第20話 彼女が、出会った話
「なん、何でアキハを虐めるの……!? アキハは悪いことなんてしてないもんっ! 嘘なんかついてないのに!!」
「……ええと?」
湖鷺さんの顔を見る。彼女は小さく、「本体だ」と呟いた。
本体。ということはつまり、この子はこの体の本来の持ち主ということで良いのだろうか?
「あの、待って。ちょっと落ち着いて」
「やっぱりアキハ以外は嫌い、大っ嫌い! 触らないで!!」
宥めようと手を伸ばすと、ものすごい勢いで金切り声が上がる。どうやら相当ご立腹のようだ。
別に私はアキハを虐めた覚えはないし、むしろ殺されかけたのだから虐められたのは私の方である。そう言いたいのはやまやまだが、流石にこの状況では空気を読んで黙るしかない。
「湖鷺さん、どうしましょう? こんなんじゃ話聞けませんよ。とりあえず謝ってあげたらどうですか? 機嫌が直るかも」
「はぁ!? 何であたしが」
「だって煽り倒したの湖鷺さんじゃないですか」
虐めた虐めてないという話になれば、間違いなくアキハを虐めたのは湖鷺さんだと思う。
「生かす価値もねぇ奴に事実突き付けて何が悪い。このガキだって洗脳されてんじゃねぇの?」
だからそれをやめてくださいってば。何で矛先を収めないんだこの人。
「アキハはわたしに酷いことなんてしない……! あなた達なんかアキハが本気出したらすぐやられちゃうんだから!」
「──ほう、それは面白い」
凛とした涼しげな声が響き、咄嗟に振り向く。いつの間に近付いてきていたのか、桜華ちゃんが私のすぐ後ろでそれはそれは愉しそうに笑っていた。
「あの弱さでそこまで吠えるか。本気とやらを見せてもらいたいものだな」
どうやら片付けが終わったらしい(窓は当然割れたままだが)、微笑む彼女は外見だけはそれは優雅な佇まいに見える。
……私の偏見に過ぎないのだが、湖鷺さんよりもよっぽど人を虐めそうな子がこちらに興味を持ってしまった。そうでなければ人がこんなにも嗜虐的な笑みを浮かべるはずがない。
「う、あぅ……」
コテンパンにされたのはアキハとは言え、彼女もアキハの中で全てを見ていたのだろう。さっきまでの勢いは何処へやら、少女は桜華ちゃんを見た瞬間に怯えたように肩を震わせた。
「まぁそう怯えるな。あの女は少々警戒心が強い。後は……同族嫌悪か? いずれにせよあれの言葉を間に受ける必要は無い」
あの女、と言いながら桜華ちゃんは湖鷺さんの方をちらりと見る。
いや、彼女が怯えてるのは湖鷺さんじゃなくてあなたですよ。ボコボコにしたのもう忘れたのかな。
桜華ちゃんの言葉自体は本当に彼女を気遣っている風にも聞こえるけれど、何せ桜華ちゃんは何を考えているのかいまいち分かりにくい。
「大体、この娘が自らの意志で三角と入れ替わったのをお前達も見ていただろうに。ならば少なくともこいつの体で殺人は犯していないという話は信用に足る。だろう?」
「あ、そういえば……」
アキハが突然慌て出した直後、この子が騒ぎ始めた事を思い出す。あれは、アキハが止めるのも聞かずにこの子が意識の表面に出てきてしまったのだろう。
私も、チトセに憑依された直後は自分の意思で体を取り戻す事が出来ていた。彼女が力を取り戻すにつれ、それもすぐに出来なくなったのだけれど。
「そういう訳だ。今の所、我々はお前と三角に危害を加える意思は無い。何より、三角が六角と明確に敵対するつもりであれば私達は手を取り合える。そうは思わないか?」
……自分を戦闘不能に追い込んだ相手にああやって笑いかけられるのは相当怖いだろうな。本人が気付いているかは不明だが、桜華ちゃんは一ミリも目が笑っていないのだ。
「だが非常に残念な事に、お前は我々に敵意を抱いている。無理も無い事だが……さて、今現在、お前自身がどういう状況に置かれているのかをよぉく考えた方が身の為だとは思うがな。お前の返答次第ではその体を細かく刻み、海に捨てる事もやむを得ない」
やむを得なくはないでしょ。何言ってんだ。
「私達には圧倒的に情報が不足している。お前の中には都合良く、六大陸の情報を知る者がいるじゃないか。何を警戒する必要がある? 協力する、と。一言そう言えば済む話だろう?」
最早何の捻りもない脅しである。情報を対価に、今この場の身の安全を保証しようと言うのだ。そして暗に、協力しないのなら命は無いと告げている。
カタカタと小さく震えている彼女の目には、桜華ちゃんが悪魔か何かに見えているに違いなかった。
「まずは名乗れ。でなければ、我が身の不幸を呪え。そして一つだけ忠告してやろう。私は聞き分けの良い愚か者は好きだが、そうでない愚者に容赦する程甘くはないぞ」
湖鷺さんが私の横で露骨な溜息を吐く。慣れていたのだろう。
恐怖を瞳に滲ませた少女は、かくして、観念したように口を開いたのだった。
♦
「
暴れる可能性は低いとの判断から拘束を解かれた彼女は、そう呟くと私の背後に隠れてしまった。
多分、消去法で頼るなら私が一番マシだとの判断に至ったのだろう。懐かれていると言うよりも、盾にされているといった感じだ。
まぁ不必要に怖がらせるのもどうかと思うので、湖鷺さん達には口を出さないでいてもらう事にした。
それにしてもこの子……揚羽ちゃんは私と一つしか歳が変わらないのか。それどころか桜華ちゃんよりも一つ歳上である。全くそう見えない。
「多分、千妃路と学校同じ」
「え?」
揚羽ちゃんはぐい、と私の袖を引いた。そう言えば学校から帰る途中に色々と騒動が起きたので、制服を着たままだ。
それにしても何とも奇妙な偶然だけど、だとするとあの学校には私が転校してくるまでシノ、テンリ、アキハの三人が固まっていたのか。
学年が違うとは言っても、彼らに学校なんてものは狭過ぎる。もしかしたらシノ達とは面識があるのではと思ったものの……。
「しのとてんり……? アキハが教えてくれた一角と五角のこと? 名前しか知らない。わたし、学校行ってないから」
揚羽ちゃんからの答えはそんなものだった。
話を聞くに、彼女は俗に言う引きこもりらしい。アキハと出会ったのは数ヶ月前で、それよりも前から学校には通っていないのだとか。彼女の意思で引きこもっているのなら、それもまた良いだろう。それにこの空間には義務教育なのに学校に行ってない人がもう一人いるのでとやかく言う事でもない。
「揚羽ちゃん、アキハの事信頼してるみたいだったけど……アキハとはどうやって出会ったの?」
彼女はアキハの事となると急に怒り出す傾向にある為、あまり刺激しないように話を振る。私の場合、気付いたらチトセに乗っ取られていたので『奪われた』という感覚が強かったのだが、どうもこの子はそういう感じではない気がした。
「どうって、普通にだよ。わたしが部屋にいたら、窓の外をふわふわしてる透明なアキハと目が合ったの。『そんなところでどうしたの』って聞いたら『体を無くしてしまった』ってアキハが言うから、『とりあえずこっちにおいで』って部屋に入れてあげたの」
引きこもりという肩書きと可憐な見た目に似合わず、凄いコミュニケーション能力である。
透明な、ということは透けていたとかだろう。体が無いアキハは彷徨っているところを揚羽ちゃんに見つかったという事だ。
そんな得体の知れないものを部屋に入れるだなんて、この子もなかなか変わっている。
「しなきゃいけないことがあるけど、体が無いとできないって。でももう良いって言ってた。このまま消えていった方が世のため……? になるって」
「それから?」
「『消える前に、お前の話を最期に聞かせてほしい。何かの縁だと思うから』って、アキハはわたしに言ったの。だからわたし、お話ししてあげた。面白い話はしてないけど、わたしといっぱいお話ししてくれたの、アキハが初めてだったから」
とりとめのない話を語らう時間は、きっと穏やかなものだっただろう。
想像する事しか出来ないけど、それは血と悲劇で汚されたアキハにはとても温かかったのかもしれない。
「アキハの体、ちょっとずつ薄くなってた。もう消えちゃうんだって思ったから、『怖くないの?』って聞いたら『わからない』って」
怖いでも怖くないでもなく、分からない。
アキハはどういう思いで、そう吐き出したんだろう。
「だけど、アキハ悲しそうだったから。『わたしの体を貸してあげる』ってアキハの手を握ったの。そうしたらアキハがわたしの中に入っちゃった。波長……? が偶然合っちゃったから、出たくても出られないんだって。だからアキハは悪くないの」
懸命にそう語ると、揚羽ちゃんは一息をついた。
要するに、封印から逃れた後のアキハが力が足りなくて消え掛けていたところを偶然揚羽ちゃんが体に受け入れてしまった、という事なのだろう。
口にすると単純だが、そこに行き着くまでに彼女らの間にはきっと様々な言葉があった。
「アキハ、普段は勝手に表面に出てきたりしないよ。でも六角のことになるとちょっと話聞いてくれないの」
「ちょっと?」
「なに……? だめなの?」
「いや、何でもないです」
じと、と睨まれて目を逸らす。意外と気難しい子のようである。茶々を入れるのはやめておこう。
「今日は千妃路に六角の気配が残ってたから飛び込んできただけ。いつもは優しいし、わたしのお姉ちゃんみたいなんだよ。わかった?」
あまりよく分からないし、そんな事で私を殺しかけた件を正当化されても非常に困るが怒らせるのも面倒なので曖昧に頷いておく。
揚羽ちゃんとアキハの関係については大体分かった。
揚羽ちゃんはきっと同化について知らないのだろう。同化に関しては今のところ解決策も無いので、教えるのは控えておく。
折角、アキハの事を信頼しているのだからそれを不信感で塗り潰すような真似はしたくない。
後はアキハ本人に色々と聞きたいところだったのだが……。
「アキハなら寝てるよ。暴れたから疲れたんだと思う。多分、当分起きない」
「あ、そうなんだ……」
そういえば、最近チトセもよく寝てた気がする。ツバメさんの部屋で待ってる扠廼も「シノは寝てるから暫く大丈夫」みたいな事を言っていたような……?
まぁ何にせよ、破壊の権化のような彼らの活動時間が短いのは良いことだと思う。多分。
「揚羽ちゃん、当分ってどれくらい?」
「わかんない。でも明日くらいには起きる」
言い換えると、今日はもう目覚めないという事だ。何となく湖鷺さんに視線を投げると、「お開きにするか」との言葉を貰う。
確かに、外も随分暗くなっている。そろそろ帰らないと、いつまでもここにいる訳にもいかない。
揚羽ちゃんは「とりあえずアキハが良いって言ったから」との理由でこれからも協力はしてくれると言う。心強いかは微妙だが、仲間が増えるのは単純にありがたい。
問題は山積みだけど、きっと、これで前進したのだろう。少なくとも、一歩は。
「こっちも色々調べとくしよ。まぁお前らは好きに過ごせよ。なんかあったらこっちから出向くわ」
そんな湖鷺さんの言葉を背に、扠廼も連れて私は帰宅する事になった。ちょうどツバメさんも帰ってきたし。
ちなみに雲雀さんから「この喧しい娘をちゃんと引き取ってください。飼い主でしょう」との言葉と共に、謎のファイルが添付されたメールが携帯に届いたのだが……。
家に帰ってからそれを開いた私は、果てしない後悔に見舞われる事になる。
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