(7)




 「もう大丈夫だよ」というサディの言葉で、テンマが安堵の息を吐き出した。


 ハルカを除くL班の面々は、組織内の病院の通路にいた。

 夜中であるため、必要最小限とされている灯りが、わずかばかりに通路を照らしている。

 白衣姿のサディがやって来た方向には、治療室がある。

 何かと裏方に顔の広い彼が治療したわけではないけれど、中に入る資格は有しており、治療室に同行し、いち早く様子を知らせに来たのだ。


 遠吠えが二度も聞こえたわけであり、ハルカは死んだのではないかと、最悪の状況であり得ることを思っていたテンマは息を吐いてから立ち上がる。


「良かった……。遠吠え聞いたときにはどうなったかと思ったっすよ」

「まあねえ、実際出血が酷かったみたいだから。でももう死ぬ危険性無し。一番深い肩の傷も最終的には残らないようにできるから、……っていうのはハルくんに言うべきなのかな。女の子だからね」

「それで、意識は」


 リュウイチが目覚めているのかと問うと、サディは頭を振る。


「それはまだ。治療の際に麻酔を打ったこともあるけど、怪我を負った疲労でそうだね明日――と言ってももう日付は回ってるから、今日中にはきっと目は覚めるよ」

「そうか」

「それにしても、ハルちゃんこれまでそんな大怪我しなかったから、今回の大怪我で辞めちゃう可能性あるっすよね……」

「あれ? 以前骨折してなかったっけ」

「それ前の人っす。元々長続きしないだろうなって感じでしたけど、全身骨折プラス諸々で、限界越えちゃって戻ってきませんでした。特殊能力持ちでもない完全書類要員だったっすよね」

「そんなこともあったかな。でもそうかあ、それならあるかもねえ。その場合は遠慮なく、僕がハルくんを助手に勧誘しようかな。特殊能力保持者である限りは組織との関係は繋がるだろうけど、ハルくんの能力の強さって無理して現場に押すほどのものではないし。時折地図の方の能力で道案内するくらいか、余程の人手不足のときに――」


 命に別状なしと分かり、一気に緊張感ない会話を交わす二人。

 その傍ら、リュウイチは、もう一人いたはずの人物がいつの間にか姿を消していることに気がついた。

 リュウイチは、治療室の方向にちらと視線をやってから、逆の方向に足音を立てずにそっとその場を離れる。


 人間の中では長身のリュウイチよりもさらに長身の男の姿は、それほど時間がかからずに見つかった。

 レイジは、どこかに向かって歩いていくところだった。


「レイジ、どこに行く。──何を、するつもりだ」

「もういい」


 彼は、少し走って横に並んだリュウイチに対して呟いた。


「半年、あいつの意地に付き合った。もう十分だろ」

「意地。それで片付けるのかレイジ」

「……何が言いたい」

「普通、特殊能力保持者であっても、あの歳で無理強いして現場には出さない。ましてやハルの能力は現場に強制的に出させるほどの強さがない。彼女は、」

「だからあの馬鹿に辞めさせるんだろうが」


 急にレイジが立ち止まり、隣を歩く者の言葉を遮ると同時に、胸ぐらを掴んだ。衝動的と言える動作だった。

 胸ぐらを掴まれたリュウイチはいたって冷静、真顔で、表情を動かさなかった。

 レイジの方が眉を寄せ、手を離す。


「今辞めさせるというのなら、初めからそうすれば良かったと俺は思うが」

「他の班に入れられて目が届かないよりはいい、それにすぐに根を上げると思った。だから、俺は何も言わなかった」

「……レイジ、お前は今なぜ彼女を気にかけ、守る」

「あ?」

「俺は、ハルがお前と離れる必要があったとは思えない。なぜハルを手放した、わざわざ距離を置いた。そして今、一度距離を置いた彼女をなぜ守る。そう聞いている」


 レイジが衝動的に胸ぐらを掴んだ時点で彼らは立ち止まっており、冷静にネクタイを直したリュウイチは矢継ぎ早に問う。


「もちろん、答える義務はない」


 言っていることとは裏腹に、すっとレイジの進行方向に移動する。


「が、半年と言えどあれだけ根性がある人材は現場では貴重なんだ。個人の関係で辞めさせるなら理由が聞きたい」

「無理に理由つけんな」


 双方の間に妙な時間が流れる。

 その目に折れ、わずかに口を開いたのは……レイジだった。


「――特殊能力が表れたからってのに嘘はない」

「そうだろうな」

「六年前、ジジイがいなくなって葬式で縮こまってるあいつが見てられなかった。それ以前に見たときの方が小さかったはずなのに、そのときの方が小さく見えた。仕方ねぇからジジイの代わりに、世話になった代わりにと思って連れて帰った。……馬鹿だよな、ジジイも。世話してくれる頼りくらい腐るほどあったくせに何も決めずに逝った」


 赤い眼は、別段目の前の男から逸らされることなくさっきのような衝動が起こることなく、淡々とした口調で語られる。

 しかし、少し早口か。


「四年も経てば、否応なしにそれだけじゃなくなってた。上手くいってたんだろうな」


 話を聞くリュウイチは、問題が見当たらずに心持ち訝しげにする。


「けどなリュウイチ、根本に問題があった」

「問題?」

「二年前、あいつが人攫いに攫われたことがある」


 約二年前、ハルカはレイジの元を離れ、組織の世話になることになった。

 特殊能力の制御を覚えるためだ。それも、二年前。

 聞きようによっては話題が飛んだようにも思えるが、年数が一致しただけでそうではないのだと判断できる。


「そのとき俺は一週間家に帰れてさえなかったが、事が起こったのはその日だった。運がよかった、それだけは。おまけに地下街にいて好都合だった、すぐに見つけた。身の程知らずは殺した。あいつは無事だった――命はな」


 声に、不穏さが混じり始める。


「ぼろぼろだった。泣きそうな面しててな縄外してやったら泣きはじめた。覚えてるさそりゃあ……そのあと俺はあいつを、」


 低く、低く、彼はそれを口にする。


「噛みそうになったんだからな」


 ──いくつかの世界が交じった世界、当初は混沌混乱に見舞われた。

 今では犯罪と呼ぶべきことが多発し、殺しなどざらにあった。

 互いが互いをはじめて見る「異形の存在」、最も酷かった時期は、奇跡的にも短かった。

 しかし今では「見過ごすことの出来ない行為」の中の一つ、今ですら公にもなっていない、秘密裏に処理されたことがある。

 吸血鬼の、人間への吸血行動だ。


「考えてみりゃあ、一週間激務のわりに血を飲んでなかった。問題はそれ自体じゃない」

「……どういうことだ」

「吸血鬼の直接の吸血行動が、人間にどう作用するか知らねぇだろ」


 吸血鬼にすんだよ、と、小さく言われた内容は衝撃的なものだった。


「事実、俺の親父は俺の母親を吸血鬼にしようとした。……し損ねたけどな」


 レイジの母は、人間である。その人間の女性を、彼の父である吸血鬼は吸血鬼にしようとしたという。

 しかし、噛むだけで簡単に吸血鬼になるようなものではない。明確な段階を踏めば吸血鬼にすることができ、「噛む」という行為はその取っ掛かり。

 レイジの母は、吸血鬼になることはなかった。身体がついて行かずに死んでしまったのだ。


 人間は弱い。

 世界が交わった当初の混沌の中、人間への吸血行動が起きた際も、誰もが吸血鬼になりうるわけではなく、変化についていけずショック死する者があったという。

 だからこそ、レイジは、その行動自体が許せなかった。そして――


「俺は分からなくなった。守るべき対象になってたあいつを、当の俺が意識したことじゃないとしても殺しそうになったんだ。あのときの衝動は忘れねぇだろうな。所詮、俺は混血でも吸血鬼だってことだ」


 仕事ならまだしも、人間と生活内で一緒にいることは非現実的だった、と彼は言う。


「元々あいつを引き取ってから色々言われてたことは知ってた。血のために引き取ったとかな。そんなもん下らねぇと思ってたが、類する事態になったわけだ」


 口調はまるで吐き出すかのようなもので、それでも彼は最後まで、全てを語った。

 当時、噛みかけたレイジを我に返らせたのは、庇護すべきハルカの目だった。

 催眠能力を目覚めさせたのは、皮肉にもレイジで、特殊能力を理由に組織にハルカを任せた──彼は距離を置いた。


「レイジ、お前は」

「このままだとあいつは死ぬ。それは論外だ」


 吐き捨て、言うことは言ったとばかりに、レイジはリュウイチの横を通り過ぎ、通路を進みはじめた。

 リュウイチが再度レイジを追うことはなかった。


「……道理で、ハルが……」

「――リュウイチくん」


 レイジが見えなくなった通路。

 サディがひょいっと現れた。


「……サディ」

「ごめんね、レイジくんの様子が気がかりだったこともあって来ちゃったんだ。レイジくん大丈夫?」

「大丈夫では、ないな」


 サディの四つの目と、リュウイチがまた見た先に、男の姿はもう目にすることはできない。


「これが山場だろう、サディ」

「山場? 何の話? それとレイジくんどこ行ったの、大丈夫じゃないって」

「ハルを辞めさせるために必要なもの、を取りに行っているのだろうと思う」

「え!? 辞めさせるってレイジくんがハルくんを? 彼ハルくんのこと気にかけてたじゃない。あれ? だからなのかな? うん? ──どういうことでそんなことになったのか気になるけど、ハルくん辞めさせるの?」


 サディはすべての目を丸くして、リュウイチに向けた。


「ハルは、そう簡単には折れないだろう」


 リュウイチは、来た道を戻りはじめた。

 見送った時点で、彼には追いかける気はなかった。追いかけたところで、止める気もなく、止められる気がしない。


「ハルがL班に入るにあたって質問したことがあるんだ」


 リュウイチは、呟いた。

 あることを、思い出した。班の中で一番弱い少女が、リュウイチが預かるL班に入ることになり、事前に顔を合わせたときのこと。


「質問? 何の?」

「死ぬ可能性が高いが、覚悟があるのかと」

「ああなるほど、確かに聞いておかなければならないことかな。それにしてもすごく直球で聞いたんだね、リュウイチくん。それで、ハルくん何て答えたんだい?」

「要約すると――覚悟はある、重々承知、やれることはやる」

「へえ、ハルくんってすごく肝が座ってるんだねえ。確かに、今回ほどではないけれど、これまで危険をやり過ごして来られたっていうのは、やっぱり気持ちって大事なのかな。あれくらいの年頃の子が中々言えることじゃな……」

「それから『このまま生きて、このまま死ぬよりずっといい』と言った」


 あの少女が口にした言葉を、今、リュウイチは鮮やかに思い出した。

 問いかけられ、まずは彼女はきょとんとして、それからしっかりとした口調で答えた。


──「覚悟はあります。そういう可能性があるとは、聞いています。精一杯のことをやります」

──「死んでもいいと」

──「そう言われると、ちょっと自殺志願者みたいですけど……」


 直後、年のわりに大人びた笑みを微かに浮かべ、言った。


──「このまま生きて、このまま死ぬよりはずっといいかなと」


 そのあと、ほら、世の中物騒で、人間は不安定な位置じゃないですか、とか慌てたように付け加えられた内容も覚えているには覚えている。

 しかし、今こうして思い返せば容易に分かる。本音は……。


「何が、そうさせているのか」


 ただ死ぬことを待っていた方が、余程死ぬ確率は低いだろう。それなのに、わざわざ危険に飛び込んでいく仕事。死ぬ可能性は何倍、何十倍にも膨れ上がる。

 そう、させている理由は。



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