第41話 結ばれる縁

「はぁ? 急に何でだよ!」


 私は桜華ちゃんの言葉を理解するまでにかなりかかったのだけど、光の速さで反応したのは湖鷺さんだ。すぐ隣で大声で叫ばれて耳が痛い。

 今度は私が彼女に落ち着くように言う番だった。


「今回の件でビビったのか? いや、まぁ確かにお前を危険な目に遭わせたいわけじゃねぇけどよ……でも急に放り出すのはらしくねぇだろ。ようやく色々見えてきたってのに」

「そんな理由な訳があるか。良いからもう帰れ。何度言わせる気だ? 理由なら後でいくらでも説明してやる。そろそろ本気で不味い」

「意味分かんねぇこと言うなって。……クソッ、全身いてぇから能力の調子が最悪だ。なんも分かんねぇから口で説明しろ!」


 湖鷺さんは立ち上がり、今にも桜華ちゃんに掴みかかりそうだ。そんなことになっては絵面が地獄過ぎるので必死に彼女の服を引っ張る。

 年齢そのものは三つくらいしか変わらない二人だけど、湖鷺さんは実際の身長よりも大きく見える──多分、威圧感があるから──し、桜華ちゃんは年齢の割に小さいのだ。完全にヤンキーがいたいけな子供をカツアゲする構図が完成してしまう。最も悪いと書いて最悪だ。


 というか湖鷺さん、ホントに何でこんなに桜華ちゃんに固執するんだろう? よく分からないけど、彼女は桜華ちゃんを目の届くところに置きたがっている節がある。怒っているのも無責任だとかそんな理由じゃなく、単純に桜華ちゃんが離脱するのが嫌なのだろう。


 それよりもいくら何でも歳下の女の子に掴みかかるなんてないですよね? ね?

 大体、何となく桜華ちゃんは何かに焦っているようにも見える。顔にはあんまり出てないけど。情報は得たわけだしとりあえずは出直すべきなんじゃないだろうか。というかそうするべきだと思います。湖鷺さん、聞いてます?!


 そうやって全力で心の中で語り掛けているのに全く無反応だ。ああ、もう。この人カッとなるとこうなんだから……! いつも私の心の声に対して五月蝿い五月蝿い言ってるのに!


「……何も分からない? いや、そんな訳ないだろ。お前の異能はオフに出来な──」


 はた、と不自然に動きを止めた桜華ちゃんは物凄く分かりやすく顔を顰めた。彼女は一瞬、ベランダへ繋がる窓の方へと視線を投げたような気がする。正確にはアキハが壊して以来割れたままの窓枠へと。次いで、めちゃくちゃ重い溜息が吐き出される。勘違いじゃなければ、あれは諦めだとかそういった類のやつだと思う。


「こ、湖鷺さん……そんなに騒ぐと体に障りますよ? 一回帰りましょう?」


 興奮しているせいで自覚が無いのだろうか。湖鷺さん、あんまり顔色が良くない。そもそも怪我人なのに元気過ぎたんだよね。

 諦めずに服を引っ張るとようやく口を噤んでくれたのでほっとする。

 良かった、ほら、出て行きましょうよ──と、そう言おうとしたその時だった。


















「……珍しいね。お客さん?」
















「わっ!?」


 急にすぐ真後ろから聞こえた覚えのない声に、飛び上がるほど驚いてしまったのも無理はないと思う。高いわけではなく、でも低過ぎるわけでもない穏やかで落ち着いた声だ。男の人のものだというのは分かる。

 そのままの勢いで弾かれるように振り返ると、そこには若い男の人が立っていた。

 多分、二十代前半くらい……? 未成年には見えないけれど、私よりも十歳以上歳上にも見えない。その人は私達の背後にいる桜華ちゃんに柔らかな笑みを向ける。


「ただいま、桜華」

「…………おかえり」


 嬉しそうなその人とは対照的に、桜華ちゃんはめちゃくちゃ嫌そうな声だった。ついでに顔も本当にめちゃくちゃ嫌そうだ。この子こんな顔出来るんだ。苦虫を噛み潰したようなとはまさに今の彼女の顔みたいな感じだろう。

 だけど「ただいま」に対して「おかえり」と返すということは、この男性は桜華ちゃんのご家族の方? お兄さんとかかな。全く似てないけど。似てないけど、すごく綺麗な顔の人だ。イケメンというか美人系みたいな。睫毛も長いし、目鼻立ちも整っていて作り物みたい。

 繊細な彫刻のようだという点では桜華ちゃんと似ているのかもしれない、なんて。


 い、いつ入ってきたんだろう……? 全然気付かなかった……湖鷺さんが騒いでたからドアの音とか聞き逃したのかな。だとしても、こんなすぐ後ろに立たれても気付かないもの? いや、そんなものなのかな。私は湖鷺さんじゃないわけだし。


「帰ってくる時は連絡を入れろと言ったはずだが……?」

「ああ、ごめんね。忘れてたわけじゃないんだよ。その理由は君もよく知ってるんじゃないかと思うんだけど……それよりも、その顔はどうしたの? 窓も割れてるし……」

「怪我はしてない」

「そうじゃなくてね」


 男の人と桜華ちゃんの間に挟まれる形になってしまい、正しいリアクションが分からない。桜華ちゃんの声が幾分か恨みがましいので余計にどう反応すれば良いのか判断が難しい。

 とりあえずご挨拶するのが正解かな? 人を挟んで会話するのも気まずいだろうし。恐る恐る「初めまして……」と口にすると、お兄さんの笑みがこちらへ向けられる。


「初めまして。……桜華の、友達の子?」

「え、あっ、うーん……? まぁ、はい……?」


 友達かどうか問われるとものすごく微妙なラインだと思う。違うという方に分があるし、桜華ちゃんが私を友達だと思っている可能性はゼロだ。

 私の答えで納得してくれたのか、その人は何も言わない。


「私の名前は悧巧 千妃路です。あの、あなたは」

「……僕? 僕は莉窮りきゅう なぎ

「リキュウ……あ、名前か」


 名前を聞いたわけではないけどにっこりと微笑まれると何も言えなくなってしまう。ちょっと天然だったりするのかな。温厚そうで、失礼ながらますます桜華ちゃんとの関係が見えない。苗字が違うってことは兄妹説はナシだとして……相性悪そうだもん。いや、逆に良いのかな? 不機嫌な桜華ちゃんを「まぁまぁ」とにこにこしながら宥めるお兄さん──うん、アリだと思う。悪い関係でないのは確かだろう。彼の桜華ちゃんへの視線と言葉には愛おしさが溢れている。


 湖鷺さんなら知り合いの可能性もあるし聞いてみるべきかな──なんて、そう考えてすっかり静かになっている湖鷺さんを見る。


「え? こ、湖鷺さん? 大丈夫ですか!? 酷い顔色ですよ!?」


 真っ青を通り越して紙のように真っ白なその顔を見て思わず大声を上げてしまう。通りで反応が無いと思った! ああ、ほら、やっぱり怪我がかなり酷いんじゃ……!? 傷口が開いたとかじゃないよね!?


 よく見るとダガーを握る右手が小さく震えている。気分が悪いんだろうか? 早く休ませなくてはと半分泣きそうになりながら腕を引っ張る。

 どうしたら良いのか分からないので桜華ちゃんを縋るように見る。彼女は頭痛を堪えるようにこめかみを抑えていた。


「……先程も言っただろう。何ともない、よせ」


 その言葉が誰に向けられているのか、私には理解出来ない。必要以上にゆっくりと、物分かりの悪い子供にでも言い聞かせるような物言いだった。


「それとも、何か? 私の言うことが、聞けないのか」


 桜華ちゃんの声は静かで、落ち着いているのに不思議なほどによく通る。彼女の視線は湖鷺さんのダガーへと向けられているから、湖鷺さんに充てられた言葉だろうか。顔を上げた桜華ちゃんは次に椥さんの顔を見る。


「私の、客だ。そして用はもう済んだ。私が私の家に客を招いてはいけないと?」


 今のは明確に椥さんに向けられた言葉らしい。でも少し会話の流れがおかしい気がする。彼も返事をしなかったので意味が分からなかったのかもしれない。

 椥さんが彼女の保護者の人だと仮定すると、家の人に黙って人を呼んではいけなかったとかだろうか。だとすると勝手に侵入した私達に非があるんだから桜華ちゃんは悪くないのに。

 ただ、それぞれの家庭にはそれぞれの方針があるはずなので口は出さない。こういうのは第三者が口を出すと拗れるのだ。


 とにかく、明らかに尋常ではない様子の湖鷺さんが心配だ。掠れて乱れた呼吸音と額に浮かぶ冷や汗がますます不安を煽る。


「とっ、とりあえず落としたら危ないのでそのナイフ貸してください! ほら、離して……!」


 湖鷺さんの手からダガーナイフを奪い取る。思いの外簡単に抜き取れてしまったので力は全く入っていなかったらしい。


 椥さんはじっと私の手元……? を見ていたようだけど、特に何を言うでもない。桜華ちゃんの「良いからそこをどけ」というキレ気味の言葉に釣られてかすっと道を開けてくれる。桜華ちゃんめっちゃ機嫌悪いな。そんな怒らなくても。

「大丈夫ですか?」と湖鷺さんに囁くけれど返事は無い。ただ、強く拳を握り直したように見えただけだ。強がってただけでチトセの従者がめちゃくちゃ怖かったのかな。あんまりしっくり来ない。だってこの人は、チトセを前にした時でさえも引かなかったんだから。でも私に彼女の心は読めないので決め付けは良くないと思う。

 とにかく、私もお暇しよう。湖鷺さんも一度腰を落ち着けたら顔色が良くなるかもしれないし……。

 そんな事を考えて椥さんに軽く頭を下げると、彼は一瞬、不思議そうな顔をした気がした。


「何処へ?」

「え? 私ですか? 帰りますけど……?」

「どうして?」


 ……どうしてってなに? 私としては疑問でいっぱいだ。だというのに、まるで駄々っ子を前にしているかのように彼は眉を下げた。後ろから桜華ちゃんの「おい」という非難めいた声が飛ぶ。


「私の客だと言ったはずだ。もう絡むな」

「だけどね、可愛い子。僕としてはそれで手打ちにしようかとも思うんだけど……?」


 わぁ……凄い。ナチュラルに「可愛い子」って。声に滲み出る優しさからも、この人は本当に桜華ちゃんが大事なんだろうな。

 なんか手打ちだとかいう変な単語が聞こえた気もするけど、もしかしなくともこの国の人じゃないのかも。特定の日本語を変な覚え方してたりする可能性がある。名前も……なんか響きが偽名っぽいし……なんて、これは言いがかりか。

 私に何か話があるのかな。私は無いけど。


「……湖鷺さんを送ってから戻ってきましょうか? 桜華ちゃんが嫌じゃないなら……」


 あんまり彼女に好かれている気はしないので家主のノーが出る確率は高い。案の定、桜華ちゃんは余計なこと言いやがって的な目を私に向けていた。

 思えば彼女は初めから渋々協力してくれていたのだ。湖鷺さんは引き留めたがっているけど、彼女がここを引き際にしたいなら私はそれで良いと思う。元々、歳下の女の子を巻き込むのは忍びなかったのだから。


 それでも桜華ちゃんは嫌そうにしていたものの、何も言わなかった。それを許可が出たものとポジティブに受け取って、湖鷺さんを送り次第戻ってくることを約束する。


「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」


 それにしても湖鷺さん、本当に大丈夫かな……?

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