(4)



 身体への衝撃で、目が覚めた。


「いたあ」


 お腹を手で押さえながら、身を起こした。横たわっている状態だったのだ。


 ここはどこだ。


 固い石の床に視線を落としたまま、自分がどうなっているのか、どこにいるのかが分からず、まず考える。

 なぜか痛むお腹。目覚める要因となったと思われる衝撃から、何かで叩かれでもしたのか。奥まで染み渡るような、しつこい痛みに片手でお腹をさすりつつ、周りを見渡す。


 周りは薄明るい。

 蝋燭が何本も立っているからだ。電気は通っていないのだろうか。

 灯りの正体は蝋燭にゆらめく小さな火。蝋燭は、上のほうにたくさん立てられている。


「やっと起きたか。とっとと入れ人間」


 蝋燭を見上げていると、突然強く蹴り飛ばされた。

 たまらず転がるようにして後ろのほうに向かうと、がちゃんという音が背後から聞こえた。

 一体何だというのか。


 不意打ちで踏ん張りきれず、また横たわった体勢になった私は、また身を起こす。

 そうすると、今いる場所の全体像が見えた。


 最初に見えたのは「鉄格子」。そして、その向こう、広めの通路を挟んでまた鉄格子で閉じられた空間が見える。

 さらに横――私が閉じ込められている狭い部屋内――を見ると、人間が何人もいる。

 よく見ると、格好がもれなくどことなくぼろぼろで、皆下を向いている。ぼろぼろ、というより汚れているからそういう印象を受けるのかもしれない。


 次いで通路を挟んだ向こう側を見ると、そこにいたのは今度は人間ではなかった。

 人型の鳥の種族。鱗で全身が覆われている人。大きなひとつ目が顔についている人……色んな種族が集められている。

 これは……。


 そのとき、がちゃ、と重く不自由を感じて自分を見下ろした。

 周りを見ていたときにも目にしたものが、私にもつけられていた。

 鉄製のもので手が拘束され、鎖で繋がれている。鎖の先はというと、同じ場所に入っている人たちの分とまとめて、鉄格子の外の金属の太い棒に繋がっているようだ。

 立って、鉄格子に近づいて、通路の左右を見てみる。


 左にはまだまだ続く同じような光景があり、右手の奥には、ドアがある。

 ちょうどそのドアから、ここにいる者から見れば身なりのいい、骨みたいに細くて背が高すぎる「人」が現れた。顔は仮面で見えず、すぐにドアの向こうに引っ込んだ。


「おいお前、座って大人しく待ってろ!」

「うわ」


 鉄格子の外を窺っていると、危うく棒状のもので叩かれるところだった。私が避けたので、棒は鉄格子に当たって酷い音がした。

 見張りか、何人か同じような棒を持ってずっとうろうろしている者たちがいる。


 起きるときに、あの棒で叩かれた可能性が見えてきた。

 鉄か、とにかく、音からして金属性の棒のように見えるので、それは痛いはずだ。

 まだ痛みが残っているお腹をさすってしまいながら、状況を把握するためにまだ目を配っていると──、斜め前で誰かと話し込んでいるひとたちが目に入って、ぎょっとする。


「あ」


 最後に見た記憶のある姿だった。身体が大きいため、首を天井のすれすれで曲げて立っている二人組。

 思わず指を差そう……としたのだけれど、両手を纏めて拘束されているのを忘れていて、上手く手を挙げられなかったので、声を出すと、彼らは振り向いた。


「よお人間。期待してないけどちゃんと売れてくれよ」

「頑張れよ!」


 下卑た笑みをこちらに向け、彼らは手を振って、出て行った。



 ……まったく。私の脳ミソでも分かる。

 どこだか分からない場所にいる以前の記憶を思い出したことで、私の中で一つの答えが出た。


 私がいたのは人身(人間だけではないみたいだが)売買の現場の近くだった。

 そして、この状況を見るに、鉢合わせしたのは人攫いで、ここは、今夜まさに行われる人身売買の会場だ。




 とりあえず立っていても仕方がないので、牢屋みたいなところの端に腰を下ろす。

 灯りは奥まで直接当たってはくれなくて、とても暗い。


「……落ち着け、私」


 大丈夫。絶対場所を突き止めて、ここに来てくれる。私は、戻って作ることになるだろう報告書のことを考えていればいい。それも戻れたらだけど……。


 ……マイナスな考えは消えろ! 私は帰ってベッドで寝る!


 前向きに考えようとしている私を現実に戻し、マイナスな考えに引きずるのは、手と足を拘束する冷たい重い感触だ。

 こういうの、鉄枷と言うのだったか。まさか自分がつけられるはめになるとは……。


「サディさんの限定クッキー、持って帰れるかな……」


 あの頃が懐かしい。

 熱々の紅茶、おいしいクッキー、私を埋め尽くす書類……はいらない。

 これは走馬灯のように駆け巡る何とかっていうのだろうか。いや、走馬灯云々は死ぬ間際に見るもので、これはただの今日の記憶か……。


 ……こんなことばかり考えてしまうのはこの場に漂う空気のせいだ。空気が重い。

 仕方ないか。これから待っていることは分かりきっていて、でも、想像したくないものだろうから。

 来たばかりの私だって、助けがくると信じていてもこれだ。


 ふう、とため息を吐くと、ふと、隣が震えていることに気が付いた。

 見ると、六、七歳くらいの小さな女の子がいた。

 膝を抱えたその子は、ぶるぶると全身が震えていた。もちろん、寒いわけではないだろう。


「……大丈夫?」


 思わず声をかけたが、大丈夫なわけがない。こんな言葉しか思い付かなかった自分を殴りたい。


 女の子は驚いたのか、びくっと大きく肩を跳ねさせた。

 上げられた顔は、うっすら汚れていて、大きな目には今にもこぼれ落ちそうな涙がたまっている。

 声をかけたことによって答えようとしたのだろうか、小さな口が少し開かれて、何も言うことなく閉じられた。

 唇がぎゅっと閉じられて、女の子は顔をまた伏せた。鼻をすする音が一回だけ聞こえたから、涙が落ちてしまったのかもしれない。


 その、必死で我慢する小さな姿が痛ましすぎて、小さな肩に手を伸ばそうとした。


「うああああああああん!」


 突如、大きな泣き声がした。

 隣の子ではない。私は驚いて手を引っ込める。

 声の元を探すと、すぐ近くだった。隣の子の、隣の子だ。天井を仰いで顔をくしゃくしゃにして泣いているその子も、小さな女の子だ。


 子守りに自信はないのだが……と思いつつも、見ていられなくて、私はそろそろとそちらに移動していこうとする。


「おい! うっせえぞ!」


 心ない怒鳴り声が聞こえ、鉄格子の向こうから棒が思いっきり突き出された。


「……っ」


 棒が一直線に向かう様子に、とっさにその間に入った。

 鉄枷と、鉄の鎖がぶつかり大きな音をたてた。しかしそれよりも、背中に棒が思いっきり当たる痛みが感覚を支配する方が勝つ。


「う、うあああああ、ああああん!!」

「おいお前どけ! うるせえぞガキ!」

「……ちょっ、と。そんなことやって泣き止むわけないですよ。私に任せてくれませんか」


 ますます泣く少女を後ろに、痛みを我慢し見張りと向き合う。

 また棒を突きだしてきそうな見張りは一瞬棒をぴくりと動かして、鼻をならして鉄格子を叩いてからまた歩きだした。

 棒でつつかれる痛みを知っていた私は、見張りが去って、ほっと息をついた。

 それから、背後に向き直る。小さな女の子は、ひっくひっくと泣いていた。


「……ね、お、お嬢ちゃん泣き止んで? 泣き止まないとお姉さん悲しいなー」


 ……子守は上手くないのだ。


 慣れないながらに小さな女の子と向き合ったはいいが、どうにも機嫌をとる方法が見つからない。

 お手上げしたいけどするわけにはいかない。だって今度は見張りは黙ってはいないだろう。


「ねえ、名前は何ていうの? 私の名前はハルカっていうだけど」

「うえええええん! ままあああ」

「大丈夫、またママに会えるよ」

「ままにいいい?」

「う、うん、ママに」

「ほ、ほんとお……っ!?」


 母親とは偉大だ。

 女の子の発した「ママ」を繰り返すと、あら不思議。女の子は徐々に泣き止み始めた。良かった、どうにかなりそうだ。


「きっと会えるから、だから、もう少しだけ待ってようね」


 保障できない希望を語るのはよくない。けれど、信じているから。


 私は、涙でぐしゃぐしゃの女の子の頭に手を伸ばした。

 かつて、泣く私にそうしてくれたひとのように――。




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