(3)
『緊急事態発生 緊急事態発生』
突如、その建物全域に、けたたましい警報が鳴り響いた。
「どうした」
「何が起きた。いや、この警報は」
普段は鳴らない警報を聞いた途端、あらゆる場での動きが一瞬止まった。
しかし、理解する者が現れるや、慌ただしくなる。
つんざくような音で耳に突き刺さる警報は、脱獄者が出た合図だった。
「脱獄者!? 何が脱獄したというんだ!」
この建物内にではなく、別の場所に収容所がある。犯罪者が収容される専門の場所だ。
警備は万全、のはず。
収監されている者が脱獄した例は中々なく、それゆえに、脱獄したのは脅威のない者だとは考えられない。
「今情報を収集しています!」
警報を耳にし、誰もが一旦仕事の手を止め、警報を届ける機械を見上げた。
「お、
「鬼? 鬼なんていつの……まさか……!」
『鬼』は、表の世界には今姿がない種族の名だ。種族の中で最も大きな巨体を持ち、牙や角を持つ。
表の世界には姿がないと言うのには、単に人里を離れていることと、元々の数が少ないこと等の理由がある。彼らは世界が交じってから少しして、人のいる場所から遠ざかったと言われている。
果たして今も彼らはいるのか、という疑問が持たれていたほどだ。
この場において、その存在と外見を知ってはいるが、実際に見たことがない者がほとんどだろう。一般の市民には、外見さえも伝わっていないのだ。
しかし、あらゆる種族間での犯罪を調停する役目を負う組織には、様々な事件の流れで普段は忘れかけられている『鬼』がいた。
「――――十年前の人喰いの鬼です……!」
十年前、組織の本部がある都市からは随分と距離のある小さな村で、一つの事件が起こった。
村の住人を、『鬼』が全て喰ってしまったとされる事件だ。
恐怖に満ちた要請により、班が派遣されたが、──派遣された班が潰されること二班。
最初の班が派遣され、その地についたとき、村は真っ赤に染まり人の姿はなく、代わりに原形が窺えぬ、何かの残骸がそこら中に転がっていたという。
村の状況を報告したが最後、二班とも消息を絶ち、その時点で組織は脅威を図り直し、大規模な人員の投入を決断した。
一方鬼は、一つの村を全滅させたでは飽きたらず、少し離れた隣の村へ行っていた。
組織は、その村での鬼の捕縛に成功した。
多大なる武器と人員が投入された。しかし、武器は通用しなかったという話もあり、確かな情報は関係者以外には渡っていない。
その被害の大きさに、誰も話題にはしたがらなかったのだ。
十年という歳月が隔った今、事件の存在自体、日頃の事件の数々に飲まれ、あまり伝わらず、薄れていく一方だった。
薄れ、そして、思い出す機会もなく忘れ去られていくはずだったのだ。
*
「人喰い鬼が出たそうだ。知っているか」
班全体が休日なのにも関わらず、鬼への対抗人員として、呼ばれたリュウイチ。
彼は、脱獄したらしい鬼の簡単な情報を耳にしてからある部屋に来ていた。
サディ個人の仕事部屋だ。
小さな部屋の隅の、唯一書類がないテーブルの置かれた一角に、リュウイチとサディがいた。
「十年前のなんでしょ? 僕が正式にここに入った頃だったと思うんだけどねえ。でもその頃僕はずっと研究室に籠りっぱなしの、それこそ
いつの間にか解決していて、被害がすごかった……というか、一般人とこちら、両方共犠牲者が多いしで、皆あまり口にはしなかったみたいだよね。つまり、よくは知らないっていうこと。正式な報告書はどこかに管理されているとは思うけれど」
鬼が脱獄して厄介なのは、
被害の広がり方は、こんな街中では尋常ではないことが容易に図れる。
何しろ、以前村一つの住人を喰ってしまったのである。
多くの者がいる街中となれば手当たり次第……今までの事件とは、犠牲者の数が段違いになるだろう。
十年前の事件のデータから予測されることだ。
「村一つかあ。吸血鬼とかよりも厄介なのはそこだよね。彼らのときは相手の危険度のわりに、一晩で何十人、なんていうことはなかった。そう考えると、少しはましだったと言えるのかな。ただ、今回は違うもんね。犠牲者の数から言えば、今までのほとんどの事件がましだって思えるくらいなんだから。厄介だね。街にはいっぱい人がいる。避難が間に合ってくれればいいけど、そうもいかないだろう」
突然の脱獄だ。
収容所は街の中心部ではないが、そこそこ内部にある。
造りは、地上に突き出ている建物自体の階数は少ないく、本体と言うべき施設は地下にある。が、警報が鳴ったということは牢から出ている。
表に出てくるのは、時間の問題だろうか。
「そうだな」
呼ばれたものの、混乱からか、現場への指示は出されなかったリュウイチは椅子に腰かけて待つことにしている。
鬼が牢に留まらず建物の外に出たにしろ、最初は大量の武器で応戦しているだろう。
しかし、呼び出されるほど、自分が役に立つときは来るのかと多少の疑問を頭に抱えながら、リュウイチは待機していた。
*
「鬼が地上に出ました! 武器が効きません! 避難が……ぐっ」
街中の一角の敷地内では、種族を問わず武器を取った部隊が、姿を現す『それ』に次々と弾を浴びせかけている。
しかし、対象の硬く分厚い皮膚を貫くには至らず、武器を持つ者たちの顔には焦りが深く刻まれる。
その間にも遠くではひとが舞い、雄々しい声ではなく、悲痛な悲鳴が上がる。
『それ』が段々、確実に、近づいてくる。
ぶわっ、と凄まじい風圧と、風を巻き起こした巨大な手により、またひとが飛ぶ。
「と、止められません! まもなく敷地内を出るかと……ひいっ……!」
通信機に向かって叫びながら、肩に担いだ銃を連射させていた者は、突如地から足が浮いた。
気がつくと、彼は周りの者と一緒にその手に捕まれていた。理解したところで、身動きが取れないまま……。
鬼の喉が上下する。
鬼が巨大な足をゆっくり踏み出せば、地面は重い音と共に揺れ、逃げ遅れた者が踏み潰される。
大きすぎる手が軽く地面を払えば、何十人ものが簡単に宙を飛ぶ。
次いで、手は時おり、地面から武器を連射させる者たちを、一掴みして口に運ぶ。
巨大な足の歩みは止まらない。
今しがた出てきた施設の中で、地下の要塞とも言えるほどの兵器を相手にしたはずの巨大な身体は、多少血が流れども、さほどの痛みを感じた様子はない。
流れている血など、身体の大きさと比べれば、まだまだ微量に過ぎないのだ。
鬼は一直線に、自分と同じほどの巨大な鉄扉門に向かっていく。
巨大な手が、固く閉じられている重苦しい門にかかりる。閉めきられ、決まった段階を踏んでしか開けられないはずの扉は、ミシミシと奇妙な音を立てて、形を変えられていく。
少しずつ、少しずつではあるが、扉の隙間が広がっていく。
やがて、そのときは来た。
「鬼が収容所敷地内を出ます!!」
ガキン、と、一際大きな音がしたかと思えば、ついに鬼が身体を鉄の扉の向こうに出そうとしていた。
まず出たのは腕。
それから肩と足が順番に。
開けきっていない扉は、身体の部位が出ると共に、ますます形を歪にしてゆく。
扉の外には、大きな乗り物に鉄の筒がついたものがずらりと並び、鬼の顔が覗いたそのとき、辺りを揺るがすほどの爆音を鳴り響かせた。
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