(4)



 ――その頃、四番街の現場。


 ぴくりとも動かない人型のものが、道端に転がっていた。

 見ると頭には、テンマとは異なる形の小さな獣耳があり、その横には角のようなものが見られる。

 服で覆われていない部分と、血で汚れていない部分から、少しだけ覗く毛の色はオフホワイトだった。


 今回の犠牲者である。


 その身体は、見るも無残としか言いようがない。

 腹は食いちぎられ、食いちぎられた部分らしき物体は、少し遠くに転がっている。

 腕も一本。

 他にも、細かい傷はなく、爪によるものと見える大きな傷が数ヶ所ある。

 それらにより、遺体は悲惨なものになっている。

 流れている血の量は尋常ではなく、命はその身に宿っていない。


 現場にいるのは、先程まで屈んで遺体を見ていたサディ、その横でちょっと顔をしかめていたテンマ、立って周りの状況を見ていたリュウイチの三名だ。


 しかし先程、現場にやって来たばかりのサディが遺体を見ながらつらつらと現場の状況を口に出していたとき、彼らの耳にある機械にかなり慌てた声が入ってきた。

 声の主は、今現場に向かってきているはずの、一番年下の少女だった。

 声の様子ともたらされた言葉に、メンバーは耳を疑い、座っていた者は無意識に立ち上がった。


 人狼だと予測した犯人は、一名だと全員が考えていた。

 犯人が複数だと示唆するものは、一件目と二件目から出ていなかった。それに、こんな行動をする人狼が二体同時に出るとは考えなかったからだ。


 驚くサディとテンマを横目に、リュウイチは犠牲者を視界に入れながら通信機の声とやり取りをした。

 いつもと変わらぬ声音だが、その表情は眉が寄せられているものだった。


 それから、ハルカとのやり取りを終えたリュウイチはわずかに首を傾げる。

 この通信機は、ある特定の通信機だけと一々繋げる構造にはなっていない。

 すなわち、すべての通信機に今した会話は聞こえているはずだ。ところが、名前を出したレイジの声は入ってこなかった。

 彼ならば、緊迫感しか満ちていない会話を聞いたとすると何かしら反応するはずなのに、だ。


「フェイ、聞こえるか」


 フェイを追い越しそうだったように聞こえた声を思いだしながら、呼びかける。

 もしかすると、フェイを追い越してレイジ一人が先に人狼の対処にあたっているのか。

 そうだとしても、言葉を返せないほど手こずっているのか。

 複数の考えを浮かべたが、異なる考えがすぐに浮かび、リュウイチはフェイの応答を待つ。


『……は、はい聞こえてますごめんなさい』


 少し間をおいて、気弱な声が機械を通して応じた。


「レイジはどうした。それからそっちの人狼は」

『さっき人狼に追い付いて、人狼が抵抗してるから……』

「分かった。ところでレイジは耳に通信機をつけているか」


 どうやら、今まさに人狼を捕獲しようとしているところらしい。

 フェイの報告からそれだけを知れれば十分だ、とリュウイチは途中で遮り、次の問いを投げ掛ける。


 これだった。リュウイチの頭に浮かんだことへの答えが出る質問。

 ただ、この時点でほぼ答えは出ていた。

 フェイにこれほど話す余裕があるのに、レイジにないはずがない。無視をしているなら別だが、さすがにそれはないだろう。


『通信機……? あ! つ、つけてない』

「今すぐつけろと言ってくれ。それからその人狼をフェイに任せてもいいか」

『う、うん大丈夫』


 そもそも通信機をつけていない。これが答えだ。

 状況が状況だけに、リュウイチは当たった予想に更に眉を寄せる。

 通信機を落としていなければまだましだが、おそらく人狼を追いかけているときにでも外したのだろう。

 フェイの声はそこで止まる。大方レイジに声をかけていると思われる。


 リュウイチは空を見上げながら、次なる応答を待つ。決して焦らずに。雲に隠れているが、輪郭がうっすらと見える月を見る。

 空を仰ぐ彼を、通信機でのやり取りを聞きながらじっとサディとテンマは見ている。


 彼らは動かない。

 現在ハルカが行っている西の方向へ行こうとも、彼女が逃げている内に追い付ける可能性も、そもそも彼女が見つけられる可能性もとてつもなく低い。

 テンマに限っていえば確率は多少上がるが、それよりも最適な人物が、自分達よりもずっとハルカより離れていようともいると分かっている。

 だから、動かない。


『なんだ』


 フェイの声が消えてからそんなに間を空けずに声がした。レイジだ。どうやらフェイに言われ通信機をつけたようだ。


「おそらく二件目周辺から四番街の現場にかけての範囲で西にハルが向かっている。そっちの人狼はフェイに任せてすぐ見つけてくれ」

『は? こっちのってどういうことだ。もう一匹いるってのか』


 通信機をつけていなかったことに関する小言は、あとにすることにしたリュウイチが単刀直入に言い切った。

 当然、一瞬では理解出来なかったレイジが疑問の声を上げるも、それでも短い時間で理解したことを確認する。


「ハルが追われている」

『あいつ――ヘタレ、そいつ逃がすんじゃねぇぞ』


 リュウイチの返答に、自分が呼ばれた理由もレイジは理解し、フェイに声をかけた。


『西だな』


 もう走り始めているのか、わずかに、風を切る音がした。

 最終確認に、空を見上げたままリュウイチが短く肯定しようと口を開いたそのとき。


 ウオーン


 短い遠吠え。


「そっちか」

『違う』


 リュウイチの確認に対して、肯定を表す言葉は発されることなかった。

 機械を通して向こうから返ってきたのは、短い否定の言葉だった。

 短いやりとり。けれども状況をよく示したものだった。


 先程の遠吠えは、レイジが遠ざかっている方、つまりフェイが今対処している人狼が発したものではない。

 ということは、考えられることは明白。ハルカを追いかけているもう一体の方だ。


 そこで、じっとしているサディとテンマはそれぞれ軽く顔をしかめる。

 思ったことは同じ。

 これまでの事件、一件目と二件目では、遠吠えがしたときにはもう犠牲者が出ていたということが分かっている。

 つい先ほどと言ってもいい時間、三件目もそれに当てはまっていた。

 要するに、襲ってからその声を発している。

 それを今の遠吠えに合わせて考えると、思うことが重なるのは必然だろう。

 ハルカが、捕まっている。それだけならいいがおそらく……というものだ。

 

 空から視線を離したリュウイチも例外ではなく、険しい表情をした。

 彼らは通信機でハルカに呼び掛けることはしなかった。――したところで、ハルカはもう通信機を落としてしまっているので、答えることは出来ないから無駄だったのだが――、呼び掛けたところで応答が無ければ、予想が現実になることを意味するし、そもそも呼び掛けても役に立たないからだ。


 それに、もう手は打ったあとなのだ。

 通信機から、レイジの声も聞こえることはなくなった。


「……僕らはこの場を片付けようか」


 ぽつり、と、珍しくもぺらぺら喋る兆しもなく言葉を発したのはサディだった。


「そうだな。人を呼ぶ」


 スーツのポケットから通信端末を取り出したリュウイチは、どこかに連絡をし始める。

 テンマも含め、遺体を傍にじっと息を潜めていた面々は、自分たちが為すべきことをしはじめる。


「……そういえばっすけど、どうしてわざわざレイジ先輩に言ったんすか? フェイ先輩でも良かったんじゃ」


 時間短縮のためか元々常備していたのか、サディがカメラを取り出し、現場の写真を撮っている傍。

 人通りはないが、現場の一定距離に誰も入らないように、テープで一応遺体から何メートルかを確保するテンマが、電話を終えたリュウイチに問いかける。

 通信機をしていなかったレイジを呼ぶより、そのままフェイに頼んでも一緒なのでは? と。


「レイジの方が足が速いからな」

「あー、なるほどっす」


 その問いに対して、リュウイチは端的にそれだけを答えた。

 すんなり納得したテンマを見ていた目を移し、リュウイチは西の方角を見た。


「レイジ、お前もお前で裏目に出たな……」


 呟く声は、誰にも届かなかった。








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