(2)




 この世界は、元々人間だけの世界だった。

 少なくとも言語を所有していたのは人間だけだった。

 しかし、何十年も前、突如その世界に異変が訪れた。このことは、『世界が交わった』と、とある学説では唱えられている。文字通りのことが起こったのだ。


 世界は、人間だけのものではなくなった。

 今では人間たちは日常生活では戸惑っていないが、世界には当初人間から見ると異生物と認識されるものや、それまで空想のものとしか思えなかった生物が次々と現れた。

 世界が乗っている星さえもその形を変えてしまったという話もある。それほどに、この世界はそのとき変わった……のだが、それはもう昔の話となりつつある。

 起こってしまったことは仕方がない。人間は順応した。


 次々と現れる、人型をし、言葉を交わせる生物たちにも。地図と照らし合わせると大きく大きくずれてしまった街並みにも。そして、世界が交わっても起こる犯罪にも。

 交わったからこそ起こる犯罪にも、何もかもに順応するしかなかった。


 そのようになってしまった世界で、人間は同族だけに傷つけられるのではなく「他の生物」の標的にされるようになった。より残虐に。より多く。

 現れた生物たちは、容易に他を傷つけられるものを身につけ、形をし、力を持った、人間より遥かに強い生き物がほとんどだったのだ。

 ゆえに、犯罪は消えるどころか増えはじめた。人間は始まった共存に抗うことは出来ない。


【これらは全て人間側からの見解である】





 レイジさんと戻ってきたのは、あらゆる事件を追う組織。通称「警察」と呼ばれる組織の本部。

 舞い込んでくる事件の被害者は、大部分が人間だ。そして、加害者はほとんど、人間から見ると別の種族。


「処理は」

「任せてきた」

「そうか。ああ、そうだハル、懐中電灯を忘れていっただろう」


 パソコンが何台か置かれている室内。

 机が並んでいるところの一番奥からから立ち上がった、すらりとした長身にスーツを着こなす男性、リュウイチさん。人間だ。

 その手で懐中電灯が揺らされている。

 ドアの側に落ちていたらしい。出る際に落としたのだろう。

 やっぱり忘れていたようだ。外で落としたのではなくて良かった。少し安堵する。


「あはは、真っ暗でレイジさんに貸してもらっちゃいました」


 今度から、コートの内側に紐を縫い付けて、その紐で縛っておこうか。……でも、それだと走ったりすると身体に当たって痛そうだ。

 小型の懐中電灯にすれば、光の届く範囲は通常サイズには劣るけれど、持ち運びも便利だろうか。

 受け取った懐中電灯を、何となく手のひらで撫でる。


「それで報告は」


 三人しかいない室内で、リュウイチさんの声が響いた。


 ソレデ、ホウコクハ。


 頭の中で、今までの流れを整理する。

 最近起きている連続殺人――連続殺人自体は残念ながらそれほど珍しくない――仮に今回の事件を、決まって犠牲者につけられた傷の形から『十字傷事件』とでもしておく。

 私の所属する通称『L班』は、パトロールの最中、今夜の追跡劇に至った。

 しかし、失敗に終わった。それも、犠牲者プラス一名という負の結果を携えてだ。


 声を発したリュウイチさんを真面目な顔で見た私は、ここまでのことを時間にして数秒で振り返った。

 そして内心汗をたらりと流す。まずくないはずはない。


 そこで、ちらりと視線だけを横の方に向ける。机がある場所の隣には、ソファがテーブルを囲うようにして置かれた空間がある。

 ソファの一つには、レイジさんが腰かけている。

 レイジさんもほぼ同時にこっちを見た。

 視線を交わしたのはそれこそ一瞬で、彼は、わずかながらに目をある方向に動かす。

 ……リュウイチさんの方だ。

 十中八九「お前がやれ」だろう。


 予想はしていたので、私は報告を始めることにする。


「犯人は取り逃がしました。追跡途中で犠牲者が出ました。新たな犠牲者は女性で、これまでと同じく身体に大きな十字の傷が見られました。おそらく、とても深い」


 これまでと同じく。二度目のその言葉は、口の中に消える。

 簡単な報告は女性を見つけたときにしていたので、結果はリュウイチさんだって分かっている。けれど正式な報告は直接。これは決まりだ。


 リュウイチさんの顔には表情がなかった。あるいは、そこに表れるものが薄いと言うべきか。

 別に今回が特別というわけではなく、これがこの人の通常。ポーカーフェイスという言葉はこの人にぴったりだ。とは言うものの、つまりは感情が読めないということで。

 一層緊張する。

 怒っているのか、落胆しているのか、それともそういう感情はなしで、すでに次の手について思考しているのか。


「明日、もう一度行う」


 リュウイチさんは言った。


「どうせもう容姿は割れている。どこかに逃げて行ってしまわない限り、捕まえるのは時間の問題だ」

「こっちが追いかけてるのは、ばれてんだ。逃げるんじゃねぇのか」

「そのときはそのとき、だ。どこかに行ってしまえば、今回の連続殺人は止まる。それだけだ」

「違いないな」


 レイジさんが笑う。


 存外、リュウイチさんは犯人を捕まえることや、事件を解決することには、執着やこだわりというものがないらしい。

 雰囲気からすると、犯人絶対確保! という人なのだと最初は勝手に思っていたのだけれど、蓋を開けてみればこうだった。

 どうせ犯罪なんて毎日起きているのだから、とりあえず止まればいいということなのだろうか。中々に豪快な思考だ。


「他の案件も来ているから、明日何らかの区切りをつけるとして、今日はもういい」

「えっ、もう帰っていいんですか」

「その代わり明日出勤になる」

「おおぉ……分かりました」

「給料は出るから安心していい」

「やったー」


 くるくると椅子を回していた私は、それまでのやり取りはさておき、本日の業務終了の言葉にぴたりと椅子を止めた。

 明日は出勤という言葉が飛び込んできたが、まあ給料出るならいいや。久しぶりのオフは潰れるみたいだけれど、そんなに固執はしない。

 とりあえず、今日帰って寝られることが地味に嬉しい。


「気をつけて帰るように」

「はい」


 私は、そこで椅子をもう一回転させた。






 ぐっと両手を空に向かって上げて、伸びをした。息を吐き出すと共に言葉も吐き出す。


「……ああー今日は結構寝れるー」


 明日は休日出勤だけど。

 あれから何やかんや、雑務とか雑務とか書類の振り分けとかしていたけど、それは少しの時間だけで、早めに勤務時間終了。ああ、どれも雑務か。

 ちなみに、早めでも給料はそのまま。

 まだまだ暗い外に出て、星の輝く空を見上げて一息つき、薄っぺらいコートのポケットに手を突っ込んで、ささやかな我が家に帰るべく道を歩き出す。

 「バイト先」から出たばかりの道は大きな通りなので車がそれなりに走っている。


 お腹減った。何か買って帰ろうか。でもこの時間に食べると太るだろうか。

 帰ってすぐ寝るなら買わなくてもいいか。目指すはベッド。ふんふん、と鼻唄まで歌い出しそうになってきた。


 そこまでは順調だったのだ。問題はそこからだった。

 歩き出して早十分。

 家まではまだまだかかる。もうこの際、時間短縮のために自転車を買った方が賢明だろうか。でも、自転車を買うのにはお金かかる。運動だと思えばいいか。

 もしかすると、楽をしはじめた瞬間に私が太りやすいということが判明してしまうかもしれない。


 歩いている通りは、夜でも他に歩いている人がいる。人間だけではなく、むしろこの時間帯は人間の方が少ない。

 そもそもこの時間は、人間が出歩くにはお勧めできない。

 種族が違っても良いひとは良いひとだけれど、悪いことをするひとも別にいるから。それこそ、今追っている『十字傷事件』の犯人のような。

 今通ったひとも、すごく切れ味が良さそうな腕持っているし。


 …………。…………ん?


 切れ味、良さそうな、腕。


 足を止めて、引き寄せられるように振り向いた。

 見るのは、さっきすれ違った数人の集団だ。その中の『一人』の腕に、きらり、と街灯の光が反射する。


 人間で例えると、腕である部分がそのまま刃物だった。


 


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