第17話 “三番目”の使者

 城が、人が、赤く紅く燃えている。

 散らなくて良いはずの命が散っていく。


 ──この私を誰だと思って? 私は戦争をしてくださいとお願いしているのではないの。


 何故だ、何故こんな。

 始まりは同じだったはずだ。人を矮小な命と騙るなら、取るに足らない生命だと宣うなら、我らとて元は同じ場所に位置したはずだ。


 だと言うのに、どうして。


 ──表の人間共を殺せと、そう命令しているのよ。


 その言葉に自分自身が何よりも情けなく、気が狂いそうになる。

 いっそのこと正気を手放してしまえば良かったのだろうか。そうすれば苦悩する事もなかったのだろうか。


 だが、それでも、屈するわけにはいかないのだ。

 茶番を終わらせなくてはならない。我らは所詮、在ってはならない亡霊なのだから。


 故に、故に。

 この戦争を、この悲劇を起こしたのが貴様だと言うのなら。


 ああ、嗚呼、許すものか六角──!








 散乱したガラス片をジャリ、と踏み躙る音が無情にも鼓膜を叩く。

 燃え上がる夕陽に照らされながら、幽鬼の如く佇んでいるのは一人の女の子だった。

 豪奢にうねる、エメラルドのような緑髪。前髪の隙間から覗くのは同じく深い緑の瞳。

 割れた窓から吹き荒ぶ風が彼女の白いワンピースと長い髪を揺らしている。

 見た目にも私より一つか二つ歳下であろう事が分かるその子は、何処にでもいそうな普通の女の子に見えた。……凶悪な殺気を纏っている事と、背丈よりも全長がある馬鹿みたいなサイズの大剣を引き摺っている事を除けば。


「──やっと、見つけたぞ、


 低く、唸るような。殺意を伴う声が刺さる。鋭く釣り上げられた両の目は、間違いなく私を射抜いている。

 怒りと、そして微かな歓喜を孕みながら。


 たったそれだけで分かった事が一つだけ。

 この人は、私を、殺そうとしている。


(この人、チトセと私を……間違えて、)


 すぐにでも否定しなくちゃならないのは理解している。だけど恐怖で喉がひりついて声が出ない。

 ギラつく刀身より何より、黒い炎のような敵意そのものが恐ろしかった。


 六角。

 その言葉が指すのは、私じゃない。

 もうここにはいない彼女へと向けられるはずの憎悪が私へと突き付けられている。

 この人は間違いなく六大陸の関係者だ。

 でも、だとすれば何故こんなにもチトセに憎しみを抱いているのだろう。

 こんなにも恐ろしく──そして、何処か悲しい怒りを覚えているのだろう。


「オレを忘れたか? それとも、貴様にとって記憶に残す価値すら無かったのか」


 愛らしい顔立ちには似合わない、地の底を這うような低い声。

 返事をしない私に苛立ったらしく、彼女は一歩また一歩とこちらへ近付いてくる。


「だがオレは忘れんぞ。どうやら上手く力を隠し、人に擬態しているようだが……例え数千の時が流れようと、貴様だけは」

「ち、がう、私は、」

「この期に及んでしらを切ると。ならば死してあの世で罪を悔いるが良い。も送った後で、オレもいずれそちらへ行こう」


 震える声で絞り出した言葉では何も伝わらなくて、彼女は片手で易々と大剣を構えた。


 違う、私は……違う。

 違うの。どうして分かってくれないの。


 ──だって私、悪い事なんて、何も。


 視界が眩む。頭がズキズキと痛む。思考が痺れて、正しく呼吸が出来ているのかも分からなくなる。

 その罪は私のものじゃない。

 だからそんな目で私を見ないで。

 私は悪い子じゃないの。ずっと良い子だった。ずっと前から普通に生きてきたの。


 ──ずっと前って、いつから?


 痛い。

 頭が焼ける。思考にさざ波が立つ。

 待って、と手を伸ばしても目の前の誰かは冷たい目で私を見つめている。


「忘れたと言うのなら、今一度刻め。オレの名と貴様が犯した罪の重さを。オレは六大陸、“三角”が主──アキハ。貴様を殺す為だけに、地獄より蘇った」


 振り上げられた剣が目の前に迫る。

 耳鳴りと、脳裏に走るノイズが五月蝿くて、もう。





 ♦︎


 チカチカと光る視界が晴れて正気に戻ったのは、斬りかかられたからでもまして大剣に体を貫かれたからでもなかった。

 ドンッッ! と、全身を叩くような音の衝撃が轟いたからだ。音と共に飛んできたらしい何かは、女の子が構える大剣に弾かれてフローリングに落ちる。

 バクバクと心臓が五月蝿い胸を押さえつける。そこには、ドラマや小説でしか見ないような弾丸らしきものがフローリングに転がっていた。

 恐る恐る視線を動かすと、をこちらへと向ける影がある。


「……土足で上がり込んでくるとは、犬畜生が良い根性をしている」


 悍ましい程に温度を感じさせない声。

 その瞬間、四人目の“六大陸の主”、三角──アキハと名乗った彼女へと抱いていた恐怖は一瞬で別の対象へと移り変わった。左手で拳銃を構えながら、背筋が凍るほど冷たい目でこちらを捉える桜華ちゃんへと。


(め……めちゃくちゃ怒ってる……!!)


 当然である。

 玄関からならいざ知らず、窓ガラスを叩き割って不法侵入してきた輩が大剣を振り回さんとしているのだ。彼女じゃなくても怒るに決まっている。

 ……何処から出したかも分からない銃でいきなり撃つのは侵入者への処遇としてはやり過ぎだけども。ナイフを持ち歩いている湖鷺さんと言い、思いっきり銃刀法違反である。

 しかしながら、殺されかけたところを助けられた身の上なので我儘は言えない。桜華ちゃんが引き金を引くのがあと少しでも遅ければ私の首から上は無くなっていたかもしれないのだ。


「……人間が、我が悲願の邪魔をするのか。死にたくなければ下がっていろ。オレはこの女を斬らなければならない」

「……っ、だから! 人違いです! 私はチトセじゃない!」


 ようやく硬直が解け、噛み付くように声を荒らげる。情けない事に腰が抜けて動けないものの、下手に動いて刺激するよりはずっと良い。

 三角と名乗るからにはこの人もチトセ達と同じ存在。で、ありながら“チトセ”の命を狙う明確な理由は分からないけど勘違いで殺されるのはごめんである。


「馬鹿を言うな。六角の気配がある。片時として忘れなかった、憎き六角の……! 誤魔化せるとでも思っているのか!?」


 よ、余計怒ってる!

 チトセもそうだけど、何で六大陸の人達って人の話聞いてくれないの!?

 どうしよう、どうしたら良い? 唯一戦う術がある湖鷺さんは部屋にいないのか姿が見えないし、まして(とてつもなく怒っているとは言え)私よりも圧倒的に華奢な桜華ちゃんを危険な目には遭わせられない。でも私だって死にたくない!!


 思考が真っ白になる。あまりの理不尽さに叫び散らしてしまいたくなった理性を、ギリギリで繋ぎ止めたのは強く舌打ちした桜華ちゃんの存在だった。


「……『死にたくなければ下がっていろ』? 立場を分かっていないらしいな。──


 その言葉に、三角の少女の私に向いていた殺気が桜華ちゃんへと向けられる。

 標的は“六角”だからと、初めは彼女の事は見逃すつもりだったのだろう。だけど分かりやすいくらいに三角の少女は挑発に応えた。


 桜華ちゃんは、状況を分かっていないんだろうか。

 確かに窓を割って入ってきたこの人は無礼極まりない。だからと言って、というのがこの世には存在する。いかなる理由があれ人でなき者の怒りを買えば……命を代償として奪われる。


 そう考える私の視界の端で彼女は空いている手で指を鳴らす。

 それを合図に、桜華ちゃんの足元の影が不自然に脈打った。


「ひっ……」


 ずるり。触手のようにのたくる影に小さく悲鳴が漏れる。本来の影としての役割も忘れ、形を成し、床から離れたそれは少女の周りを纏わりつく。

 鎌首をもたげる真っ黒なそれは、大蛇か何かを連想させる不気味な化け物のようだった。

 正体不明の異形と、それを操る少女に三角の少女も驚愕で目を見開いている。

 殺意を向けられるものとはまた違う、別種の恐怖と……同じように伴うのは嫌悪。


「寝ているところを叩き起こされた件については、顔見知りのよしみだ。許す。……が、見ず知らずの亡霊風情が私の部屋を、私の花を、踏み躙った罪は万死に値する」


 吐き捨てられた言葉によってようやく気付く。三角の少女が飛び込んできた時に巻き込まれたのだろう、窓際で花を咲かせていたはずの植木鉢は砕けて転がっていた。……当然、美しかったであろう黄色や紫の小さな花は根元からぐちゃぐちゃになっている。


 桜華ちゃんと会ったのも話したのも今日が初めてだ。

 彼女の沸点が何処にあるのかなんて分からない。だけど落ち着いた口調からは考えられないほどに激怒しているのが簡単に窺える。

 いや、それどころか恐らく──私が思うより


「六大陸の犬が。二度と陽の光を拝めないようにしてくれる」


 ぶわっ! と桜華ちゃんの周りの影が広がり、縮み、何かを形作ろうと変容を繰り返す。


 能力者。

 その言葉が脳裏を掠めた。

 湖鷺さんはその存在について、端的に言えば超能力者だという。ちょっとした不思議な力が授かっただけだと。

 だけど全身を駆け巡る悪寒が告げている。こんなにも恐ろしく禍々しい力の象徴が、そんな簡単な言葉で片付けられて良いはずがない。


 本能が危険を感じたのか、三角の少女は大剣を振りかぶって桜華ちゃんへと飛びかかった。獣が獲物の喉笛へ襲い掛かるようなその動きは、私の目にはほとんど捉えきれない。

 殺意が籠もった一撃。

 だけど桜華ちゃんは余裕を崩さなかった。彼女の盾となる位置で蠢く影が大剣を弾き飛ばし、影はとあるものの形へと姿を変える。

 人だ。それも、ただの人じゃない。


「なんっ、」


 煌めく緑の髪に、エメラルドの瞳。右手に握られているのは、背丈よりも大きな大剣。

 素早く大剣を構え直した三角の少女と寸分違わぬ姿で、影はそこに佇んでいる。


「能力者を見るのは初めてか? 喜べ、に敗北する権利をくれてやる」


 宣告が下された。

 それに呼応して、影が、動く。

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