第18話 私がやるべきこと

 ──今日一日で、何度目の前で殺し合いを見る羽目になるのだろう。

 現実から逃避しようとする思考がそんな事を思い浮かべる。


「クソッ! なん、だ、これは!!」


 三角の少女が薙ぎ払うような動作で大剣を振り回す。そんな彼女に、同じ形状の大剣で斬りかかるのは彼女と同じ姿形をした影。

 自分と同じ姿をした何かが襲い掛かってくる。

 それだけでも充分過ぎる恐怖なのに影には一切の表情が無い。感情の無い無機質な瞳で三角の少女に大剣を振り下ろすその様は、見る者に得体の知れない不気味さを突き付けていた。

 きっと三角の少女も似たような恐怖を感じたのだろう、攻撃を順に捌きながらも明らかに狼狽している。

 その姿を見て、微かな違和感を覚える。影が圧倒する様子が無い事から、あの影はどうやらものすごく強いわけではないらしい。単純な強さで言えば、素人目で見ても三角の少女とほぼ互角。それでも勿論、人の目線で見れば桁違いだとは思うけど。

 いや、でもこれってもしかして互角と言うよりも……。


「……同じ?」

「無論。アレはコピーした本体と全く同じステータスを持つだ。私の能力は本来戦闘用ではないが……まぁ無礼者を叩き潰す程度であれば造作も無い」


 へたり込んだままの私の呟きに、いつの間にかすぐ側まで来ていた桜華ちゃんが応える。

 さらりと告げられた事実はとんでもないものだ。彼女は当たり前のような顔をしているけど、指を鳴らすだけで生み出せてしまって良いものではない。


「あくまでスペックは変わらん。だが、私の影は本体とは違って疲弊する事がない。感情が揺さぶられる事も」


 スペックが同一であるということ。それは初めから引き分けというカードが用意されているという事だ。

 だけどそれはあくまでも数値だけ見た時の話。人間は百パーセントの実力を出し続ける事は出来ない。ランニングを続ければ息が切れてくるのと同じように、やがて限界が来る。


 だけど、影にはその限界とやらが無い。

 つまり徐々に徐々に相手を追い詰めることになる。


 そしてその通りに、三角の少女は少しずつ押されてきている。大剣同士がぶつかり合う耳障りな金属音は勢いを失い始めていた。

 彼女は目の前のことに手一杯で既に私への殺意も忘れているようだ。

 流石に可哀想になってくるほどだが、それをゴミでも見るかのような目で見つめる桜華ちゃんはまだ怒りが冷めていないらしい。


 じわじわと体力を削り、動揺や緊張によって隙を誘い、どれほど時間がかかろうとも確実に仕留めるという悪魔のシステム。

 一方的な蹂躙である事に相違なく、こんなものまるで悪趣味な処刑場だ。


「……何だ? 手っ取り早い方が好みか?」

「へ?」


 私が「いやめっちゃ性格悪いな」と心の中で密かに思っていたのが伝わったのかと怯えたが、そうではないらしい。そもそも、彼女は湖鷺さんとは違って人の心は読めないはずだ。

 桜華ちゃんは顎に手を当てて、少し考えるような素振りをした。その仕草はとても愛らしく、黙ってさえいれば本当に人形のように絵になる少女である。


 彼女は「良いだろう」と小さく呟いて、


「もう一体出すか」

「えっ?」


 もう一体って……何を?

 何故か嫌な予感がして、彼女の顔を見上げる。桜華ちゃんは構わずに言葉を続けた。


「確かに長く甚振ったところで時間の無駄だな。これ以上手間取るのも心底不愉快だ」

「ちょっ、ちょっと待って桜華ちゃん! も……もう一体ってまさかまだ同じものを……」

「出せるが、それがどうした」

「嘘でしょ!?」


 桜華ちゃんは「何故そんな下らん嘘をつく必要がある」と心外な様子だけど私のリアクションも無理は無いと思う。

 一対一でも相手に勝ち目が無い状況を生み出しているというのに、そんなお茶のおかわりをもう一杯みたいな感覚で新しく影を追加出来るだなんて。そんなもの最早ただの虐めじゃないか。


「待って、桜華ちゃんちょっと待って……!」


 激昂したりする様子こそ無いけど、やはり桜華ちゃんはまだ三角の少女に対して怒っている。二度と陽の光を拝めないようにしてくれる、との言葉の通り割と本気で物理的に挽肉にするつもりらしい。

 私の目の前でスプラッタ映画も真っ青の光景が生み出される事も勘弁してほしいけど、それ以外にも少し気掛かりな事がある。


「今、あの人は“三角”だけど体そのものは多分……っ」


 彼女──アキハがチトセ達と同じ存在だというのならあの体は普通の女の子のもののはずだ。

 本人の意思に関係なく、ただ乗っ取られているだけの。

 だとしたら駄目だ。こんなのはいけない。

 あの体の内側で、本来の持ち主は助けを求めているかもしれないのに。恐怖に屈しそうになりながらも必死に戦っているかもしれないのに。

 あの体ごと彼女をそれこそ殺してしまうような事になれば本来の持ち主も死んでしまう。巻き込まれただけの女の子が、訳も分からないまま未来を断たれてしまう。


 チトセ達を殺す必要があるという旨の話を湖鷺さんと桜華ちゃんは口にした。素直に頷くことは出来ないけど、でも必要性は理解している。

 だけど。


「何も悪くない普通の女の子まで犠牲にするのは、違う……!」


 ぎゅっと桜華ちゃんの袖を掴む。

 もう三角の少女は満身創痍だ。そうでなくとも、桜華ちゃんの能力であれば気絶させるなりで無力化は出来るだろう。

 それに彼女にも何か事情がある様子だった。あんなにも冷たくて悲しい殺意を抱く彼女の事情も知らないままで終わらせたくない。


「だからお願いっ、せめて」

「──それが、どうした」


 冷水を浴びせられたかのような。そんな、冷酷な響きを孕んだ声が突き刺さった。

 はっきりと分かる侮蔑の色。それが乗せられた瞳が私へと向けられている。


「それがどうしたって……そんなの、」

えない女だな。目を背けてみたかと思えば、踏み込もうとする。お前の態度には一貫性が無い。そして何より、覚悟が無い。……故に、


 淡々とした口調で語られる言葉には、感情が無い。呆れも怒りも、何も。

 だから私を射抜く二つの色の瞳だけが私を責めるような色を帯びる。


「それならば問おう。何の力も無いお前に、一体何が出来る? 奪う覚悟も奪われる覚悟も無いお前は、に対して責任が取れるのか?」

「リスクって、そんな、」

「言っただろう、私は世界の危機なんぞに興味は無い。だが叩けるのであれば今この場で叩き潰す。野放しにして得をする連中じゃないからだ」


 言葉が出ない。

 目の前の少女の言葉が理解出来なかったからじゃない。納得出来てしまうという事実が怖かったからだ。


「……大陸すら消し飛ぶ可能性があるとは話したはずだ。そうした犠牲が生まれる確率は確実に存在する。ここで見逃した事によって近い将来で生まれるその犠牲の責任をお前が取れるのかと、そう聞いている」


 チトセによって多くの人が実際に私が見ている前で殺されていて、私はそれが許せなかった。

 それなのにこの先もあんな事が起きると分かっていてなお、私は湖鷺さんや桜華ちゃんの「殺すべきだ」との考えを否定した。

 だから私の言葉には重みが無い。そうやって突き付けられたものが深く私の胸を抉る。


「綺麗事で世の中は回らない。お前という個人が覚悟を持たずに歩む人生は罪ではないだろう。だが、その覚悟を持って生きる人間を妨げるのは許されざる蛮行だと思わないか?」


 彼女はそれ以上、私と会話する気はないらしかった。

 桜華ちゃんの行動が正しいと思わないのは事実だ。だけど反論出来ない。

 覚悟が無いのだと言う。それは紛れもない事実で、目の背けようもない現実だ。


 でも。


 だけど。


「………………」


 黒と赤のコントラストの瞳が訝しむように細められる。

 そんな覚悟は確かに私には無いかもしれない。ここまで言われてなお、生き方を変えるだなんて私には出来ないだろう。

 だからそんなものはどうでも良い。止める権利があるとか無いとか、そんな事は他の誰でもない私が決めることだ。


「いつか起こる悲劇がどうとか、そんな事は今この瞬間には関係ない。小難しい理由も何も無い、私は! 嫌なものは嫌だって言ってるの!!」


 こんなもの所詮、子供の我儘にも劣る暴論。

 だけど縋り付く手は離さなかった。

 私はただの女子中学生で、事の重大さなんてほとんど理解出来ていないんだろう。でもだからこそ、私の意思は目の前で起きる悲劇を防ぐ為に使われるべきだ。


「小難しい正論なんて知るもんか……! だからごちゃごちゃ言わずに黙って言う事を聞いて!」

「……」


 奇妙な沈黙が生まれる。

 啖呵を切ったものの、全身から嫌な汗が噴き出す。正直、死ぬかもしれない。

 それくらい目の前の女の子は怒らせてはいけない相手には違いない。

 その場合、せめて出来るだけ痛くない方法でこの世とおさらばさせてほしいところである。


 ……が、いつまで経っても横っ面を殴り飛ばされたりするような事態は起きなかった。

 ここだけの話、恐怖のあまりきつく閉じていた両目を恐る恐る開いて顔を上げる。


「……え、あれ?」


 私を見下ろす桜華ちゃんの目には、失望も怒りも特に浮かんでいなかった。若干、珍妙なものを見るかのような目ではあったが。

 ややあって彼女はほんの僅かに口角を上げ、


「──だ、そうだ。もう好きにして良いぞ」


 狼狽する私を余所に桜華ちゃんがそう言い捨てた直後のことだった。

 粉々に砕かれた、ベランダに通じる窓。そこから飛び出してきた人影が目にも止まらない速さで手に持った何かを三角の少女へと振り下ろしたのだ。

 当然、影を捌くのに手一杯になっていた彼女は反応が遅れ、死角からの一撃に意識を奪われる。それと同時に空気に溶けるように影も消えてしまった。


「……ったく、手間取らせやがって。さっさと仕留めりゃ良かったのによ」


 不満そうに口を尖らせながらくるくるとナイフを回して(どうやらナイフの柄でぶん殴ったらしい)三角の少女を見下ろしていたのは、行方をくらませていた湖鷺さんだった。

 唐突に訪れた静寂に、ただただ私は困惑する。


 あの、つまり……どういうこと?

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