『時間が待ってくれたことは一度もない』
(1)
――耳を疑うという行為、目を疑うという行為は、彼が生まれ持った身体からして物理的には滅多にないことだ
「持ち出し厳禁書類だろこれ」
リュウイチに他に人のいない場所に呼び出され、何よりも先に黙って差し出されたものを見て、レイジは目を上げた。
分厚い紙の束の一番上には、赤い判子で厳禁と文字が存在を主張していたのだ。
外部持ち出し厳禁書類。
単に外部ではなく、組織の建物内であろうとも特定の場から持ち出すことを禁止されている旨も記されている。
受け取った側のレイジは、その面を相手に向け、一応言った。
リュウイチがこれを見逃すはずはない。彼はあえてそれを持ち出してきたのだ。
特殊能力保持者研究室の域から。
「ハルの精密検査の結果だ」
「あいつはなんで戻ってこない」
ハルカが呼び出しにより組織に戻った日から、四日。ハルカはL班に一度も顔を出していない。
リュウイチはその理由を「特殊能力保持者の定期検診」と称した。おそらく、そう言えと言われたものだろう。
そうであるはずがないとレイジは確信していたが、無闇に動くことはなかった。リュウイチが少し待てと言ったことにもよる。
その結果、今日が来た。
「見れば分かる」
言われなくとも、レイジは分厚い紙束を捲りはじめていた。
そして、元々厳しめのものだった顔は、徐々に険しさが増していく。
特殊能力保持者の情報は、人間にとってのトップシークレットだ。
ゆえに、レイジは特殊能力保持者のことをよく知らない。紙に印刷されているグラフに、数値化することが出来るのかという感想を持ったほどだった。
だが問題は、記されている中身。文字。連なり意味を作るそれら。
「ハルが能力を二つ持っているのは、実は他に例がない。俺含め組織の研究員も彼女本来の能力は地理把握、もう片方の催眠は遺伝ではないかと考えている。
組織は元より、ハルが強い特殊能力保持者であったサコンさんの血筋であることにより、遺伝の可能性を考えていた。そう示唆される能力が微弱なものではあったがな。そして今回、あれだけ強いものが現れた。決定だ」
「――リュウイチ」
「問題は、彼女の身体がついていっていないことにある」
レイジはまだ、紙を見ていた。捲る早さが一時かなりの早さになり、今はそれがなりを潜めている。
ゆっくり、ゆっくり、捲られる。
一枚、一枚。
目が、文字を追う。
「血を吐いたのは、大きすぎる力に対する身体の拒絶反応。……レイジ、俺たちが思っていたよりも結果はまずかったようだ」
壁にもたれているリュウイチには少し疲労の様子が覗いていた。
「特殊能力保持者の中には、力に押し潰されて命を亡くしてしまう者がいる。その場合、能力が目覚めれば目覚めるほどに特殊能力保持者を追い詰めていき、最終的には命を落とすことになる」
自身も特殊能力保持者である男は、無論研究室に入る権限を持ち、そこそこの情報が下りてくる位置にある。
今回は立場を利用して、本来禁止されている行動に及んだのだ。
「どうしてこの短期間で急激に大きな変化が起こったのかは不明だが、ハルは例外的に二つの能力を持っているのだから、そのせいもあるのかもしれない。……彼女は、おそらくそれほど長く生きられないだろう」
レイジの手が止まった。ページは最後にまで到達していた。
「あいつは、これ知ってんのか」
「知っている。四日前、連れて戻ったあの日に伝えられたそうだ」
「反応は」
「頷いたくらいだったと」
実質の余命宣告。
それなのに、頷いただけだと。
「あいつ……もう知ってやがってたんじゃねぇのか」
「どうやって」
「自分の身体のことは自分がよく分かるって言うだろ」
沈黙が落ちた。
「ハルは、もちろん現場からは離れさせられる。特殊能力の遺伝では初の例となったこともあって、彼女は
「そりゃあ……死ぬ前にデータは取るってことかおい」
「……これまで、力に耐えきれなくなった特殊能力保持者が持ち直したという記録はない」
持ち直せないなら、唯一の遺伝能力保持者である彼女の情報は一つでも多く取らなければならない。組織は、そう考えている。
もう一度、沈黙が生まれる。
「……レイジ、お前はどうする」
「どうするって何だ」
「ハルと会えなくなってもいいのか」
リュウイチが、ドアの方に目を向けた。
そこには、紙を持った手をだらりと身体の横に垂らし、虚空を見ている男がいた。表情は、色々なものがない混ぜになり、よく分からないものになっている。
そして、静かに言った。
「だからってどうするってんだ。……俺といて長生きするって話でもねぇだろ」
彼の目は、閉じられた。
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