第40話 「この人死に掛けた割にめちゃくちゃ元気だな」


 知らせを受けて駆け付けると、ものすごーーく不機嫌そうな桜華ちゃんと、同じくものすごーーく不機嫌そうな湖鷺さんがソファに向かい合って座っていた。湖鷺さんは全身傷だらけだ。額にも大きなガーゼが貼られている。

「クソいてぇ……」という呟きが湖鷺さんの口から漏れたので、彼女の不機嫌の理由は怪我のせいということで良いんだろうか?

 桜華ちゃんも桜華ちゃんで、顔の左半分が包帯で覆われているので思わずぎょっとする。


「桜華のは怪我じゃねぇよ。負荷かけ過ぎたからな。休ませねぇとオーバーヒートしてぶっ壊れる」


 妙な言い回しだけど、顔を怪我したとかじゃないなら良かった。桜華ちゃんは見た目だけは繊細で華奢なお嬢様に見えるので、包帯なんか巻いているとそれこそ薄幸の美少女と化してしまっている。実際は全然違うのに。

 彼女は苛立ちの溜息を吐きながら氷嚢で顔──左眼の辺り──を冷やしていた。


「帰れと言ったはずだが、何故増える?」

「構わねぇだろ。悧巧とも情報は共有しておくべきだ」

「……私は忠告したからな」

「はぁ? 何言ってんだ」


 二人のやり取りはとりあえず無視する。

 私が呼ばれた理由としては、まず、襲撃者を撃退したのでもう安全だという理由。そしてもう一つが、その襲撃者について話があるからだという。

 湖鷺さんはボロボロだけど、それでも二人とも無事で良かった。


「まだ会ってない“角”の主だったんですか?」


 私がまだ顔も知らないのは、二角と四角だ。残りの主達が好き放題している以上、彼らが封印されたままというケースは無いだろう。

 ところが湖鷺さんは軽く首を振ってこう続けた。


「いや、六角の手駒だ。三角の証言もある。従者だとか言ってたか」


 六角。チトセの、従者。

 湖鷺さん曰く、神隠し騒動もその男の仕業だと。そして彼を叩きのめしたので神隠し騒動も落ち着くだろうとのことだった。まぁ実際に神隠しに遭遇してはいないからあんまり実感無いけど。


「だが、事前情報と随分様子が異なる。三角は従者とは人形のようなものだと」

「……人形?」

「主人の命令で動き、自発的に行動をしない。或いは、出来ない。本来であれば感情の動きも殆ど無いらしい」


 桜華ちゃんはアキハから受けた話をしてくれるけど、私はあんまりピンと来ない。従者と言えば明らかにネルがチトセのそれだ。でもネルはどう足掻いても“人形”と喩えることは出来ないと思う。


「……お前から見てどうだ? 六角と、その従者。奴らの在り方に違和感は? 双方と出会しているのはお前だけだ」


 桜華ちゃんの言葉に湖鷺さんが露骨に顔を顰める。まぁ確かに、望んで遭遇したわけじゃないですもんね。


「能力は効かねぇ。あたしの主観になる」

「構わん」


 いつまでも突っ立っていてもと、湖鷺さんに隣に座るよう促される。言われなくてもそのつもりだった。桜華ちゃんの横に座れって言われたらどうしようかと思った。


「生き物の思考や感情には密度がある。好意も悪意も、抱き続けるのはそれなりに体力がいるもんだ。密度が大きいほど、善悪好悪に関わらず澱んでやがる。それくらい濃くねぇと同じ感情を抱えてらんねぇからだ」


 何となく、分かるような気がする。

 人を好きでい続けるのも、憎み続けるのも、口で言うほど簡単なことじゃない。いつかはその感情が薄くなって消えていく。完全になくなることはないかもしれないけど、ふと思い返した時に「どうしてあんなに怒っていたんだっけ」と首を傾げることもあるはずだ。


「思考は読めなくとも、そうした感情の粘つきみたいなのはあたしの本能が分かる。それを踏まえて言うが──六角は、薄い」


 まだ数日しか経っていないのにチトセがいなくなってもう随分と経ったような気がする。

 私はチトセを許せないけど、いつかこの感情も擦り切れてしまうのだろうか。


「ある種、受け身なんだよ。やり合った時、あいつがあたしらに向けたのは興味だ。でもあたしが取るに足らない存在だったからその興味も失せた。んで、その後──あの時何があったかよく分からねぇが──なんかに対してイラついて、銃を向けたわけだ。周りの動きに反応して感情が動いてるパターンだな」

「でもそれって普通なんじゃないですか?」

「普通の人間ならな。これは桜華に聞いた話だけどよ──」


 湖鷺さんはダガーをくるくると回しながら話を続ける。落としたら私の足の甲に刺さりそうな位置で。手が滑ったら危な過ぎるのでやめてほしいけど、襲われたばかりなので持っていないと落ち着かないらしい。仕方ないのでそっと距離を取っておく。


「奴らは人の魂を喰ってる。これは確定情報だ。んで、その上、人間への憎悪を糧に動いてる」

「……?」

「エネルギーその一とその二ってことだよ。人を憎まねぇと弱るらしい。どーりで三角がゴミみてぇに弱いわけだよな」


 言い過ぎでは? 

 そうツッコミたかったけど、それよりも気になる情報が出てきたので口を閉ざす。それを聞いた桜華ちゃんが馬鹿にしたように鼻で笑った。


「つまるところ、その動力源が揃って初めて動く人形のようなものということだ。生ける屍リビング・デッドには相応しいと思うがな」

「数え切れねぇほど人間殺して動く死体にもう一つ必要なのが“憎悪”。だとすりゃあ、これも生半可なモンじゃ補えねぇと思わねぇか? その割には六角の感情の動きがマトモ過ぎる。やることも地味だ。チマチマ餌を集めるだけ。もっと無差別に人間を殺して回ってもおかしくねぇのに。それに、憎しみと言えば……」


 湖鷺さんの金色の目が憎らしげに細められる。燃え盛る夕陽に照らされた景色を思わせるその色は、いつも苛烈さを伴っている。凄んでいても凛々しさを携えたままだというのは、きっと彼女の性分だろう。

 チトセはどうしようもないけれど、湖鷺さんの言うように、彼女は終始人間を憎んでいたようには見えない。間違いなく見下してはいたものの、どちらかと言うと人を取るに足らないものだと捉えていた。そしてひと息に踏み潰せる虫けらを、憎悪することは無いだろう。


「さっきやりあった男。あれの方が負の感情がずっと濃い。あたしはそこが引っ掛かる」


 桜華ちゃんが合点がいったように「ほう」と呟いた。私も合わせて頷いておく。湖鷺さんの引っ掛かりポイントあんまりよく分からないけど。


「では私が三角との会話で得た情報をやる。先ず一つ。確証こそ無いが、六大陸の主達は六角が核だ。六角を殺せば全員死ぬ可能性は高い」

「……朗報とは言えねぇな」


 息を呑んだけど、湖鷺さんの言う通りだ。そこは恐らく最後の関門にして最難関だろうから。

 桜華ちゃん曰く、以前の封印はチトセ単体を狙ったものだったのだろうと。チトセが封印されたから残る五人も封印され、チトセが目覚めたから全員目覚めた。


「加えて、それでも封印されたという事実は違和感がある。魔術でそこまでのことが出来るのであれば、魔術師が戦争でなす術もなく蹂躙されはしない。私は、こう考えている。魔術によって六角が封じられたわけではなく──別の要因によって、封じられていたのではないかと」


 目を見開き、目の前の少女を凝視する。冷やすのが面倒になってきたのか氷嚢をテーブルに置こうとして、湖鷺さんがそれを引っ掴んで投げ付けた。

 私の指先は緊張で震えて、心臓もばくばくと音を立てている。だと言うのに二人にはちっとも動揺の色が無い。


 それは、確かな一筋の希望だった。

 ……私が呑気に公園でアイスを食べたりしている間に桜華ちゃんが辿り着いてくれた一つの可能性である。


「恐らく、魔術はあくまでその“要因”を補助していただけ。当時の状況が再現出来れば弱体化させることか、或いは再度封印を施せる可能性がある。敵の本拠地に乗り込むのは必須だろうな」

「じゃあっ、引き剥がせなくとも憑依したままの状態でシノやテンリがいなくなれば扠廼達は……!」


 ──救えるかもしれない。


 心臓の音が五月蝿くて胸が痛い。声が震えていたのは歓喜からだ。

 みんなを助けられる。まだ間に合う!


「落ち着け悧巧。それがマジなら、確かに前には進んだ感じだけどよ……越えなきゃならねぇ障害がまだ多過ぎる」


 興奮のあまり落ち着きがなくなった私の額を湖鷺さんがデコピンの要領で軽く弾く。


 落ち着けって言われても、そうそう落ち着けるはずがない。今すぐにでも飛び出していきたいという思いを見抜かれたのか、肘をがっしりと掴まれた。

 ちょっ、えっ、力つよ……!? 掴まれてるだけなのにビクともしないんですけど!?


 ぎょっとして湖鷺さんを見るも、彼女は平然としていた。踏ん張っているようにも見えないのがえげつない。しかもどう見ても大怪我負ってるのに。こ、この人本当に色々強いんだ……。チトセ達とも渡り合えるわけだよね……。


 そんな私にとんでもなく冷たい視線を向けた後、桜華ちゃんは優雅に脚を組み直して話を続ける。


「それともう一つ。私は六角の行動は従者に誘導されていると見ている」

「……あの男にか?」

「ああ。そうでなくてはこの女から離れた途端、動きが変わったことの説明が付かん」

「成る程なァ……やっぱ殺し損ねたのは失敗だったか……?」


 あの唯我独尊大魔王が誰かの誘導で動く……? 俄かに信じ難いけど……。でも確かに、変ではあったよね。動きに一貫性が無いというか。

 湖鷺さんは何やらぶつぶつ呟いているけど腕は全く離してくれない。もう落ち着いたから安心してください、と心の中で語り掛けたものの多分聞いていないだろう。


「自発的な行動が少ないのもそのせいだろう。大魔王サマとやらがただのマリオネットだとすれば何とも笑える話だとは思うがな」


 ……それって、魔術師達との戦争の話も前提がひっくり返るくらいの情報なんじゃあ……?

 まだ半信半疑とは言え、本当ならとんでもない話だ。とは言え、従者が側にいようがいまいがチトセがめちゃくちゃなのには変わりない。彼女は子供が昆虫の脚を捥ぐように、人を殺せてしまうのだから。


「結論から言って、この先お前達がやるべきことは六角の城に乗り込むというもの。六角が封印された理由を突き止めるというもの。大きく分けて二つだろうな。……後者には従者が関わっているような気もするが、これは推測の域を出ない」


 チトセを倒す、とは桜華ちゃんは言わなかった。


 ……無理だと思っているのだろう。それでも私はやらなくてはならない。

 桜華ちゃんは話は終わりだと言わんばかりに私達を手で追い払うような仕草をした。隣から「相変わらずえらく他人事だな」と呆れた声がする。


「事実、他人事だからな。というか、この辺りが潮時だ。……今回の件で絶対にバレたからな……」

「あん?」


 桜華ちゃんって嫌そうな顔してても可愛いんだよなぁ、これで口が悪くなければなぁ……なんて関係ないことを考える。桜華ちゃんは面倒臭そうな息を吐いた後、こう続けた。


「私はこの件から降りる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る