第19話 因縁、或いは
「いやさぁ、桜華がちょっと様子見ろとか言いやがるからさ? わざわざ別の部屋から外に出てベランダ伝って……んで、さっきまであそこに隠れてたわけ」
桜華ちゃんが何処からか持ってきた延長コードで三角の少女をぐるぐる縛り上げながら湖鷺さんはそんな事を言った。
目を覚ました時にまた暴れられたら堪ったものではない。彼女を拘束するのは賛成だが……私が湖鷺さんに聞きたいのは湖鷺さんが何処にいたのかとかいう事ではなく、湖鷺さんが何故ベランダに隠れていたのかという点である。
「だから、言っただろ。この女が飛び込んできた瞬間にあたしはとりあえずぶっ飛ばそうとしたんだけどよ。桜華が悧巧がどういうつもりなのか調べるっつうからさ」
「……私?」
「ああ。お前が状況に流されて今ここにいるような女ならもう協力しねぇって言ってた。あいつ自分の意思で動かねぇ奴嫌いだしな」
要するに、桜華ちゃんの一連の言動は私を試していた……という事で良いのだろうか?
そんな桜華ちゃんは割れた窓ガラスやら散乱した植木鉢の中身やらを片付けるのに忙しそうだ。その横顔はやはり何処か不機嫌そうである。
「ああ、桜華が機嫌悪いのは花ひっくり返されたからで別にお前が気に食わなかったからじゃねぇよ。つーかお前の答えは気に入ったみたいだしな」
「な、なんだ良かった。じゃあ桜華ちゃんが三角の人を殺そうとしてたのも演技だったって事ですよね」
「いやあれは本気だったと思うぜ。こいつよりにもよって鉢植え滅茶苦茶にするとか勘弁してほしいよな。ピンポイントで地雷踏み抜きやがって」
こいつ、と言いながら湖鷺さんは三角の少女を指差す。悧巧も気を付けろよー、との事だがその口調は何とも呑気なものだ。
というか、私の行動次第では本当にこの部屋が殺人現場と化していたところだったなんて……。出来れば知らないままでいたかった。
「それにしても」
切り替えの早さにだけは自信がある私は、三角の少女へと視線を落とした。ちなみにだが、彼女が掲げていた大剣は彼女が気を失うと同時に消えてしまった。
縛られて床に転がされている彼女は、
思えばずっと険しい顔をしていた。脳裏に焼き付いているのはまるで私──あるいはチトセ──を糾弾するような厳しいエメラルドの瞳。
この小さな体は別の誰かのものとは言え、あの目に宿っていた怒りは三角の少女のものだ。
「どうして、チトセを殺そうとしたんだろう……」
テンリやシノも、決してチトセとの仲は良くない、と思う。だけど彼らはあくまでも同列の存在であり、彼ら同士が刃を向け合う必要は今のところないはずだ。
それでも彼女は剣を向けた。私に、そしてチトセへと。
「お前を六角と勘違いしたのは相当頭悪いと思うけどな。六角の本体もお前と似たようなツラってことか?」
「それは知りませんけど、残り香みたいなものがまだ私の中にあったとかじゃないですかね。だとしても良い迷惑ですけど……」
本当に殺されていたとしたら、勘違いでしたじゃ済まされないところだったのである。そこは深く反省して頂きたいところだが、彼女の意図が分からないので何とも言えない。
「ま、折角捕まえたし起きたら色々吐かせりゃ良いだろ。拷問はあたしの趣味じゃねぇけど」
「ご、拷問?!」
「? だって喋らねぇと困るじゃん」
さらっと恐ろしい事を口走る湖鷺さんに、とりあえず早まるのはやめてほしいと言い聞かせつつ私は改めて三角の少女に視線を投げる。私が気をしっかり持たないと、相変わらずこの人の命は危機に晒されているらしい。
「あっ」
ともあれそうやって騒いでいたからか、途端、彼女はバチッと勢いよく両目を見開いた。
彼女は一瞬困惑した様子を見せたが、すぐさま状況を把握したらしく深い緑の瞳が屈辱で歪む。
「六角……貴様……!」
キッ! と睨み付けられ、思わずたじろぐ。
ま、まだ私をチトセだと思ってるのか……。本当に良い迷惑だ。
慌てて訂正しようとしたけど、私が口を開くよりも先に彼女の目に宿る怒りは急速に萎んでいった。
「ろ、六角じゃない?」
「あ、はい」
彼女は顔いっぱいに困惑を浮かべ、私を見上げている。
よく気付いてくれましたね。もうちょっと早く察してくれれば良かったんだけど。
何たる事だ……と呻いている彼女だが、それはこっちの台詞である。
「そ、それはその……済まない事をした……てっきり六角だと……」
先程までの威勢の良さは何処へやら、すっかりしゅんとしてしまった彼女にそれ以上何か言う事も出来ない。見た目が幼い為(本来の持ち主のものだが)、小動物を虐めている気にさせられるのだ。
ところが湖鷺さんはそうでなかったらしい。彼女はハン、と鼻を鳴らすと腕を組む。
「なーにが済まない事をした、だ。六角と同じロクでもねぇ存在のくせによ」
……私の時もそうだったが、湖鷺さんは初対面の相手への態度がちょっと良くない。警戒心が剥き出しである。
そしてその言葉は三角の少女の琴線に触れたらしく、彼女は即座に顔色を変えた。
「六角とオレが同じだと!? 訂正しろ貴様ァ!」
「あん? 事実だろうが。理由はどうあれ、人の家の窓ぶっ壊して入ってきて剣振り回すような奴がキレる権利あると思ってんのか?」
「湖鷺さん」
何で煽るんだ。ド正論とは言え、今すべきはそういう話じゃない。
「誰があんな女と」と怒り狂う三角の少女を何とか宥め(ついでに湖鷺さんには黙ってもらい)、私は彼女にこちらの事情を説明した。つまり、つい先程までチトセは私の中にいたことを。
「あのね、あなた……アキハだっけ? どうしてチトセを殺そうとしたの?」
彼女は、チトセ以外には敵意は無いらしい。
強い意志を宿すエメラルドの瞳からは殺意は既に消えている。
「……千妃路、と言ったか。お前は、我らが封印される直前に魔術師──つまりは人間と我々の間で戦争が起きた事を知っているか?」
アキハの問いに、首を縦に振る。
話していて気付いた事だが、アキハはチトセ達と比べると会話が成立する。チトセやシノ、テンリは人間を明らかに下に見ているが、彼女にはそれが無い。チトセ達と話す時に感じるような異質さが彼女には感じられないのだ。
そんな彼女がいつまでも転がされたままでは可哀想だったので体を起こしてあげると、アキハはとつとつと語り始めた。
「あれは、六角の乱心によって引き起こされた」
「チトセの? でも仕掛けてきたのは魔術師だって」
「ああ、それは事実だ。しかし、人が何を仕掛けてこようと我らに大した害は無い。放置すれば良い話だ。……ずっとそうしてきた。あの戦争が起きるまでは」
アキハは吐き捨てるように呟く。
「何を思ったか、六角は突如として人間の殲滅を命じた。六大陸に侵入した全ての人間を殺せと。それが、戦争の火種を燃え上がらせた」
侵入者の抹殺。下された命はそんな淡白なものだったらしい。
だけどきっと、それだけで十分だった。仲間を殺され、怒りと恐怖で思考を縛られた魔術師達は全面戦争を決意したのだろう。
そして無慈悲に殺された。そこに棲まう者達によって。
「我々“六大陸の主”の中で、最も力を持つのが忌まわしきあの六角だ。あの女の命令は絶対であり、それは例え“角”の主人であろうとも逆らえない。……命じられるがままに殺すしかなかった。人間を……この手で……」
アキハは唇を噛み締めて顔を伏せた。
人をまるでゴミのように扱うチトセ。六大陸の主は皆、チトセと同じだろうと思っていた。
だけどアキハは違う。即座に看破出来てしまうほど彼女は命を奪うことを忌避している。
それについてどうして、と問うと今にも泣き出しそうな彼女と目が合った。
「オレ達とて、元は同じ人間だった。人として生き、そして人として死んだ。それなのに人間を殺して、代わりにオレ達のような亡霊が生きる事に一体何の意味がある……?」
「……」
「オレのこの考えは、六人の主達の中では異端だった。他の五人には散々蔑まれたが、それでもオレは自分が間違っているとは思わない。オレ達は死者だ。生者を踏みにじる権利などありはしない……!」
だから、六角を許せない。奴をこのまま野放しには出来ないと。彼女は震える声でそう言った。
「あの女はこの先も多くの命を奪うだろう。封印の影響で失われた力を取り戻す為、より多くの血を求めて。それを許すわけにはいかない。オレは、奴を殺さねばならない」
その目に宿る憎悪は、果たして正義感からだったのだろうか。
そもそもの話だ。
チトセは何故人を殺めるのだろう。
今の彼女は力を取り戻す為に命を奪うのだと思う。だとすると、封印される前の彼女は、どうして──。
「……代わりに、か。成る程な。六角もお前も、一目見た瞬間から気味が悪かった。単に化け物だからだと思ったが……違うな」
口を噤んでいた湖鷺さんがそう呟く。彼女の金の瞳には選別するような、それでいて蔑むような色が宿っている。
その目に射竦められ、アキハは身を硬くした。
「お前ら、文字通り人間の魂を食って生きてんだな?」
息を呑む音が聞こえた。それがアキハのものだったのか、私のものだったのかは分からない。
どういうこと、と私が口にする前に湖鷺さんは言葉を続ける。
「あたしの異能は本質を見抜く。お前らは根っこがドス黒く澱んでる。人間を殺し、その魂を糧としてるんだからそりゃ怨念も纏わりつくだろうよ。……よくもまぁ被害者面が出来たもんだな三角。戦争がどうのはさておき、それまでも洒落にならねぇ数殺してきただろ」
「そ、れは」
「死んでそこで終わるはずだった連中が、他の人間殺してその魂をこの世に繋ぎ止めてる。並みの犠牲じゃ補えねぇはずだ。第一、今のお前のその体は何処のどいつのもんだ? よぉく自分を見つめ直すんだな。他人から奪った体でどれほど綺麗事を吐こうと、信用なんざ出来ねぇんだよ」
もしも、視線だけで人を殺せるのなら彼女の瞳に囚われれば無事では済まないだろう──そう思わせるほどの冷たい目だった。
「……日比谷達と同じだ。お前も分離が出来ないほど同化が進んでる。力を取り戻す為、その体で人間を殺したんだろう? でなければ同化が進む説明が付かねぇ」
「っ、違う! この体で人を殺めてなどいないっ! この体を手に入れたのだって、」
アキハを縛る延長コードがミシリと音を立てる。
湖鷺さんの言う通りだとは思うが、でも私にはアキハが嘘をついているようにも見えない。こんなに必死になってまで彼女が嘘をつくメリットが無いからだ。第一、人の心が読める湖鷺さんにもそれは分かっているはず。
何か、譲れない何かが湖鷺さんにはあるんだろうか……? だとしてもそろそろ止めないと不味い事になりかねない。
ものすごく嫌だけど私が割って入ろうとしたその時、アキハは突然酷く狼狽した様子を見せた。
「ば、馬鹿! お前は出てくるんじゃない!」
……急に頭でも打ったのだろうか。ぽかんとする私を余所に、アキハは何事かを喚き散らしていた。可哀想に、緊張でおかしくなってしまったのかもしれない。
縋るように湖鷺さんの顔を見たけど、彼女は少し眉を顰めただけだった。彼女は顎でアキハを指し、私に意味ありげな視線を送る。
「どうしたの、アキハ?」
仕方ないなぁ、と彼女を宥めるべく顔を覗き込むと私を睨み付ける緑の瞳と目が合った。
「あ、アキハを……アキハを虐めないでっ!!」
甲高い声が鼓膜を叩く。泣きそうな顔でこちらを睨んでいる緑の少女は、アキハではなく──。
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