第42話 三の主は、惑う

 突き付けられた言葉の意味を考える。


『標的がお前に移ってりゃ、間違いなく殺されてた。お前はその意味が分からねぇほど馬鹿なのか?』


 その通りだ。そして興味すら持たれなかったというのは、そういうこと。


 その価値すら無かったというだけ。


 ──六角が憎い。許せない。


 それと同時に、この身体の持ち主である少女は守りたい。しかしその両方の思いを満たすには、どうあっても力が足りない。


 彼女にはどうしても分からなかった。他の五人が、蟻を踏み潰すように人を殺せてしまう理由が。初めから全く別の生き物だったというのなら、分かる。それならばある程度割り切ることは彼女にも出来たかもしれない。

 人として生きた記憶も、笑い合った思い出もある。勿論、悲しいことや憤った過去が無いわけではない。それでも何もかもを過去のものと切り捨てるだなんて、そんなこと。


「どうする、べきだろうか……」


 小さく呟き、彼女は肩を落としながら歩く。道行く人々はそんな彼女に見向きもしない。ただ自分の人生を生きているだけの彼らが何故か酷く羨ましく思えて、アキハは慌てて首を横に振った。


 先程別れた少女は、どうやら無事らしい。怪我はしたようだが何とか六角の従者を撃退出来たと連絡があった。

 アキハに出来ることなど初めから何も無かった。これまでも、きっとこれからも。


 義務感を捨てろと。

 金髪の少女の言葉を思い出す。何もかもを選ぶだなんて、不可能なのだと。

 頭では分かっているつもりだった。何を優先すべきかも、守りたいものも。だと言うのにいつまでも迷いを捨てられない。でも。だって。そんな言い訳がいつだって付き纏う。


「何故、オレは何もかも半端なんだ……」


 強く奥歯を噛み締めた、その直後のことだった。


「わァ、懐かしい気配がするネ。しょぼくれちゃってどうしたノ?」


 明るい声に似つかわしくない、人の子が放つには有り得ない異質な気配を感じてアキハは慌てて顔を上げた。大剣を出すか逡巡するが、人目を気にして手を止める。振り返ると、手を伸ばせば届きそうな距離に見知らぬ青年が立っていた。


 紫の髪色と、同じく紫紺の瞳を持つ以外に特筆すべき点もない凡庸な容姿の者だ。少し目を離せば、もう記憶の底に埋もれて忘れてしまいそうな。いわゆる“何処にでもいる”と言うべきか。

 その青年はアキハ──というよりも、今のこの身体の持ち主である揚羽よりも十近くは歳上に見える。


「こんな至近距離まで気付かないなんテ、アルカに殺意があったら死んでたネ? こんな鈍いってことハ……三角かナ? 違ウ?」


 青年は戯けるように肩を竦めて笑った。遅れてその事実に気付いたアキハ自身もぞっとするが、それすらも霞んでしまうほど目の前の存在に意識を割かれる。周囲の雑音が今だけは全て消え去ってしまったかのような、そんな錯覚をした。


 姿は、随分と異なっている。昔の彼は揚羽と同じかそれよりも幼く見える少年の形をしていたから。

 だが独特な抑揚の話し方や、気配は変わっていない。


「四角、か……?」

「ソウダヨ! やっぱり三角なんだネ! なーんにも変わってなイ!」


 けらけらと笑う青年に、かつての姿が重なる。四角。名を、アルカ。他の四人と比べると一見人当たりの良さそうな振る舞いをする彼だったが、細められた目にはいつだって嗜虐の色が宿っていたことを覚えている。今と同じように。


「──弱いところとか、そのまんま」


 囁くように放たれた言葉に、思わずアキハは後ずさった。これまで散々、人の子にも指摘されてきた。アキハは間違いなく弱い。封印前から変わらず、六人の角の主の中で最弱である。明らかに存在としての“格”が下なのだ。わざわざ剣を交えるまでもなく一目で看破されるほどに。


(探さなくては、と思っていたが……こんな形で出会うとは……!)


 マズい、と歯噛みする。何の目的もなく近付いてきたなどと到底思えない。もしも敵意があった場合、退けられるだけの力がアキハには無い。


 それに、この気配は──。


 顔をこわばらせたアキハをどう感じたのか青年は一層笑みを深くした。


「怖がんないでヨォ。食べにきたわけじゃないからサ。たまたま見かけテ、挨拶に来ただけだシ。ぼくらのよしみでショ?」


 握手を求めるように差し出された手を見つめる。今のアキハでは自然と彼の顔を見るには見上げることとなる。影が落ちた表情が酷く不気味に思えて仕方が無い。


「四角、貴殿……は……」


 アキハが千妃路を“六角”と間違えたのは彼女に六角の気配が残っていたからだ。身体から離れてなお、人の気配の中に怪物の気配が混ざっていた。それ以外にも理由はあるが……今は関係無い。

『分かれた』彼女達でさえそうだったのだ。


「身体の持ち主は、どうした」


 たった一つ、怪物としての気配しか宿していない青年にそう問う。声は震えていたかもしれない。自分では分からない。

 四角の青年に、昔の身体の面影は無い。彼はもっとあどけない顔をしていたし、どちらかと言うと少女のようにも見える少年だった。青年はアキハの問い掛けに、一瞬だけ首を傾げるような動きを取った。




「死んだけど?」




 つい先程まで笑っていたとは思えないほどの無表情で青年はそう言った。

 驚きは無い。想定していた“最悪”がその通りだったというだけだ。


「だからネ、はもうアルカのだヨ。三角もが欲しいノ?」


 青年は自分の胸元に片手を置きながらそんなことを宣った。そこに罪悪感など無い。落ちていたから拾って自分の物にしたのだとでも言うように。

 間違いなく、他者から無理矢理に奪い取った“もの”であるのに。


「……貴殿も、やはり同じなのか」


 その言葉は自分で思うよりずっと、落胆の響きを伴っていた。そのことにアキハ自身も驚き、思わず口元に手をやる。それでも否定しようとは思わなかった。

 彼も六角と同じだ。人を人とも思わない。一度封印されたことで考えを変えるようなことでもあればと思ったが、無駄だった。そんな現実に対する失望は大きく、溜息が溢れそうになる。


 しかし。


「……三角って昔からそうだよネ。自分一人だけが正しいみたいな顔しちゃってサ。アルカからすれば三角の方がよっぽど変だヨ。気色悪い」


 四角は、何か信じられないほど汚いものでも見たかのように顔を歪めて、そう呟いた。


 アキハは一瞬、彼が何と言ったのか本当に分からなかった。


「六人中五人が同じ考えで動いてテ、一人だけ違うんだもン。ならおかしいのは三角だと思うんだよネ」


 二の句が告げずに押し黙ったアキハを見下ろして青年が続ける。その表情は険しいままだ。どちらかと言うといつも作り笑いを浮かべていた少年と同じ存在だとは思えない。


「オレは、間違ったことは言っていない。オレ達も元は人間だった。人が人を殺めるなどあってはならないことだ」

「ソウ? よくあることでショ?」

「四角。貴殿のその考えは子供の屁理屈のようなものだ。オレ達は──」


 分かってくれないかもしれない。いや、理解してくれることなどないだろう。そう思いながらもアキハは彼との会話を放棄しようとは思えなかった。かつて自分は、彼らと話をすることを拒んだ。その結果が今だというのならこれは贖罪の一種かもしれない。

 だけど、そんな彼女の決意は、続く四角の言葉であっさりと踏み躙られる。


「ぼくら六人みんな、人間に殺されたのに?」


 ……先程アキハに嫌悪の表情を向けていた青年は、困ったように笑っていた。


「不幸な事故だった? そんなはずないよね。だってぼくらの、誰かが教えてくれたわけじゃないけど分かり切ってるじゃない」


 ──声が、聞こえる。


『俺はお前を愛してるんだ。分かってくれ』


 その声は、いつも全部終わってからそうやって泣いていた。

 あなたがそう言うのだから、そうなのだろう。いつも何処となく他人事のように感じながらもそんなことを考えていた。


「アルカの元の身体、カワイイ顔してるよネ。女の子みたいでサ。クソ親父にもそう見えたんだろうネ? 家にいたらロクな目に遭わなかったヨ」


 そこに憎悪の色は無い。眉を下げて笑う青年は淡々と事実を述べるだけ。

 形なき魂とやらが軋むとしたら。澱むのだとしたら。


 それは目の前の光景を表すのではないかと、ただ漠然とそう思った。


「嫌がったら殴られるもんネ。どれくらい痛かったかは覚えてないけド。でもこういうのってアルカだけじゃないでショ? 。これが多分、ぼくらが角の主に転生した条件の一つ。アルカ、そのせいで実際に死んでるしネー」


 お可哀想に、と。

 かつてアキハの従者は彼女の頭を撫でたことがある。何のことかと問うても彼は答えなかった。だからそれ以上何も考えたりはしなかった。アキハにとって、アキハ自身は、憐憫の対象にならなかったから。


 今ならば分かる。


 あの時彼は、を憐れんでいたのだ。


「人が人を殺すのが悪いことだって言うのなら、何でぼくは死ななきゃならなかったの?」


 ことり、と青年の形をした怪物はアキハの前で首を傾げた。


 まるで。


 世の中の善悪を知らない、無垢な子供のような表情で。

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