたの?
気配が全くなくて、音もなかったから、一番びっくりしたかもしれない。
「ああ」
行くぞと、ふわりと身体を掬われる。
抱き上げられた状態で、とっさに後ろを見ると、レイジさんのお父さんが別に呼び止めるつもりはない様子で、ひらりと手を振っていた。
ドアの枠の側面で、ドアと壁とを繋ぐ蝶番が力なく揺れているのが目に入った。
そうして、部屋を出る。
何だったんだ、っていうのが、私の感想。
「連れて戻って……ってなんかあるんですか?」
「先日精密検査を受けただろう」
――その結果が出た。
自分の身体が固まるのが、分かった。すぐに、意識して力を抜く。
確かに確認してしまった異変があった。
どんな結果が出るのか、ぼんやりとしていたそれが目の前に表れることになるのか。
おじいちゃんとの会話は、きっと嘘ではなくて。実感はなくて、でもあって。
どんなことになるのか、目を逸らしていたかったけど、そうはいかないみたいだ。
どんなことになっても、このひとの傍にいられるだろうか。せっかく、ここまで来たのだから。
それだけが気がかりで、私はぎゅっとレイジさんの服を握った。
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